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現実の「向こう側」へ―書評『水中で口笛』工藤玲音

 さいきん、神保町や御茶ノ水界隈の書店で、この歌集が平づみにされているのをよく見かけます。
 わたしはこの歌人の名前を存じあげませんでしたが、岩手は盛岡出身の、1994年生まれの若手歌人だそうです。

 歌人、といまわたしは書きましたが、エッセイ集などがすでに刊行されており、小説や俳句など、ジャンルを問わず幅広い執筆活動を行っていらっしゃるようです。

 収録された歌をすべて読んでみましたが、震災や祖母の死を憶ったものもあるいっぽう、総じて、清冽でみずみずしさのあふれた歌が多いと感じました。
 ものごとを正確に観察し、観察した向こう側にあたらしいイメージを付与する手さばきに、なみなみならぬ才能を感じさせます。

 印象的な秀歌はいくつも散見されますが、わたしが特によいとおもった歌をあげてみます。

 ベランダに初夏を一匹飼っています ひかりのリードにひかりの小屋で
 缶詰はこわい 煮付けになろうともひたむきに群れつづけるイワシ
 燃やされた手紙の文字は何処へいくの ごみ収集車はみんな空色
 やわらかい蠟をさわってセックスが終わった後のきもちになった
 シャワーヘッドを握りしめ白蛇を殺してしまったみたいに泣いた

 1首目、「初夏」をあたかも動物にみたててベランダで「飼う」と表現したところに、非凡なものを感じます。
 現実には、ベランダとそこに注ぐ陽射ししか存在していないはずですが、その向こう側に光の「リード」「小屋」を見いだして、初夏のおとずれをいつくしもうとする姿勢に、夏のはじめの若々しい生気をはっきりと感じとることができます。

 2首目、こちらは1首目とは趣向が変わり、すこしおどろおどろしいイメージが付与されています。
 たしかに、煮付けにされ缶詰にされた「イワシ」は、なおも群れつづけているようにもみえます。そこからは、かつて生きていたものたちが死してなお無言で生の意味を問い返してくるような、不穏な力がただよってきます。

 3首目、この歌も目にみえているのは「ごみ収集車」の「空色」だけのはずですが、その向こう側に「燃やされた手紙の文字」を幻視している点、巧みな対照を生んでいると感じます。
「ごみ収集車」というあまりきれいではない即物的なイメージが、「手紙」「文字」という人間の記憶をめぐる単語と結びつけられることで、逆説的に叙情性をつよめる一首になっています。

 4首目、「セックス」というパワーワードが、「やわらかい蠟」に結びつけられることで、エロティックななかにも、しなやかで上品な、しかしどこか冷たくぎこちない絶妙なニュアンスが表現されています。
 
 5首目、たしかにシャワーヘッドは「蛇」のようにもみえますが、それを「白蛇」として表現したところに、ファンタジックなイメージが重ねられています。
 おそらくこの歌い手はなにかたいへん悲しい経験をして「泣いた」はずですが、それは、その「白蛇」を殺めるというある種の儀式によって、浄化され、悲しみを乗り越えるための力となるのでしょう。

 盛岡出身の歌人ということで、石川啄木の短歌の「本歌取り」をしている歌もいくつかあります。
 じっさい「あとがき」にも、啄木にたいする「腕相撲のつもりで編んだ歌集」であり、最終的には彼への「ハイタッチのような歌集」になったことが打ち明けられています。

 とはいえ、この歌人の才能を、あえて啄木とくらべる必要もないと感じます。啄木は26歳の若さでなくなりましたが、工藤玲音は、これからますますその才能の開花が期待されます

 そういえばわたしも、3年ほどまえのある秋深い午後、盛岡城址をおとずれたことがありました。
 赤く色づいた紅葉が小雨に濡れているなかに、啄木の歌碑がしずかに設えてあったのをおもいだします。


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