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研究と実践の往還こそ使命であり喜び|町田樹|私が学ぶ私的な理由

学ばなければではなく、学びたい、知りたいから学ぶ。自身の体験や問題意識に基づいた理由があると、学びはもっと豊かになる。学び直す道を選んださまざまな職業人に、学びのスタイルと「私的な」理由を伺います。

2014年ソチ・オリンピックに出場した日本を代表するフィギュアスケーターの一人、町田樹さん。同年12月に競技者を引退し、セカンドキャリアとして選んだのは研究者の道でした。2020年10月に國學院大學人間開発学部に着任し、2024年4月からは准教授として活動しています。

フィギュアスケートや新体操といった芸術的側面を持つスポーツを「アーティスティックスポーツ」と名付け、経済学、法学、社会学、芸術学などさまざまな学問領域を横断しながら探究しています。また、解説者やテレビ番組の企画制作、バレエダンサー、振付家など、研究者の枠にとどまらない幅広い活動も印象的です。

アートとスポーツ、研究と実践が重なる汽水域に身を置く町田さんの「私的」な理由とは——。

内・外の目を複眼的に備えて見えたこと

——町田さんの研究内容を教えてください。

私が長らく身を投じてきたフィギュアスケートは、スポーツでもありアートでもある、いわばスポーツとアートの汽水域にあります。こうした領域の文化はこれまで学術の世界で死角となってきました。スポーツ科学の領域でも研究されてこなかったし、逆に芸術学の領域でも見過ごされてきた。そこでこうしたジャンルをアーティスティックスポーツと定義し、それにまつわるさまざまなことを研究しています。

——なぜそういう研究を行うようになったのですか。やはり現役時代の経験が大きいのでしょうか。

もちろんそうです。業界に長く身を置いているといろいろな問題が見えてきます。加えて関西大学で学部生として過ごし、少しずつ学術的な知見を身につけるにつれて、それまでは気づかなかった問題も見えてくるようになりました。それまでは自分自身がフィギュアスケーターとしていい成績を残すべく頑張ってきたわけですが、自分が身を置いているこの世界には、今すぐにでも解決しなくてはならない喫緊の課題が山積していることに気づいたのです。

——具体的にはどんな問題がありましたか。

たとえば、日本では今、経営難などの理由で全国的にスケートリンクが閉鎖されていっています。練習の環境がどんどん少なくなっているのです。
あるいは、これはフィギュアスケートやアーティスティックスポーツに限りませんが、「女性アスリートの三主徴」と呼ばれる問題があります。女性アスリートには過度なダイエットをする人が多いです。そうすると栄養不足で月経が止まり、それに紐づいて骨粗鬆症が起こり、怪我をしたり精神疾患を発症したりします。その結果、競技をドロップアウトしてしまうという健康問題が起きています。

——学術的な知見を身につけるまでは、そうした問題は見えにくかったということですか。

業界の中にいるからわかることは確かにあります。仮にそれを〈内の目〉としましょう。ところが、業界に長くいると、業界外の常識からすれば考えられないような慣習を普通だと思い込んで過ごすようになる。そういうバイアスが〈内の目〉にはあります。それゆえ、私は選手として20年以上も業界にいましたが、いろいろな問題に気づくことができませんでした。

学術的な知見を身につけるというのは、こうした内の目のバイアスを外す、いわば〈外の目〉を養うということです。内・外の目を複眼的に備えて業界を見直すことで、初めて顕在化する問題があります。
 
こうした問題の解決方法には、コーチになる、統括組織に入って競技の運営側に回るなどいくつかの選択肢があります。その中で私は、学術の力で解決したい、学術の研究をすることで問題解決に貢献したいと思いました。それで学部の卒業後は早稲田大学の大学院へと進学しました。

