ドキュメンタリー『おにい~筋ジスになって絶望はないの?機能不全家族の妹が問う〜』あとがき 8年公開できなかった事情
監督のKomedaです。
ここではドキュメンタリー『おにい~筋ジスになって絶望はないの?機能不全家族の妹が問う〜』のあとがきを掲載しています。
予告編
あとがきにはこの作品で伝えたいこと、8年以上も作品を一切公開できなかった理由や公開に至った経緯と今後の思いを記しています。
見る人によっては作品の印象に影響したり見苦しいところもあるかもしれません。何卒ご了承の上でご覧ください。
🔴機能不全家族についての表現があります。具体的に言われたこと・されたことを書いていますのでフラッシュバックのトリガーになる可能性があります。体調が優れない方やセンシティブな方はご注意ください。
🔴主人公 おにいについて、機能不全家族の面を詳細に記しています。本編の印象からギャップを感じるかもしれませんので、本編のままの印象を保ちたい方は閲覧しないことをおすすめします。
🔴誤解がないように補足。
身体/精神障害者が家族にいることが全て機能不全家族になる訳ではありません。
家族のカタチも人間のカタチもそれぞれです。障害者であることが、性格や家族を必ず歪ませる原因ではありません。
はじめに
『おにい』のオリジナル版(学生作品)の公開は2014年。
当時は受賞やテレビ放送などをしていただきました。
その後、8年以上一切公開されず人目に触れないよう封印されたのですが、ここでは公開に至った経緯と、私の葛藤や成長について記したいと思います。
・・・
本作はふつうに生きることに悩める全ての人のために制作しました。
社会には「ふつう」という重圧があり、それに苦しんでいる人が現代にはたくさんいると痛感しています。
私もその中の一人です。
私と家族は義絶しています。
なぜ義絶してるのに作品を公開するのかをよく聞かれるので、その点についても書きたいと思います。
平たく言うと、
他人になったからこそ、「おにい」の強さも弱さも含んだ生きる力を率直に感じました。
なによりも、筋ジストロフィーという重病を背負った人間が身内だったので、障がい者の抱える社会・私生活の課題はとても身近であり、知ったからには知らんぷりできない問題だと感じたのです。
そして、私が経験した機能不全家族…劣悪な家庭環境によって苦しんでいる人のことも課題感を感じています。
余計なお世話かもしれませんが…こうして発信することと作品を通して誰かの糧になればと願って、公開に至りました。
補足)
家族構成…父、母、姉、兄、私
備考…姉は精神疾患や自●未遂など。
父と兄は衝突が多く、不干渉でありながら依存心が強かった印象。
私は料理などの家のことを積極的にしたり、母の精神面のケアも担ったり、していました。
名前のない家事、という言葉がありますね。
家族ケアにも名前のあるケアと名前のないケアがあります。
ただ、母や兄をはじめ家族からは「家のことはお前が勝手にやってた(妹がやりたくて)だろう。家族のせいにするな」と言われましたので、見方を変えれば、わたしは私の居場所を作りたいがために自己犠牲的に家族に奉仕していたのかもしれません。
辛い思いをすればするほど、やってる感を感じるというか。
生き心地がするというか。
最終的に家庭崩壊するのですが、今回は割愛します。
いつか別の記事で紹介できればと思います。
家族からの評価
これまで一切公開できなかった理由は2つあります。
まず1つめ…
受賞やテレビ放送を通して家族の評価について。
⑴ 家族からの評価(主に兄・母)
「自惚れるなよ」
「屈辱的」
「評価してくれた人が凄いのであってお前は凄くない」
「こんなに出来ない奴だと思わなかった」
「お前は世間知らずで無知」等
それで、こういう評価を受けて「私はとんでもない事をしてしまったんだな」と反省しました。頭を下げた記憶があります。
完全に「やってはいけないことだった」と思ったので、作品は決して表に出さないようにと心に決めました。
なので、2022年現在まで本作のことは他人に聞かれない限り話さずに隠していましたし、自分の実績紹介でも隅っこに名前だけ載せるくらいでした。
さて…
機能不全家族・毒親というものは複雑なことに、言葉の裏には「お前を心配して言っている。お前のためを思って言っている」という意味が含まれています。
本人たちは相手を傷つけている自覚はありません。
歪んでいても愛情は愛情なのです。
また、世間的には「家族愛は絶対的な存在」という風潮もありました。
そのため、学校や友達に家庭環境について相談したことがありましたが「それでも家族は愛し合うものだから」と諭されるのが常でした。
