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陣中に生きる—9

九月十一日 曇り ③

自分も、面会人などはあるまい、あってもどうにもなるまいと、あきらめていたところだった。
四人は、弟の場合をふくめて、重ね重ねの天恵によって、一目会えたことが有難く、しばらくはその話ばかりで笑いあった。

相互に心の中では、<幸先よし!>と、喜んでいるに違いなかった。
話たいことは山々あっても、こんな時こんな所では、しかも大の男ばかりでは、とても存分に話し会えるものではなかった。
そこは相互の推察にまかすことにして、ついに別れることになった。
よそ目には、淡々たる別れに見えたかも知れない。


これらの兄弟たちは、昭和三年六月一日(二等兵の時)落雷のために九死に一生をえたときと、同七年二月二十五日上海事変に応召のときと、こんどで三たび、自分のために、遠方からこの高田に駆付けてくれた。
その度に、胆を冷やすようなことがあって、寿命のつまるような苦労と心配をかけた。

上海事変から帰還したとき、祝宴のあとで次兄が、次のように述懐したことがあった。
「家門の名誉と思い、兄弟の誇りとしながらも、お前の境遇と苦労をもっともよく知る自分は、陰でそのことを思うたびに、涙があふれてならなかった」

そうした苦衷の兄たちが、今ごろ車中にゆられながら、なにを考えなにを語り合ってることだろうか。
思いはさらに、母へ、姉へ、そして家族へと駆けめぐる。


部屋へ帰ると、急に疲労と空腹を感じた。
それもそのはず、きのうの朝からろくろく食べていないのである。
パンを食べて、昼寝をした。
目をさまして、うつろのな頭を支えている。
やがて、夕暮れになった。
空腹の関係もあったろうが、久しぶりの麦飯が、なかなかにおいしかった。


あんなに急いでやってきたのに、夜になっても、やはり仕事は何もない。
自分のベッドを、自分で用意しただけである。
こんなことから、生活の大きな変化が感じられて、思わず大きく吐息した。
外では強い風で、桜の並木が物凄くほえていた。


行く手にもつものは 生か、
それとも 死か⁉

とにもかくにも、第一日は暮れた。

運命! それは絶対に、
通り過ぎるまで、わからぬものだ。

その運命のままに、
その日 その日を働き、食べ、
眠ることにしよう。

それが、いつまでつづくことやら?

なんとなく、偉大なるなにものかに、
ひたすら 祈る。

祈らずにはおられない。


後記 倖せ!

わたしどもの 若い時は、
外からの 無慈悲な力で、
親子夫婦のあいだを 引きさかれた。

家庭の事情も、
家族や本人の意思も、
まったく無視された。
命すらも捨てさせられた。

そのような国家も、
はかり知れない犠牲によって、
生まれ変わり、生長しつつある。

今の人たちには、
あんな悲劇や苦痛はなくなった。
結婚するにしても、
そんな心配はなくなった。

それだけでも、
なんと倖せなことか!

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