学際的手法だからアプローチできる汽水域

——大学院ではスポーツマネジメントを専攻しています。マネジメントというのは少し意外でした。

私が見てきた問題、たとえばリンクの問題だったり選手の健康の問題だったりは、ものすごく巨視的に見るとマネジメントの問題だと言えるのです。

——どういうことですか。

たとえば、女性アスリートの健康問題について考えてみましょう。私は医学に詳しいわけではないですが、仮に医学的手法でこの問題を解決したとしても、なぜその問題が生じるのかという根っこを解決しない限りはまた同じことが繰り返されてしまいます。根っこというのはたとえば、高難度ジャンプを跳ばなければ勝てないといった今の激しい競技構造などのこと。そうした根本にアプローチするのがマネジメントです。リンク経営の問題はよりわかりやすくマネジメントの問題だと言えるでしょう。

——修士論文は著作権に関するものですが、これもマネジメントに関係しているのでしょうか。

フィギュアスケートがアーティスティックスポーツであるとはつまり、選手の演技プログラムは一つの作品でもあるということです。一般に、人の思想や感情を表現したものは著作物として著作権法でその権利が守られています。ところが、これまでのフィギュアスケート業界ではプログラムを著作物・知的財産として捉え、マネジメントしていくという観点は皆無でした。

——そうなんですね。

従来のフィギュアスケーターのプログラムはオーダーメイド式に作られていました。たとえば「荒川静香さんのトリノ五輪のトゥーランドット」というように。そうすると、荒川静香さんが踊らなくなったらその作品は永遠に表に出ないことになってしまいます。それはあまりにもったいないですよね。

著作物として扱うと、そこに作品再生産の可能性が生まれます。たとえば、ベートーヴェンの「第九」は生み出されてから約200年が経った今もいろいろな楽団によって演奏されています。そうやって作品が再生産されることでお金が生み出され、次世代の音楽家育成にもつながっています。

アーティスティックスポーツにおいても同様のマネジメント手法を取り得ることを証明したのが私の修士論文です。つまり、これから10年20年50年の長期的視野で競技のビジョンをどう定め、マネジメントしていくのか。私はそういうものとしてこの問題を捉えたわけです。

こうした諸々の問題は、医学、経営、法律など、それぞれ別の分野の問題として捉えることもできますが、一人の人間が学べることには限界があります。これらの問題に総合的にアプローチするにはどうすればいいかと考えて、私は早稲田大学大学院のスポーツマネジメント専攻に進学し、研究を始めました。

町田さんの研究成果は書籍としても出版されている

——専門性が多岐にわたっているのはそういうわけなんですね。

その通りです。要するに私がやっているのは学際研究(※)です。そして、マネジメントというのは本来的に学際領域なのです。法律のことも扱えば、組織マネジメントも選手のメンタルヘルスも扱う。そうした研究が許されている領域を選んだということです。

※単独の学問だけでは解決が難しい課題に対して、異なる学問や専門領域を横断して行われる研究のこと

私は「アーティスティックスポーツはスポーツとアートの汽水域にある」と言いました。これは、スポーツでもありアートでもある、裏を返せば、スポーツでもなくアートでもないということです。こうしたいろいろなものが混ざった汽水域には単一の学問領域ではアプローチできません。

アーティスティックスポーツに限らず、白黒つけられない、アイデンティティのはっきりしない領域というものが、世の中には実はたくさんあります。一方、従来のアカデミアは学問分野による縦割り組織であることが多いです。最近は文理融合などの例も少しずつ出てきていますが。学際研究ができる場所、あるいは学際性を持った研究者を育てる場所が、現在の大学にはあまりありません。

アーティスティックスポーツについて掘り下げていくことにより、スポーツとは何か、アートとは何かが浮き彫りになるというように、アイデンティティのはっきりしないところを掘り下げることによって初めて見えてくることがあります。学際性というものの可能性を見直すことが、これからのアカデミアにとってとても大事になってくると思っています。

——町田さんは研究者以外にも解説者、テレビ番組の企画制作、バレエダンサー、振付家などさまざまな顔を持っています。なぜこれだけ幅広い活動に身を投じるのですか。

私の研究の80%以上は実学ですから、机上の空論では意味がありません。現場から問題や課題をテーマとして掬い上げ、それを研究し、その成果をまた現場に返す。研究成果をいかに実践の現場に還元するかまでを考えることが、研究者の使命だと思っています。研究と実践は私にとって車の両輪だということです。先ほど挙げていただいた肩書きもすべて、研究成果を実践の現場に還元するという構想の下にあります。