一般論で、よく言われた言葉がありました。
「あなたが大人になって」
「ご両親も大変だから」
「どこの家族もそんなもの」など
特にキツかったのは…
「あなたがもっと家族と向き合ってあげたらいいんだよ。許してあげなさいよ。みんな頑張ってるから!あなたももっと頑張らないと!」
という言葉でした。
記憶があるのは小学校4年生くらいには、先生に渡す連絡帳ノートに「家族がしんどい、生きるのがしんどい」と書いていたのはよく覚えています。
とくに何かアクションがあった訳でもなく、スルーでした。
小学生なんて相談相手は祖父母か先生か友達(こども)だったのですが、「親の事を悪く言うなんて」と逆に祖父母から諭されました。
そこから、ずっと高校生になるまで「うちが悪いんだな。悪い所直そう。よっしゃ頑張ろう」という感じで、精神が麻痺していった感じです。
まぁ、精神が麻痺すると、どっかしら不調は出てきました。
中学生の時、不眠症や自傷も始まったり。
その時父親が言った言葉が印象的で
「死なへん程度にやりや〜」でした。
(姉のこともあり、父は父でたぶんキャパオーバーだったのでしょう。かける言葉が見つからなかったのだと思います)
それから、おしゃれしたりスカート履いたりすると
母から「男ひっかけにいくんか」とか
父から「死んでも子供産むな」とか
姉から「ほんまに不細工やな」とか
兄から「脂肪の塊」と言われたり、なんか…そういう日常でした。
ちなみに、これ等を祖母と学校の先生に相談したところ
「聞き間違いでしょ。アハハ!」と笑われました。
それで、最終的には「家族のことは…あなたが支えてあげてね」と諭されるのでした。
そういうループが続いていくと、どんどん精神が麻痺していきました。
これがふつうだ
これがふつうの家族だ
これが家族愛だ
だって、みんな家族愛って言うし
私が支えれば、支え合いの家族になれるんだ
…的な思考になっていきました。
容姿のことを家族から言われた件は結構根深くて、服とか化粧品買いに行くとフラッシュバックするときがあります。自分なんかが買っちゃだめだって凄く思った時期もありました。
ですから、私は家族から受ける歪んだ愛情を「健全な家族愛」だと誤解して生きていました。
ちなみに、言った本人たちはその事を覚えていません。(家族と対峙した時、そんなこと言ってない・やってないの一点張りでした)
さらに、歪んでいても愛情は愛情なので、心理的虐待をした事についても自覚がありません。
私も2020年になるまで、被害者という自覚はありませんでした。
そんな歪んだ愛情を小学校~大学生まで受け入れていると、どんどん自分が壊れていき、私は自●願望を持ったまま成人したのでした。
さて、2番目の理由に進みます。
⑵ 正直なところ学生作品であるオリジナル版はあまり好きではなかった
テレビ放送や視聴者の感想をいただき、評価してもらえるのは嬉しかったのですが、私個人はあまり好きになれない点がありました。
当時のあまりにも壊れて麻痺している自分に対して嫌悪感があるのが一つ。
本来は、こんな裏事情はサイトで書き並べるよりもカメラに収めるべきだったのですが…
当時の私はそこまで達観しておらず、突き詰めることができませんでした。
もう一つは、障害者を聖人君子にしてるような感じがして違和感がありました。
まるで、テレビや世間が望むような「健気な障がい者」を演出しているようで。
障害者は我々と同じただの1人の人間なので、不完全な人間臭さも切り込んで取材すべきだったと思います。
どちらの理由も、私の未熟さが原因です。
『おにい』全てのはじまり
「皆さんには家族をテーマにドキュメンタリーを作ってもらいます」
全てのはじまりは、原一男先生と小林佐智子先生の授業。
当時、私は大学3年生。ドキュメンタリーに特別な志をもつ訳でもなく、原先生が何者かも分からないまま受けた授業でした。
生徒の多くは「家族を撮るなんて簡単じゃん」と思ったでしょう。
身内だから撮影しやすいし生き方も考え方も大体分かってるし、と。
言わずもがな、ドキュメンタリーはそんな生半可なものではありません。
企画書に取り掛かった時点で、「あっこれキツイやつだ」とみんな察したと思います。
最終的に何十人もいた生徒は、私含めて2名だけになりました。
ドキュメンタリーは記録映像ではありません。
切り込んで、向き合って、気持ちに折り合いをつけて、反吐が出るような思いもしながら、被写体を愛さないといけない。
たぶん、言葉に表すならそういうことだと思います。
大学生時代、私は家族に向き合おうと努力していた時期でした。
“なぜ私は歪んだ愛情を「不健全の愛情」だと気づかなかったか?”
