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わたしの家族について ①

こんにちは。

今日は、わたしの家族について語ろうと思います。
あまり、自分の家族(実家)について話すことは好きではありませんでした。会社や、学校でも
あまり感情を乗せずに伝えることがわたしにとっての防衛でした。

仲が良かったり、旅行に行ったり、カラオケに行ったりする家族、兄弟の話を聞くたびに

妬み、不愉快さ、暴力性、己の醜悪さみたいなものを感じていました。
怒っていたのだと思います。
自分の現実に、自分の親に、自分の兄に、この目の当たりにしたくない家族たちに。
家族をたまらなく欲しがっているけれど
こんな人たちではないと。

話が逸れました。

わたしの実家での家族は5人家族でした。



長兄
次兄

という構成でした。

「父について」

父は優しいときもありますが、人に厳しく、自分に自信がなく酒に弱い人でした。
自信の無さから自分を見下されたとか侮辱されたら、すぐ怒鳴り声をあげる人でした。
自己愛が強く、自己中心的な人でした。
腹が立ったらすぐモノに八つ当たりをして、わたしたち家族に「俺を怒らせるとこうなるのだ」と見せつけます。

優しいときもありましたが、父は母とは相性がよくなかったと思います。喧嘩や暴言
一方的に怒っている父。そんな光景が焼き付いています。子どもには優しい場面もありましたが、中学生〜高校生の時期からは勉強や進路に対して父自身の希望や要望を子どもに背負わせる。
教育虐待というやつです。
彼の基準を超えられないと、暴言をたくさん言われました。
条件付きの愛で、子どもを支配する人でした。


「母について」

あまりはっきり主張をしないタイプの人でした。
わたしたち子どもが父から精神的に虐待、暴言、暴力を受けても
止められない人だった。そう記憶にはあります。

母は、なんだかいつも寂しそうで、満たされていない感じや儚い、あきらめ感がありました。
穏やかな人だと思います。
なかなか決められない。
内向的、消極的、自分に自信がない、自己肯定感が低い そんな人です。
母には母なりの生きづらさがあったのだろう。と思います。

この人たちがわたしを作ったわけですが、
わたしを愛してくれていたのかは、わかりません。
2023年5月に、両親はいまさら子どもを巻き込んで、別居しました。
母はいま、兄夫婦のそばで暮らしています。
わたしは、助け船は出しませんでした。
兄は依存があるのか、執着があるのか、同情かわかりませんが母を受け入れました。(このへんも
兄のすごい闇を感じます)
70後半にもなってなにしてんの?って思いますが

ヤマシタトモコさんの
「異国日記」を読むと
あ、わたしって孤独をずっと感じていたんだなとか
怒っていたんだな、とか
関わりをあきらめていたよな
と気づいたりします。

家族って、生まれてきたから、家族として大切にしようねってモノじゃないと思います。
家族になろうとする
家族でいることにあぐらをかかずに
いかに真摯に心の、血の通った関わりを作るか
それが家族にするんだと思います。

だから、親のことはこう考えてます。

わたしをこの世に生み出してくれた人
ただの生物学上の親。
それ以上も以下もない。
何も期待しないし、失望もしない。。
他人のような人たちなのです。

親が幸せに生きるかどうかは私が考えることではありません。自分で幸せになりたけりゃなれば良いし、不幸でいたいなら不幸でいたらいいと思います。

わたしはわたしのために生きます。



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