——もう少し詳しくお聞きしたいです。

たとえば解説者としては、スポーツマネジメントの研究はもちろん、舞踊学や比較芸術学といった手法も用いてフィギュアスケートの芸術性を解説しています。そうすることにより、視聴者は「こうすればもっと深く見られるのか」「この選手のクリエイティビティにはこうした背景があるのか」というのがわかるようになります。鑑賞者教育によってフィギュアスケートを楽しんで見られる人が増えれば、業界の活性化にもつながるかもしれません。つまり、これもマネジメントの一つです。

同じように、芸術学の知見を活かしてフィギュアスケートやバレエの振り付けも行っています。たとえば、私が用いる手法の一つにアダプテーションと呼ばれるものがあります。これは、文学や映画、舞踊などの作品をフィギュアスケートの作品として作り替えることをいいます。研究の成果や芸術学の理論を用いることにより、従来はあり得なかったような作品を作ることができる。それによって業界の創作の質を上げていくことも、マネジメントの実践の一つと言えるのです。

——そうした地道な活動を続けてきたことで、最初に挙げていただいたようなフィギュアスケート業界の問題解決はどの程度進んでいますか。

いまだ解決されたとは言い難い状況です。特に経済規模の縮小は今後さらに進んでいくのではないでしょうか。それを防ぐには、業界として10年先、20年先、あるいはもっと長期のビジョンを新たに構築する必要があるでしょう。

こういう道もある、というものはこの8年間で示してきました。たとえば、先ほどのコンテンツマネジメント(≒著作権)の話もそうです。まず「こういうマネジメント手法をとり得る」ということを論文で証明した上で、それを実践に移す取り組みとして「継承プロジェクト」というものを行っています。私が振り付けた著作物としてのプログラムをほかの人に踊ってもらう。そのことにより、作品は踊り手を変えて何度でも再生産できるということを実践でも証明する。そういうかたちで新しいマネジメントのあり方を示してきてはいます。

——それでも現場の課題解決はあまり進んでいないんですね。

それを実際に採用するかどうかは業界次第です。私はあくまで「外」の立場の人間なので、中に対してとやかく言う立場にはありません。

業界としてこの先を盛り上げていく上で忘れてはならないのは、フィギュアスケートは野球やサッカーのようなメジャースポーツではなく、マイナースポーツであるという視点です。先ほどはアーティスティックスポーツという括りでフィギュアスケートを語りましたが、経済規模の縮小や業界の活性化を考える上では、マイナースポーツという括りも考えられます。新たにそういうかたちで課題を立て、研究を重ねることで何らかの成果が導き出されたら、その成果はマイナースポーツ界全体に敷衍(ふえん)できるかもしれません。

ここに研究者の重要な使命があります。研究者は、たとえばフィギュアスケートの現場から課題を抽出し、それを学術的に研究し、問題解決なり理論なりを生み出したとしても、それをただちに業界に還元するわけではありません。その成果を一回、一般化するのです。そうするとフィギュアスケート業界だけではなくアーティスティックスポーツ界、あるいはマイナースポーツ界全体に成果を還元できます。この一般化・理論化こそが研究者の腕の見せ所。そういう知を生み出すのが使命だと思っています。

——この連載には「私的な理由」というタイトルがついているのですが、ここまでお話を伺っていると、町田さんの活動の動機は私的というよりパブリックな色が強いように感じました。

そうかもしれませんが、別の見方もできます。実践現場で得たこと・見えたこと・気づいたことをアカデミアに吸い上げ、研究者・町田樹として研究し、その成果をまた還元していく、これらの取り組みすべてが私の生きる喜びでもあるからです。この絶え間ない往還が私の今の人生になっている。そういう意味では私的な理由と言うこともできるでしょう。実際、私には趣味らしい趣味はほとんどありません。食べるか、寝るか、仕事をしているか。けれどもそれが結局、私の生きる喜びになっているということです。

意義や価値を見出せば人は強く前に進める

——世の中では今、学び直しの必要性が語られていますが、その多くが「仕事に必要だから学ぶ」「学ばなければ生き残れない」というメッセージであるように思います。最後にこうした学び直しやリスキリングについての私見を聞かせてください。

