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【文学紹介】凜とした夜と女の意地 李商隠:霜月

1:はじめに

こんにちは。先週暖かい気温で過ごしやすいですみたいなことを書いた矢先、上海でも一気に冬らしい気温になりました。

暖かいのか寒いのかよくわからないなら、もう覚悟を決めて寒くなってほしい!というのが個人的な感覚だったので、やっとシーズンらしさが出てくれてちょっと嬉しいです。

季節的には秋の詩ですが、
寒くなると思い出すのが今回のタイトルにある李商隠の「霜月」です。

霜月は11月のことではなく、霜降る夜を照らす月のこと。
綺麗でちょっと面白い詩なので、見てもらえると嬉しいです。

by Brigitte Werner @Pixabay

2:李商隠について

今回も作者と時代背景から解説します。
李商隠は唐の時代の政治家であり詩人です。

唐といっても言っても李白や杜甫よりはずっと後の時代、
唐の後期(晩唐)に活躍した人物です。

唐の後半は王朝が終焉へと向かう時代です。
李白や杜甫の時代に安史の乱が起こり王朝の力が衰退した後、一時出来な盛り返しを経て、李商隠の頃には斜陽の時期を迎えます。

彼がいたのは、王朝内では宦官らによる皇帝の擁立と廃位が繰り返され、また官僚同士の政争が絶えず、外部では節度史と呼ばれる軍閥のような存在が幅を効かせた、そんな時代でした。

李商隠も天下のため文人官僚としてのキャリアをスタートさせますが、
すぐに政争に巻き込まれ官僚としての栄達は望み難くなっていきます。

李商隠・『晩笑堂竹荘畫傳』より

自身の官僚としての不遇が影を落としたのか、
また高らかに志を語ることが意味をなさない時代のためであったのか、
李商隠の詩は暗示的・技巧的な手法による
耽美的な恋愛詩を大きな特徴とします。


直接的に自らの叶わぬ感情を歌うのではなく、
歴史上の人物やエピソードや暗喩を散りばめながら
象徴的に、暗示的に自身の内面を表現していく彼の詩は
直接的/具体的に出来事を詠わない分、どこか幻想的な印象を与えます。

杜甫や李白が自然を、志を、友情を、自身の人生における悲壮を
抑揚高く読み上げたのとは非常に対照的です。

3:典故表現について

李商隠は上述の「歴史上の人物やエピソードや暗喩を散りばめる」という
行為がとにかく多いことで有名です。

この行為自体は別に李商隠に限った話ではなく、
古典の世界では当たり前の行為です。

漢詩文では古典の故事を拠り所として表現を行います。このことを「典故」と言います。
典故を用いることで、表現に対して幅や深みを出しながら自らの言いたいことを表現していく、というのが古典作品の大きな特徴です。

例を挙げると、中国で男女のことを詠む時、「雲雨」という表現が用いられることがあるんですが

これは昔、楚の国の王様が巫山で宿を取った時に夢で女性と出会い、最後に女性から「別れてもこれから私は朝には朝雲となり、夕べには雨となって現れましょう」と言われ別れたというエピソードに基づいています。

なので、例えば「雲雨が生ずる」といえば男女の関係という言い回しになったり(そうでない場合ももちろんあり)、
「巫山で雨が降る」といえば(極端な話、巫山だけでも)、
恋愛を匂わせたり…といった受け取りが可能になります。

by Kanenori @Pixabay

出した例が例なのですが、まあ露骨に男女のことを描写するのではなく
「それとなく匂わせること」で表現としては深みが出たり、品が出たりするのはなんとなくイメージできるかもしれません。
(言っていることは一緒でも、表現の仕方で印象も全然変わりますよね)

李商隠の話に戻ってみると、この「典故」がとにかく多かった。
それもその当時の人でもわかりにくいようなマニアックな典故を使っていくんですね。

一説では、彼が詩を作るときには図鑑や歴史書など様々な書物を
机にパァーッと並べて作ったようなのですが、
その様子をカワウソが捕まえた魚を並べる様子に例えて、獺祭(獺祭魚)といわれたようです。

日本酒の獺祭とどこまで関係があるのかはわかりませんが
当時の人でも困惑するほど重箱の隅をつつくような故事を使っていたのは確かなようです。

4:次回に続く

前回同様、前置きが相当長くなってしまいました。。。
今回も記事を前編後編に分けて紹介できればと思いますので、
後編も懲りずにご覧に他だけますと幸いです!



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