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言語の真の現実と第二言語教育の根本的な課題

 わたしは、40年以上、日本語教育の企画と教材制作と実践の創造そして日本語教育をめぐる研究に携わってきました。そして、過去約10年は、研究から見出した原理と合理的な物の見方に基づいて、学習者における日本語の上達を促進する営みを仲間と共に、そして自身も実際の教授実践をしてきました。そうした経験を通して今見えてきた、実感としての日本語教育のあるべき姿について話します。
 今回は、「言語の真の現実と第二言語教育の根本的な課題」です。

1.出来事の一部としての言語
1-1 学習対象としての英語
 わたしたちは学校で英語を学びました。そのときに、わたしたちは、単語を覚えなければならない、文法を理解して適切に操作して文を正しく作れるようにならなければならないというような形で英語という新たな言語を学ぶ経験をしました。そんな学校での英語学習では、英語という言語は、知って覚えるべきもの、規則を理解して適切な操作ができるようになるべきもの、というふうに捉えられています。つまり、英語は、数学や社会や理科などの教科の場合と同じように、学ぶべき対象として、それとして実体のある客観的な知識のまとまりのようになっているのです。こうした場合に、英語という言語は、人と人とのコミュニケーションに奉仕するものではなく、単なる学習対象になっているのです。

1-2 現実のコミュニケーションと発話
 わたしたちは、普通、言語で何をしているのでしょうか。
友だちとおしゃべりをしたり、講義をしたり聴いたり、ゼミでディスカッションをしたり、レポートを書いたり読んだり、会議でいろいろなテーマについて話し合ったり、友人に頼みごとをしたり、友人を映画にさそったりするなど、わたしたちがしているほぼありとあらゆる活動に言語は関与しています。言語とは、話し言葉であれ書き言葉であれ、本来、人と人とのコミュニケーションに奉仕するものです。もう少し丁寧に言うと、人と人との間で行われるコミュニケーション的活動が生じることに奉仕するものです。
 わたしたちが現実の生活において取り交わしている言葉のことを発話と呼びます。話し言葉の場合であれ書き言葉の場合であれ、発話は必ず人と人の間にあって、その役割を果たします。

1-3 出来事が生じることに関与する発話
 人と人の間にある発話の役割とは、コミュニケーション的出来事を生じさせることです。そして、一連の発話は一連のコミュニケーション的出来事を生じさせてコミュニケーション的活動を人と人の間に起こします。
 一つの発話は、先行する発話によって生じた出来事をコンテクストとして承けて次の出来事を生じさせます。そして、そのようにして生じた出来事はそれに続く発話のあり得るコンテクスト*を形成します。続いて、多くの場合、それをコンテクストとして採用して次の発話が行われます。
 発話は、コンテクストを潜在的な背景としてコミュニケーション的出来事を生じさせるいわば「触媒」です。発話の当事者たちの間でコミュニケーション的出来事が成り立った瞬間に、その出来事の一部として発話も確定しコンテクストも確定します。
 また、発話には、必ず当事者がいます。その当事者というのは、コミュニケーション的出来事の当事者です。ですから、発話をした人も、発話を受けた人も当事者となります。発話をした人、つまり話した人や書いた人だけが当事者なのではありません**。発話は、コミュニケーション的出来事の発生に奉仕しますが、発信者と受信者の両者が関与してこそコミュニケーション的出来事は生じます。発話は、発信者と受信者との間に架けられた橋です。発話は両者が共有する共通の領域です。
*「あり得るコンテクスト」と言ったのは、それがそれに続く発話のコンテクストとして必ず採用されるわけではないからです。わかりやすいのは、話をしているときに、室温調整のために「窓をあけましょうか?」などと言う場合です。この発話は、先行の発話によって生じたコミュニケーション的出来事をコンテクストとして採用していません。
**「言語はコミュニケーションの媒体である」とよく言われますが、この見方には「話し手や書き手は言語という媒体を使って発信する。そして、聞き手や読み手はその媒体を受け取って理解する」というように言語コミュニケーションをコード(符号)を使った伝達であるかのように思わせる危険性が潜んでいます。言語コミュニケーションはコードを用いているように見える側面がありますが、発話を仲立ちとした現実の言語コミュニケーションあるいはコミュニケーション的出来事はいずれも物理的な発信者と受信者の両者が同時的に能動的に参画することで成り立つものです。発信者が言語記号に意味や意図を載せて受信者に送るというような単純な現象ではありません。

2.言語の真の現実と日本語教育の根本的な課題
2-1 言語の真の現実

 このように、言語はわたしたちが現実に生きることに直接に関与しています。言語の真の現実は、発話と発話によって生じるコミュニケーション的出来事です。言語教育を企画したり言語の教授活動に従事したりする者は、言語についてのこうした認識基本に据えなければなりません。言語を知識として身につけるべき学習対象として取り扱っている間は、決して言語活動に従事できる言語技量を育成することはできないでしょう。

2-2 日本語教育の根本的な課題
 言語の真の現実を上のように捉えるとすると、第二言語教育の根本的な検討課題、あるいは第二言語教育の一領域としての日本語教育の根本的な検討課題は、どのようにすれば、学習者をコミュニケーション的出来事に参画させつつ、知識の習得と見える側面にも適切に対応しながら、日本語の習得を着実に促進し援助することができるかを検討することとなります。そして、そうした検討の上で、より具体的に日本語の習得を着実に促進し援助することができる教育実践を創造しうる教育を企画することが根本的な実践的課題となります。

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