見出し画像

全体主義に対抗する(3)凡庸な悪

 全体主義との闘いは,極めて困難なものです。しかし,それが人の道に外れていたり,自然の摂理に反していたら,いかに全体主義といえども永遠に続くことは不可能です。しかし,誤った全体主義が長引けば,長引くほど,人類への傷は大きくなってしまいます。ですから,私たちは,自分のできる範囲で抵抗しなければなりません。

 そのときにひとつの貴重な指針を与えてくれるのがハンナ・アーレント(1906-1975)です。アーレントはドイツ生まれのユダヤ人で,ナチスによって収容所に送られましたが,そこを脱走してアメリカに亡命し,アメリカで多くの著作を残した数奇な運命を辿った哲学者です。すでにこの世を去って久しいですが,今でも根強い人気があり,映画にもなりました。

 アーレントは,自らがナチスの迫害を身をもって体験したこともあって,全体主義の本質の解明が彼女のライフワークでした。全3巻の『全体主義』という書作をはじめ多くの業績を残しています。なかでも,ナチスのユダヤ人虐殺の首謀者とされるアイヒマンについては裁判を傍聴して書籍化した『イェルサレムのアイヒマン』では、アイヒマンは本質的に悪人ではなく,思考を停止して命令に従っただけの「凡庸な悪」であると主張して,世界的な物議を醸しました。ユダヤ人社会から強く非難されましたが,彼女は挫けませんでした。

 つまり,ナチスに加担した人々は,根っからの悪人であったわけではなく,自分自身で思考することなく,ただナチスに従っただけで,彼女は、自らは思考停止して何かに従う行為そのものを「凡庸な悪」と称したのです。これこそが全体主義の正体です。そう考えると,同調圧力に屈することは,それだけで全体主義へつながる悪になります。驚くべきことに,ナチス支配下のドイツにおいて,大多数の人々が,自ら思考することなく,ナチスに従ったとアーレントは記述します。

 「私たちのあらゆる経験が教えているのは,ナチス体制の初期の知的かつ道徳的な大変動に影響を受けず,それでいて最初にこれに屈したのが,尊敬すべき社会の人々にほかならなかったということです。これらの人々は,ある価値の体系を別の価値の体系に置き換えたにすぎないのです。」(アーレント『責任と判断』ちくま学芸文庫)

 この「尊敬すべき」社会の人々とは,官僚や専門家あるいは宗教家など社会を担うリーダーたちのことです。これらの「尊敬すべき」人々こそ,「凡庸な悪」の巣窟だったわけです。

 「ヒトラー体制において「尊敬すべき」社会の人々が,道徳的には完全に崩壊したという事実が教えてくれたのは,こうした状況においては,価値を大切にして,道徳的な規格や基準を固持する人々は信頼できないということでした。わたしたちはいまでは,道徳な規格や基準は一夜にして変わること,そして一夜にして変動が生じた後は,何かを固持するという習慣だけが残されるのだということを学んでいます。」(同上書)

 これはまさに現在世界中で起こっていることです。1年前には開発もされていなかった薬を,長期的な影響については何も分かっていない状況で,全人類に打ちまくるよう強制するなんて,「尊敬すべき」社会の人々がするなんて本当に信じられないような出来事です。しかし,実は彼/彼女らには,中身がなく,何かを信じたいという意識だけで行動しているとしたら,このような行動も十分理解できるでしょう。しかし,彼/彼女らこそ、凡庸な悪の象徴であり、抵抗しなければならない対象です。ナチス支配下でも,このような「凡庸な悪」に抵抗した少数の人々は存在したのです。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?