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【短編】我が王のサナギ

我が王は虫が好きだ。
虫好きにもいろいろあるが我が王は蝶を好む。甲虫の精悍さや、鈴虫の鳴き声には目もくれない。

我が王が好きなのは蝶、とりわけそのサナギである。
幼虫からサナギを経て、ふわりと優雅に飛び立つ蝶。我が王は蝶という虫そのものの美しさよりも、その飛翔の瞬間を愛しているように見受ける。

我が王の元に届けられたオオコガネチョウのサナギは100匹。
それを我が王は実に手際よく仕分けていく。即ち、生きているものと死んでいるものにだ。私にはまったく判別がつかないが、我が王は10本の手指を全て動員し、休むことなく選別を続ける。我が王によれば、生きているものは76匹であったという。オオコガネチョウのサナギを届けた領主の息子に我が王は次のように言った。

「これまでは凡そ3割が死んで余の元に届いた。生き物であるからそれは仕方のないことと考えておるが、此度はより多くの生きたサナギを届けてくれた。そなたに褒美をとらせよう」

我が王は玉座の傍らにあった小箱を手に取った。領主の息子はまだ子どもであるのに、実にきちんとした所作で進み出て、恭しくその箱を受け取った。恐らく異国の煙草が入っている箱だろう。子どもに煙草とは不思議な褒美であるが、我が王のことだ。きっとお考えあってのことなのだろう。


我が王は木の板に枯れ枝を何本か突き立てた「木盆」を所有している。
その枝一つ一つにサナギを糊で付けていく。我が王は蝶に関係する作業に他者が関わることをお許しにならない。木盆を王の間に運ぶのも自らなさる。サナギを枝に付けるのに使う糊ですら、自ら小麦粉を練られるのだ。

誰かが気を利かせて手伝いを申し出ても、我が王は「一切手出し無用」と頑なに断られる。

もっとも、家来の誰に頼んだとて、我が王の手際の良さには到底かなわないだろう。どうすると蝶に良く、どうしてしまうと蝶に悪いのかといったことも語られることはない。蝶に取り組む我が王は実に手際よく、それでいて静かなのだ。

サナギを付け、蝶を飛び立たせるためだけの道具である木盆をバルコニーに置いた様は、さながら春を待つ小さな林のようである。

にわか雨が降ると、我が王はあらゆる公務を中断して木盆を王の間に取り込む。その際、いつもどおり家来の手伝いを拒むばかりか、珍しく怒りを表すこともある。雨で糊が緩むのだろうか。木盆を取り込んだ後は相当長い間、王の間に籠りきりになる。枝に付いた雨を一つ一つ綿で拭っているのではという噂もあるほどだ。

やがて木盆のサナギがごく静かに開き、蝶は美しく、優雅に一生のうちの最初の飛翔を開始する。我が王はそれが花壇に飛び去って行くのを眺めるのだ。まだ幼い王女も傍らでそれを眺めておられる。

白状すると、私はその時の我が王の顔が最も嫌いだ。
表情に喜びはなく、不安と悍ましい欲望があるように思えたのだ。なぜ我が王は蝶の飛び立つその時にそのような禍々しい表情をなさるのだろうか。普段はお優しく、物静かで常に微笑を湛えているというのに。

蝶の飛び立つその時の我が王の顔は目を獣のように見開き、こめかみには鷲の爪のような皺が浮かび、泣き出すのかと思うくらい、ハの字に眉が下がる。しかし、それでいて口は開かれ、薄ら笑いを浮かべているように見える。こともあろうに、先日は口から涎が垂れているのを見てしまった。時には肩を震わせ笑いを堪えているようにも見える。生命の神秘に感激こそすれ、そんなにおかしいことがあろうか。

