祖母と雛人形
父方の祖母は私が一歳になってすぐに亡くなってしまったので、自分の記憶にはないのだけれど、とても可愛がってくれていたという話はよく聞かされた。
孫たちのことを、お宝、お宝と言っていたらしい。それは国や社会、親や家族という◯◯にとってのお宝という意味でなく一つ一つの命が慈しまれるべき存在だということじゃないかと、そういう気持ちから言っていたように思う。
祖母に直接意図を訊くことはできないけれど、穏やかで誰かのことを悪く言っている所を見たことがないような人だったらしい。父が言うには自分たち兄弟の個性の違いをよくわかっていて、それぞれの個性を大切に育ててくれたようだ。祖母自身は早くに親が亡くなってしまって自分の親を知らず兄弟もなく、祖父母に育てられている。
そういった祖母を知る人たちの話を聞いて想像する人柄からお宝という言葉にはただただ命への慈しみの現れと感じるのだ。
写真の姿は背丈こそ違うけれど、顔は私と似ていて歳を重ねていけば私は祖母にもっと似ていくのかもしれない。
人格も似れば良かったのだけれど、随分違う道を選んでしまったようで祖母の境地には至れないまま、業もあれやこれやと抱えてしまってるように思う。
記憶がない私にとって祖母との繋がりが形で感じられるものは贈ってくれた雛人形だった。
それを近いうちに供養に出すことになり、寂しいけれど、いつかは誰かがすること。
物も命も離れる時がくるのだ。
話してみたかった。
無理とはわかっていても、もし今の年齢の今の自分の言葉でも祖母と言葉を交わせられたら、どんな話ができただろうか。
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