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10/21 おでんを食べた。


今日も気力が湧かなかった。
パフォーマンスがいつもの1/3くらいに落ちてる感じ(いつももそんなに高くはない)。
爪が凸凹し始めた。こうなる時は相当ヤバめの時だってわかっている。おくすり飲んで正解。
なんでもかんでも薬に頼りゃいいってもんじゃないけど、個人的には抗うつ薬を開発した人の栄誉を讃えて声高々に表彰したいと思う。
、、、とことん落ちてることもあり、延々と暗い話をしていきそうな気配がするので、おでんでごまかす。
写真の具からどこのおでんか分かったあなたはおでんツウ!!

やっぱおでんは大根でしょ


用事があって外出した帰りに、おでん屋さんの暖簾を見つけた。直観でびびっときた。
いくらメンタルが死んでいようが、凸る勇気さえ失ってしまったらいよいよおしまいだっておもった。なぜか。
だから凸った。
ちょっと入りづらかったけど、こういう時は大抵踏み出してみた方がいい。
案の定、気さくな店主と常連さんに囲まれてほっこりした。

もつとイカフライ。

同年代の人はちょっと苦手。
仲良くなりたいとか、ちゃんと恋したいなとか、そういった願望はあるけど、「嫌われないように、失敗しないように、、」となって疲れる。
好かれたいという思いが強い分きんちょーしちゃうんですね。
故に小洒落たカフェなんかよりもじいちゃんばあちゃん達が集うローカルな定食屋に凸る方が圧倒的にハードルが低い。(でもカフェは好き)
大抵可愛がってもらえるし。
ばあちゃん達に可愛がられる特性だけなら誰にも負けない気がする。それだけなら。

自分語り

ということでほぼ何も出来ん1日だった。
何もしてないけどエネルギーが切れてた。
やっぱりちょっとおかしいな。
1日ぼーっとしてもいいやって日を作りたいんだけどねほんとは。。
気持ちが急いてしまってどうにも。
なんか鬱っぽくなってると自分を奮い立たせるよりも自己否定してる方が気持ちが楽ってことに気がついた。
奮い立たせるのってエネルギー使ってたんだなぁ。
今の追い込まれ方は浪人の時とやっぱり似てる。
受験と卒論。大きな節目が来るとでっかいプレッシャーで潰されそうになって、それが不安障害強迫性障害のトリガーになってタヒぬ。
それらの症状でさえ自分を守る言い訳に思えてきてさらにしんどくなる。
受験の時に感じていたのは親からのプレッシャーだったはずなんだけど、医学部受験多浪っていう頭麻痺した人が集まる籠の中にいて感覚がバグっていたこともあって、まだ正気を保てた(のか?)
(医学部には行っていません、途中で何を目指しているのかよく分からなくなって逃げました😞)
しかも相手が身内だったからなんとか。
でも相手が他人であったり、自分ができなかった分2月の卒論発表会の際に自分にわかりやすく返ってくる今の状況の方が結構キツい気がする。
ストレスかかると記憶なくしがちだから今のことも朧げにしか覚えられないんだろうなぁ。 
同じような苦しみ方をしてるから、何か対策しなきゃいけないんだろう。
でも対策する気力がない、ものが考えられない
苦しむ時期と、苦しまないように準備する時期
それだけで人生が終わりそうなんですが、。
「今を楽しもう」と言いますが。
その分後々大ダメージを喰らうこともあるんです。

ちょっと異文化感じた話


あ、昨日はゼミでした。
前日抗うつ薬(レクサプロ)飲んでからちょっと調子良くなって、計画書をそこそこうまく作れた。でも結果思わしくなくて、トイレに篭って号泣した。😇
実際に抗うつが効いてくれるまではもう少し時間がかかるだろうか。
その後アジア圏から来てる留学生2人に励まされてた。これがちょっと面白かったから紹介()
ある国から来た学生には
「泣いてもなににもならないんだ。強くあれ!戦え!」
とゴリゴリの精神論で諭された。ありがとう😇
またある国の学生からは
『他人に弱みを見せたらつけ込まれるぞ。どんなに辛くても家で泣けばいいんだ。他人の前ではいつだって笑うんだ」
と。やっぱり過酷なサバイバルを生き抜いてここまできたんだなぁ、って思った。
文化の違いを感じて勉強になった。

