見出し画像

ひととの出会い

人との出会いとは、さも多種に渡る。
それは、時と場合により変わりもするがどれもこれも幸せになろうとする者ばかりと思われるが、たまにそうさせない者もいる。

人は何故、出会うのか。
それは『人は独りでは活きられない』からにある。

おぎゃーと産まれれば、母ちゃんと父ちゃんに出会い育てられ。先輩となる姉ちゃん兄ちゃんに会うかと思えば遊んでもらい。後に妹や弟に出会う事にもなりかまってしまう。かと思えば、母ちゃん父ちゃんのじじばばにも出会い頬を合わされる。それらは”独りでは活きられない”ほんのはじまりに過ぎない。

そして月日が経てば保育園(幼稚園)、小学校、中学校、高校、専門学校や大学、人によっては大学院へと人に出会いを拡げ知人等が増える。そんな出会いには良くも悪くも人の心を揺さぶる事が起きてしまうものだ。

その事を起こす人、起こされる人によりいろいろと心揺さぶりもするが、どのように心に揺さぶられるかはその時々でなければ予測もつかない。それらは少なからず人生に影響を及ぼすということ。

その影響がどれほどの”もの”かと言えば、それを起こされる側の心次第となる。起こす側は知らず知らずに起こしてしまった事であっても、それにより心を病(やま)してしまう人もいる。

何故、心を病すのか。
それはそれが”嫌”と思う事だからに他ならない。
その事を”出来事”ともいう。

心を病す

”嫌”な出来事は誰だって嫌だ。
と、思われるがそれはそれで違う場合もある。
それは、その起こされた人の心の受け止め方でどうとでも変わる事でもあるからである。

その”嫌”な出来事が自分の心で消化できさえすれば、特に何でもない事のまま終わりもするが、その”嫌”をどうにもこうにも消化できず心に引きずれば大変な出来事へと育つ。それが悪いかどうかは置いといて、”嫌”な出来事は嫌と誰でも判るから消化したくもなる。

その”嫌”を消化できずに心に引きずり残せば、さらなる事を感情が湧かしもする。それが心に重く伸し掛かり次第に心を病ます理由ばかりを考えている。人は何故、自分の心をそこまで痛め苦しめるのが好きなのか。いや。そうしたくてしている人はいないがそうしている。そんな中、3人に1人はうつ候補と言われているが出会いは誰にでありえること。だから、3人に1人と言えず誰もがその候補になる。何故そんなでも人と出会うのか。それは”独りでは活きられない”からに他ならない。だから、心を病ます事にも出会ってしまう。

好き好んでそうしている人はいないのは判っていること。それでも、心を病ます事を受け入れてしまった人は少なくない。そう受け入れてしまう理由は他ならない、出来事による”嫌”を消化する術(こたえ)が見つけれないことにある。だから、"人との出会い"を苦手とし結びつけ避ける新たな理由を作ってしまう。そもそも出会わなければ”嫌”な思いをしないと論理付け、本来解消すべき問題を棚上げしてしまう。それは何の解決にも解消にもならず。だから、繰り返す。記憶の中で今まで出会った人の事を思い出しまた出会ってしまう。

”人は独りでは活きられない”とは、出会った人でも記憶の中でまた出会ってしまう事も含まれる。人はどこまで行っても独りでは居られないのです。だから、人との出会いは避けられないのです。それは避ければ避けるほど記憶にいる”嫌”を起こした人と出会う回数を増やすだけとなるのです。それもそのはず、出会いを”苦手”と安易に論理(りゆう)付けて避けていては、その記憶の住人を解消できずに住まわせる理由とさせるのです。”嫌”と思う出来事は特に記憶に残し易いのです。その出来事を解消するにはその”嫌”と相反する事で中和するのが1番効果があるのです。それは”幸せに勝る事はない”がない事からも判るはずです。

出会い

嫌な事と好きな事。
不幸な事と幸せな事。
皆さんはどちらが良いですか。

それは”幸せに勝る事はない”方ですね。それは誰もが同じと判ってもいます。”嫌”な出来事となった記憶の中に住む住人を中和するに勝る事はないのです。”好き”な事を起こしてくれる住人に出会い増やせば中和もされるのです。それどころか”嫌”な記憶さえも経験に変え、その記憶さえも”思い出”に変えるのです。その経験から自分に必要な人と必要ではない人を感じ見分けるチカラもつき、少しずつでも”好き”を増やす住人を記憶の中に住まわせるのです。自身の心を不幸にするのも人なら幸せに感じさせるのもひとなのです。自身の心が本当にひとを嫌っているのか。そうではないはずです。自身に”嫌”と思わす出来事を起こす事を嫌っているのです。それを人と出会う事を”苦手”などと理由付け出会いを止めているのです。自分のこころを支えるのがひとなら、ひとを避ける理由はそこにはないのです。

”人は独りでは活きられない”

ひとはなんだかんだと言っても出会う事は避けられない事なのです。人は産まれた瞬間から出会いひとに支えられて来たのだから、人は独りでは活きられないのです。それは、幸せを感じるため産まれ、今の今までもこれからも、ひとと出会いから大切なひとを選び人生を共に歩むのです。”嫌”な出来事は自身のこころを育むためにあるのです。

人は”嫌”や”不幸”と思わす癖を持ちます。その癖は必要不可欠なのですが、その”嫌”を感情で解釈すれば出会いを苦手や人を避けるなど理由つくりに心囚われるのです。心の”嫌”を解消するにはその”嫌”のなんたるかを知り、その”嫌”を思い出や”好き”に変える術が大切なのです。必要不可欠と云ったのは、人は良い事も悪い事も知ることでひとは何を望み、相手も同じものを望んでいると理解を深めれるのです。その事を感情で拒否した時点でその学びを見失うのです。自分に起きる出来事等は理由でしかないのです。それに勝る幸せを感じれば幾らでも思い出に変えれるのです。ひととの出会いとはそんな意味があるのです。思い起こせば、この時から心の学びが始まったのです。良かれと思って作った理由が自身のこころの育みを阻害していることが多々あるのです。

感情で解釈する癖を感じたら一息つくのも良いです。

(心のカタチより)

#心のカタチ
#人は独りでは活きられない
#気持ち
#心の病
#いつも気持ちのままに
#ひととの出会い
#心を病ます
#出会い
#出来事
#苦手
#避ける

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?