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成功したクリエイターたちとの差について考えてみた

はい、どーも、りゅうパパです。
このブログは、子供が寝静まったあとにパパが本音を語るブログとなっております。

自分も40歳を過ぎ、そろそろ50歳です。

20代・30代は、ガムシャラに頑張れたものが、最近は体力の衰えも感じます。20代・30代で努力をした人は、今も若々しく魅力的で、その差を感じるそんなお年頃です。

そんなこともあり、最近は人生について少し振り返ることがあります。


自分のまわりには夢を叶えたクリエイターが多い!

あまり実名を出すのもアレですが、自分の周りには、夢を叶えたクリエイターの方が非常に多いんです。

名前を出せば誰でも知っている国民的漫画家先生とは、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいているし、原作漫画がTVドラマ化した漫画家とはパパ友です。他にも原作漫画がNHKでアニメ化した漫画家は、美大生時代に同じアトリエ仲間でした。

去年お会いしたイラストレーターのY氏は、美術の学校に通わず、出版社にイラストを持ち込み続け、プロになり、今も活躍を続けております。Y氏なりの苦労もきっとあるとは思いますが、好きなイラストで生計を立て、好きな海の近くに家を建て、僕から見ると非常に幸せそうです。

そんな彼らを成功者と呼ぶべきか分かりませんが、好きなことを仕事にしている点では、夢を叶えた漫画家・イラストレーター・クリエイターと呼べるでしょう。

夢を叶えた彼らと自分との違いを探る前に、恥ずかしながら、軽く自分の経歴のお話をさせてもらおうと思います。本当に恥ずかしながら。

自分の経歴を振り返ると…

自分だって、小学校・中学校では学校1(イチ)絵の上手い、将来は漫画家になりたい小学生でした。小学校の高学年か中学生の時に、原稿用紙に漫画を描いてみようとしたものの、Gペンに馴染めず、そのままフェードアウト。

絵を描くことは得意だったので、高校3年生のときに、美大向けの予備校に通い、一浪で多摩美術大学の絵画科に入学。子供の頃は学校1絵の上手い僕だったけど、多摩美の同学年の中ではどちらかと言えば下手な部類に入り、成績的にも落ちこぼれでした。

それは、自分でも感じていて、学生時代は、リアル系の具象的な表現から逃げ、抽象的な絵を描いていました。

多摩美卒業後は、新卒で株式会社SNKという格闘技ゲームの開発会社に入社。同じ開発部には5、6人の同期はいたものの、同期は専門卒だし、自分は学生時代から小さなゲーム開発会社でドッターのアルバイトをしていたので、研修もトップの成績で終了。

即、現場でドッターとしてデビューしました。しかし、1年先輩にはKOF(ザ・キング・オブ・ファイターズ)や武力のポスターイラストを担当するヒロアキさんという方がいて、その絵の上手さに愕然としました。

それもヒロアキさんには本当にかわいがってもらい、目の前でサラサラっと描くその絵の上手さに驚愕し、自分は挫折をし…「ああ、俺はこの人には勝てない、5年後には管理職になろう」と心に決めました。

その5年後、自分は28歳のときに、当時上場会社であったジー・モードという携帯ゲーム会社のデザイン部の部長になり、管理職になる目標は果たしました。

…と長々と自分の経歴を語りました。ある人から見れば、自分も十分に幸せな人生だと思います。だけど、自分的には、学歴も安定した収入も手に入れたかもしれないしれませんが、同時に大切なものを失ったような…先に述べた夢を叶えた彼らとは違う人生を歩んでしまったと感じてしまうのです。

競技の世界を知り過ぎると…

先ほども述べたとおり、夢を叶えたイラストレーターのY氏は、美大などに行かず、出版社に持ち込みを始めています。僕から見ると、「なんて無謀な…」「なんて世間知らずなんだ…」と思いますが、それは間違いです。

何より大事なのは、この挑戦・チャレンジすることではないのかと最近思うわけです。

自分は下手に美大に行ったおかげで、それなりの会社に入り偉大な先輩に出会ったことで、「なんて世界は広いんだ…自分なんて絵が下手くそじゃないか…」と伸びた鼻をへし折られ、挫折をし、挑戦することから逃げてしまいました。

それは、アマチュアの競技性の高い場所ほど起こりえることなのではないかと思います。実際、自分は予備校生のときに、美大の過去の合格者作品を見まくって、その大学教授が好む絵柄に似せ、実技試験では満点近い評価を受け合格をしました。

美大に入ることは、基本的には競技に近いわけで、美大に行けば、また同じ競技で競い合う猛者ばかりです。また、その中で本当の勝者になれる者は、ほんの一握りです。

てなわけで、ほとんどの人が競技の世界で、トップになれないことに薄々気付き、自分みたいに夢から逃げてしまったり、挫折してしまうのではないでしょうか。

世間知らずの強さ!

だったらですよ。だったら、良い意味で根拠のない自信を持ち、プロの世界に飛び込んじゃうほうが、夢への近道だったのではないかと思います。

Y氏のように、実績もないのに出版社に持ち込んだり、国民的漫画家先生も18歳でデビューしているので、右も左も分からない世間知らずな学生だったから、チャレンジできたのではないでしょうか。

勿論、持ち込んだときに、プロの洗礼も受けるだろうし、プロになってからも苦労の連続だとは思いますが、それはどんな仕事でも同じように存在するはずです。

同じ苦労なら、嫌なことより好きなことで苦労したほうがいいでしょ。

国民的漫画家先生も今は持ち込みに行く勇気はないとおっしゃていたので、色んなものを知ってしまうというのも考えものです。

少し自分の好きなプロレスの話をすると、A猪木だって競技性の高い格闘技に対し無知だったから、異種格闘技戦なんて出来たわけです。これが、オリンピックレベルの競技者だったら馬鹿らしくて、そんな挑戦はしないはずです。

だから、世界を知りすぎるのも良くなくて、大事なのは、根拠のない自信な気がします。

最後に、3/6、Y氏のX(旧Twitter)に投稿されたポストを貼り付けます。

Y氏のXのポスト

熱い気持ち、最高ですね!

最後に…

と、まあ、書きながら自分のダサい言い訳になってしまいましたが…

毎年楽しみにしている漫才師のNo.1を決定するM-1グランプリも、去年は8,500組以上のエントリーがあり、当たり前ですが優勝できるのは、たった1組です。

高級ホテルのレストランで料理修行したとして、料理長にまでなれる人も一握り。

その一握りになれなくても、実力があり優秀な漫才師も料理人も沢山います。

元々、M-1は、結成10年で結果が出なければ諦めろというコンセプトもありながら、大会の開催は今年で20年目になるようで、その間に時代も変化し、その競技性の高さを見直すタイミングに来ている気もします。

松本人志・松ちゃんの件もあるし、素人ながら。

そんなわけで、競技の世界でトップにたどり着ける人は、一握りですが、今の時代、多様化が進み、様々な方法で好きを仕事にしてもいいと思うんですよね。

自分の息子とか若者に…いや、自分自身に言い聞かせたいのは、競技の世界で勝負に負けたって、今の時代なら幾らでもチャンスはあるはず。夢を叶えるために、根拠のない自信で頑張ろう。

では、また。


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