考えれば考えるほどに、我が王の表情は私に不安を与えた。冷たく暗い、我が王の心の正体を垣間見るような気分であった。

しかし、そんなことも今となっては良い思い出である。
あの蝶の飛び立った春の日は、それを差し引いても意味深く、美しかった。
蝶が音もなくふわりと飛び立つ様は、生命の神秘だけでなく、計り知れぬ神の意思を感じさせる。宇宙はなぜ我らにこのようなものを見せるのか。


ある日、我が城に隣国の兵が攻め入ってきた。
それは蝶が飛び立つに等しい、当然の出来事であったのかもしれない。敵兵は城を囲み、抵抗しなければ何人の命も害しないと宣言した。敵の王は、我が王妃と血のつながりがあるばかりか、傑物と評判で、これまで隣国同士の付き合いもあった。隣王自ら、私のような者にお声をかけてくださったこともある。私のような家来は勿論、当王家の者も誰一人としてこの期に及んで隣王を拒もうとは考えなかった。それは我が王も同じであった。

隣王の兵は、まず、我が王を極めて形式的に捕縛し、王の間から退出させた。我が王は抵抗せずそれに従った。

間もなく、王の間から若い兵の悲鳴が聞こえた。事情を知る者として私が指名され、王の間に入った。

王の間の内部は強烈な臭気で満たされている。私は、それは腐臭であろうと説明した。床に敷かれたカーペットの下に樽があり、そこに10年前に死んだ王子の遺体が保管されているのだと。

驚いた兵士達は私の示した部分の床板を外した。釘などは使われず、いつでも外せるようになっていた。兵士らはそこに少年一人が入るくらいの小さな樽と、無数の蝶のサナギ、木のスプーンなどを発見した。

兵に懇願され、私が樽の蓋を開けた。

亡き王子の身体はドロドロに腐敗し、溶け、重い粘りのある褐色の均一な液体となっていた。骨や歯は見当たらない。遺体は我が王によって頻繁に攪拌・濾過されていたらしく、そのための棒やザルなどが傍らに置かれていた。私の手に今や液体となった王子が付着している。それにしても何という腐臭だろう!その腐った卵と便と酸の混じったような臭気に触れ、目も鼻も唇も、自分の皮膚や服、すべてが悍ましく穢れたように思えた。

防腐処理が施された生前さながらの王子が入っていると思い込んでいた私は・・・我が王はその美しいままの王子を今も愛でているのだろうと思っていた私は・・・驚愕のあまり人目も憚らず大声で叫び、そのまま気を失ってしまった。
しかし、敵の兵士は私を叩き起こすこともなく、正気を取り戻すまで辛抱強く傍らで待ってくれていたらしい。もっとも腐臭には耐えられなかったのか、私が気づいたのは棟の違う朝議室であった。

武勇で有名な百人隊長が私を介抱してくれていた。私とは旧知の仲で、「君があまりの大声で叫ぶものだから、あの部屋の中にいた者は皆釣られて叫んだり痙攣したりして大変なことになったよ」と笑いながら言った。
「否、しかし無理もないことだ・・・」
と、彼が咳ばらいをして周囲を眺める。何人かの屈強な兵が、私の隣で青い顔をしている。無理もないことだ。

百人隊長の話では、王子樽の傍らにあったサナギは全て中身が空になっていたという。

王の間を調べたところ、驚くべきことに!我が王は、サナギの中身を王子の樽液に混ぜていたらしい。樽の縁に、まだ新しいサナギの汁が付着していたらしいから、それは間違いなさそうだった。

あの王は!我が王は!王子とサナギの混ざった液を、あの領主の息子から手に入れた新しいサナギに戻し入れていたのだろう。私がそう話すと、さすがの百人隊長もやや気分が悪そうだ。

私たちの城は征服されたが、新たな王とは親戚関係があり、しかも先日までは友好国であったから、今までと全く同じようにとは行かないまでも、私たちには特に不自由のない暮らしが約束された。

幼くも几帳面な王女によれば、あの春、飛び立った蝶は89匹であったらしい。

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