ただちょっとぐずぐずと考えていたことを書かせてください。
どちらの言葉も本当にありがたいなぁって思った。
正論だとも思った。わかっている。
折れたらおしまいなのだ。
社会では仕事ができる人が評価される。
当たり前のことだし、疑う余地もない。
人のせいにして、世のせいにして、自己憐憫に浸ったらそこで終わりなのだ。
もう立ち上がれなくなる。
戦い続けるしか道はないのはわかっている。
ただ、それは強者の論理、ってやつじゃないか。
心のキャパは人それぞれ。
とりわけ繊細で感受性が強いと、すぐにそれが一杯になってしまう。
一杯になると、そもそも立ち上がれない。
対策を練ることもできなくなる。
もうなんというか、物理的に。
立ち上がれない。心は悲鳴をあげていて、心臓も痛む。
けど、泣いて周りから「ああかわいそう」なんて言われたところで何にもならない。何も解決していない。結局のところ自分の人生の責任を取れるのは自分しかいないし、本当の意味で自分を助けられるのは自分だけなのだ。
泣いても仕方がない。けど立ち上がれない。
その間で心がどうにも動けなくなって、最後には壊れるんだと思う。
しかも日本には村八分の名残がある。
悪い面ばかりではないけれど、この時ばかりはそれがマイナスに働く。
「戦えないし逃げられない」という板挟みかつ繊細である故に人の評価が気になるというダブルバインド状態。
「普通に」生活が送れる人からしたら、何でそんな状況になるか想像もつかないかもしれない。
「めっちゃ自分不幸、かわいそうでしょ」ってことを言いたいわけではない。
被害者ぶっても何にもならないのは既に学んだこと。
ただ実際に、事実として、繊細で色々なものを感じ取ってしまう人たちから順に心が壊れていくんだと思う。
どうしようもない
生まれたからには、生きるしかない。
死んだら周りの人の心に傷を残すかもしれないから。
川上未映子さんの「夏物語」に出てきた、すやすや眠る10人の赤ちゃんの描写を思い出す。
この10人のうちの1人が、苦しみに満ちた人生を送らなきゃいけないかもしれないと分かっていて、それでも起こしますか?って話。
苦しいのに、生きなきゃいけない
生まれながらにしてそんな業を背負わされている。
残酷すぎると思う。
とかいいながら子供好きだからどうしようもない。

国の話に戻ると。
貧しい暮らしを味わって生きてきて、そのうえさらに過酷な生活になるとわかっていて。母国にいる家族のために単身日本にやってきて、覚悟を持って今戦い続けている。
本当に凄いことだと思うし、想像を絶するプレッシャーなんだと思う。
自分なら耐えられないかもしれない。
それでも、守るべき人がいる人は強いっていう側面もあるんじゃないかな、とも思った。
物が足りていないなら、答えはシンプルで。
その欲求を満たすために命をかければいい。
家族のために。
じゃあ、今の日本ならそれはどうなんだろう?
食べるものには困らない。どれだけ失敗しようが、最低限生きていけるレベルの生活は保証されている。
そんな時代で。でも先行きは暗くて。
失敗しないように、安定した暮らしが手に入るように勉強するように散々親や周りの大人に刷り込まれて。きっとみんな不安だから仕方ないんだけど。
そんな中で、どうやったら戦うだけの覚悟を持てるのか。
日本人は頑張る動機の奥底にあるものがネガティブでありがちな気がする。世間知らずの若僧の主観ですが。
...話が逸れたし結局世のせいにしている😇
何が言いたいのか分からなくなるしこんなんだから研究うまくいかねぇんだよぉ。。。
でもこういうことなら延々と書いていられるんですよね。本当に。こんな私に向いている仕事ありませんか()

やさしいひとたち

あと他のメンバーもフォローしてくれました。
やさしいひとたち。感謝感謝
いつまで他人の好意に甘えてられるのかな
それが出来なくなった時が、おわり、なんだろうか

おわり

p.s. INFJってタグつけると見てくれる人増えそうな感じするからつける。
noteにもやさしいひとたちがたくさんいる
から、ぼちぼち続けてみます。
生きてるだけで丸儲けらしいよ

あとレクサプロってびっくりするくらい食欲なくなりますね。びびった

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