見出し画像

”ポジティブの暴力“から身を守るために。

メンヘラ転職にしろ、失恋にしろ。
傷つき心が弱っているときに目にする“ポジティブで可愛くしたたかに生きるキラキラメソッド”ほど、暴力的なものはない。一方的に全力で殴られているような感覚になる。しかも、正しいのはあちらさんなのだ。元気で前向きで、ある程度成長意欲を持っている瞬間には、輝いて見えるとしても。

自分を愛そう
辛いときこそ笑顔で
ご褒美タイムで心に栄養を
人に優しく

などのキラキラメソッドは、目に入って来るだけで弱った心を痛め付ける。昨今SNSにはびこるポジティブの暴力は、正直、目に余る。

そもそも弱った心は、攻撃的になりやすい。ポジティブの暴力を受けたとき、弱った心に起きる現象は大きく二種類に分けられる。

「ポジティブを発信した相手の粗を探して、反撃しようとする」か、「それ以上傷つかないために自虐する」かだ。

どちらにせよ、ポジティブの暴力によって弱った心が一度傷つくと、内心の自虐や反撃によって、その後二重にも三重にも傷つくことになる。
特に自虐的になりやすいタイプの人間(私もそう)は、ポジティブの暴力に弱いと思う。
相手へ反撃したくなるタイプは、相手から距離を取ることで、傷つくことからも反撃したくなることからも解放される可能性が高い。
ただ、自分と距離を取ることは難しい。特に心が弱っているときは自分を癒すためにある程度寄り添うのも大事なのだから、なおのこと。

ポジティブの暴力から身を守るために大事なのは、ポジティブが暴力になりうると分かっておくことだと思う。
善良なものに傷つくこともある。正しいものが私を傷つけることもある。優しい人を好きになれない自分がいても良い。無知な優しさは刃だと。優しさや善良から自分を守っても、良いんだよ、と。

ポジティブは暴力になりうる。
優しさも
明るさも
労いも。
その背景にどんなに善良な想いがあろうとも、他者である以上、それが暴力になりうる。

自分の中にも、そういう暴力性がある。

それらが暴力になりうるとさえ分かっているなら、事前に距離を取ることもできる。SNSなんて持っての他。友達のメールに無理に返信する必要はないし、優しさが暴力に感じられてしまいそうな時は優しい人から離れても良い。

それを分かってさえいれば、ポジティブの暴力が、本当は暴力なんかじゃないことも理解できる。

そして、自分の優しさや明るさが、他者への暴力になってしまうと、省みることもできる。「優しく声をかけてあげたのに、あんな態度失礼ね!」「絶対に私が言ったようしたほうが良いのに!」なんて、自分の中の正義が暴走しないように。

そうならないためにも。
これ以上傷つかないためにも。

優しさも
明るさも
善良な労いも。
ときには暴力になりうると、私は確かに、改めて明確にここに自覚したい。

同時に、優しさや明るさや善良な労いを届けてくれる大切な人たちに心から、ありがとう。
ときおり、その優しさをそのまま受け取れないことがあって、ごめんね。私の優しさも、あなたが受け取れるときにだけ、受け取ってね。

私はあなたたたちが、だいすきです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?