勉強とひと口に言ってもいろいろな種類があります。たとえば、必要な資格を手に入れるための勉強や収入を増やすための勉強は、おっしゃるように、もしかしたら楽しくないものかもしれません。

重要なのは、なぜ収入を増やしたいのか、なぜ資格を取りたいのか、というところではないでしょうか。それを明らかにするのには、おそらく自分との対話が必要になります。多くの人が目先の目標や、そのための学びで止まっているように思います。なぜ収入を増やしたいのか、増やしたら何ができるのか、どうして資格を取りたいのか、何をしたいから資格を取るのか……そういう自己対話を突き詰めた先に生きがいが見つかることもあります。ですから、まずはそれを発見することです。

それが見つかったら今度は逆算して、この生きがいを手に入れるためにどんな学びが必要なのかを考える。そうやっていった先の学びはものすごく楽しいものだと思います。単に収入を増やすための学び、資格を取るための学びという義務的なものとは違います。さらにその先があるはずなのです。

かく言う私も今になって「もっと中学高校で勉強しておけばよかった」と後悔しています。ですがその当時は勉強する意義、価値を見出せていなかったわけです。意義や価値を見出せば、人間は強く前に進むことができます。アスリートもそうですし、研究者もそうです。行き着きたい境地、目標があるからアスリートは血を吐くような努力をします。研究者も解決したい課題があるから寝る間も惜しんで研究をするわけです。

——最近は自分がどうなりたいのかというビジョンが見えない人が多いと聞きます。

学生と接していてもそう感じます。そういう場合は雑食です。選り好みせず、いろいろな情報に触れ、幅広く勉強をする。そうするとどこかのタイミングで化学反応が起きて、何らかのビジョンが形成されたり見つかったりします。私も元来は雑食がモットーです。読書や音楽でも、苦手だったり興味がなかったりするジャンルも意識的に摂取するようにしています。いろいろな視点、いろいろな分野の知識を蓄積することで、課題に気づきやすくなったり、イノベーションの種を見つけやすくなったりするからです。

そうしてビジョンが見つかったら、今度こそそのビジョンに向かった勉強をすればいい——。というように、雑食的学びと目標追求型の学びの二つを循環させるのがいいかもしれません。

——町田さんのように進むべき道、アイデンティティがしっかりしていればそこに向かって勉強すればいいけれど、勉強というのはそれがまだない人が見つける方法でもあるということですね。

アイデンティティということで言えば、私の人生はむしろずっと未確定、あるいは確定できない状態でした。時折、スポーツ界からは「フィギュアスケートなんてスポーツではない」という声が聞こえてきます。一方で、アート界からは「あれはB級芸術、エセ芸術だ」とフィギュアの芸術性が認められないこともあります。アスリートでもなければアーティストでもない。では自分は一体何者なのかというように、スケーター時代にはアイデンティティ未確定の状態にすごく悩みました。そこに忸怩たる思いがありました。

実は、学問の世界に身を置く今でも私のアイデンティティは未確定のままです。学際的で、専攻が一つに定まらないがゆえに「私は文学者です」とも「経済学者です」とも名乗ることができない。ですから自己紹介のときはいつも困るのです。そこでもまたアイデンティティが揺れています。

それはもちろん弱点にもなり得ますが、一方でそれゆえの強みもたくさんあります。こうして何年もアーティスティックスポーツの研究を続けてきた今思うのは「汽水域だからこそ面白いじゃないか」ということです。アイデンティティ未確定の汽水域に存在することの可能性。今にして思えば、それこそが私という人間の強みなのかもしれません。

町田樹
1990年生まれ神奈川県川崎市出身スポーツ科学研究者。振付家。スポーツ解説者。3歳からフィギュアスケートを始め、24歳で競技者を引退。現在、國學院大學人間開発学部准教授。2020年3月、博士(スポーツ科学/早稲田大学)を取得。専門は、スポーツ&アーツマネジメント、身体芸術論、スポーツ文化論、文化経済学。

執筆:鈴木陸夫/撮影:金本凛太朗/編集:日向コイケ(Huuuu)


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