見出し画像

「自己表現」と「自己実現」の違い|【書評】阿部昭「新編 散文の基本」

 日本の文学史に、「内向の世代」としてくくられる作家の一群がいます。おもに、1970年(前後)頃に文壇に登場した作家をさしており、古井由吉、後藤明生、黒井千次、坂上弘、小川国夫、高井有一などの名前を挙げることができます。

 などと、さも勝手知ったるかのように書いてはいますけれど、わたしも、古井由吉をのぞき、「内向の世代」の作家の小説を、語れるほど読んできたわけではありません(というか、ほぼ、読んでいない)。

 庄野潤三、吉行淳之介、小島信夫、安岡章太郎、といった華ばなしい顔ぶれの「第三の新人」と、村上春樹、村上龍といった80年代以降の現代文学を牽引するスター作家たちとのあいだにあって、「内向の世代」は、日本文学史の茫乎たる「エアーポケット」になっているうらみを感じています。

 だからこそ、掘りさげてみれば、それなりにおもしろい発見もあるように思うのですが、今回取りあげるのは、その「内向の世代」のひとりに挙げられる、阿部昭の本。それも、「短篇の名手」ともいわれる彼の小説(短篇)ではなく、散文集になります。

阿部昭「新編 散文の基本」(中公文庫)

 本書には、「文章作法」「日本語」「短編小説論」としてまとめられる文章が収められていますが、「散文の基本」というタイトル(初刊である1981年の福武書店版も同タイトル)を冠しているだけあって、散文の「読み書き」について豊かな示唆を与えてくれる一冊になっています。

 もとい、この、阿部昭という作家そのひとの書く散文というのが、じつに、すばらしい。かのサマセット・モームは、よい文章の定義を「控えめに着こなした人の衣服に似ているべきだ」と語ったそうですが、阿部昭の文章にも、そのような(一見すると気づきにくいけれど確かにゆきとどいた)品のよさが感じられます。

 さて、阿部昭の文章の滋味も感じながら、ひとつ、彼の言葉といっしょに考えてみたいことがあります。本書の巻頭に収められた「書くということ」というエッセイから引用します。

 私自身にも身に覚えのあることだが、二十ぐらいの年代には、つねづね「なんらかの形で自分を表現したいものだ」というふうな雲をつかむようなことを思っているものである。だが、実情は、「なんらかの形で自分を表現したい」というのと「文章で書きたいことを書く」というのとでは、見かけはともかく、内容にはずいぶんへだたりがある。それどころか、この二つの事柄はまったく似て非なるものだ。両者の結果だけを見ても、文章を書きたい人間は別にはたからいわれなくてもいずれ黙って書き出すのに、自分を表現したいなどと曖昧なことをいっている連中はいつまで経っても一行も書きはしないからである。

(p10)

 ここで阿部昭が問題にしているのは、いわば、「自己表現」(自分を表現したい)と「自己実現」(書きたいことを書く)の違いについてです。別の個所で阿部昭はまた、前者を「真っ暗な古井戸の中をのぞくように自分の中をのぞきこんで、その闇に沈んでいるものを引っぱり上げるというような観念的な操作」といい、後者を「まずは目の前にあるものに形をあたえることでその「自分」とやらを外に連れ出し、よろこばせてやること」だともいっています。

 たとえば、わたしたちは、なぜこのnoteというサービスに、日々、エッセイなり小説なり詩なり短歌なりを書いているのか。それは、とにかくなんらかのかたちで自分を表現したいという「自己表現」のためなのか、それとも、ただ書きたいから書いているという「自己実現」のためなのか。みなさんは、わが身を振りかえって、どのように思われるでしょうか。

 もしかすると、はじめの動機こそ「自己表現」だったのかもしれません。ひとをアッと言わせる文章を書いて、認められたい。有名になりたい。でも、だんだんと、そういう欲心は影を薄めていき、気づけば、ただ「書く」というそのこと自体が無上のよろこびになっている。かくいうわたしも、執筆の裏側に「承認欲求」的なものがまったくないかといえば嘘(大嘘)になりますが、こうして、「読んだ本についてただ感想を書く」というその行為それ自体に、得がたい満足、充実をおぼえているとも感じています。

 わたしがおもうに、重要なのは、あくまでも「自己実現」の先に「自己表現」があるということ。すなわち、好きなことについて好きなように楽しんで書く、その行為の先にこそ、そのひとらしい「表現」が立ち現れてくるのではないか、ということです。

 「自己」というのは、自分のなかに猫のように眠っていて、いつか表現されることをあくびをしながら待ちわびている、というようなものではありません。あくまでも、日々のたゆまぬ「行為」によって、事後的に追認されてゆくものなのでしょう。わたしは阿部昭のこの文章を読んで、そのように感じました。

 「短篇の名手」による散文の名文のかずかず。みなさんもどうぞ味わってみてください。


この記事が参加している募集

読書感想文

最後までお読みいただき、まことにありがとうございます。いただいたサポートは、チルの餌代に使わせていただきます。