…理由は、世間一般常識的に『家族愛は絶対的なもの』とされていたからです。
私も家族愛を信じていたのです。
家庭環境について周囲に相談したとしても、アンサーは「みんな一緒だよ。それでもきっと愛されているから大丈夫」ということだったので、これが愛情なのかぁと受け止めていました。
※私個人の考え方ですが、こういうアンサーをする人たちを責めることはお門違いだと思います。
この人たちは単純に相談者を安心させようとして放つ言葉だったのだと思います。
きっと何と答えればいいのか分からず咄嗟に出たんだろうと
それで、心が傷ついたなぁと感じれば、その人からは離れればいいと思います。
責めるべきは家族と「ふつう」を押し付ける社会だと思います。「ふつうという重圧」です。
機能不全家族・毒親・虐待
そもそも機能不全家族って?という人もいると思うので、紹介したいと思います。
現代で例えると「毒親」が相当するかと。
そして必然的に「虐待」も付随します。
2000年代前半は「鬱」という言葉が世間で浸透しはじめ、社会的に理解を深めようとしていた時代でした。
家族間の問題については他人が関与してはいけないような暗黙のルールがあり、家族を悪く言うことはタブー視されていたように感じます。
近年は「機能不全家族」、「毒親」、「カサンドラ症候群」、「介護鬱」、などが浸透し始めていますが当時はまだそんな価値観は存在していなかったように感じます。
※まだまだ機能不全家族が理解されていないところがあるから、時おり善意として色々言ってくる人がいますが、それは独善的な行為だと感じます。
ただ、人間は性質上、個々の価値観と正義がありますので…それを止めることはできないでしょう。それでも、相手を強いるようなことはしないことを心にとどめることが大切だと思います。
また、厚生労働省が出している「児童虐待の定義」を見ると、さまざまな種類の定義があります。
目に見て分かりやすい事例もあれば、一見すると分からないような心理的虐待もあります。
私たちは単純明快に判別がつくでしょうか?
固定概念に囚われると、それは容易く見落としてしまいます。
義絶した理由は、生きたいから
なぜ義絶したか…これは機能不全家族であることが説明の全てです。
数々の心理的虐待を受け、心休まる家庭ではありませんでした。
ごくごく普通の日常の中で
「今日は姉さんが皆を●すと言ってるので部屋の鍵を閉めて寝てね」
と家族団らんの会話の温度感で話されるので、色んな意味で心の保ちようがなかったです。
家族からかけられた「存在価値が無い」「死んでも子どもを生むな」という言葉は今でも心の傷が癒えていません。
・・・
そして…時は過ぎて、2019年の冬。
少しずつ、今後は自分の人生を大切に生きたいと考えるようになりました。
(仕事や結婚など色々なプライベートの変化がありました)
自ずと、家族とは一緒にいることは難しいと思いました。
自分を守るためには必要な選択でした。
そして、義絶をすることで家族という呪縛から解かれ、今は自分の人生に専念できています。いや、専念しはじめています。
義絶した感想としては、自分の存在を肯定するって素晴らしいことだなぁと感じます。
しかし、一度壊れた心は完全に元には戻りません。
骨も骨折したら、骨折する前には戻れないのと同じで。
この傷を背負いながら、向き合っていくしかないのです。
願わくば、この向き合う力が誰かの勇気に繋がればいいなと思っています。
データを抹消するも、偶然か運命か…
ここでは、データ抹消したはずなのに、どうやって作品を完成させたかについて書きます。
・・・
完全に義絶したのは2020年。
私は家族を断ち切るためにドキュメンタリーのデータを全て抹消しました。
もう他人だから関係ないと。
この時は作品をリブートしようとは考えていませんでした。
月日は経って2021年 12月。
私は10年以上前から使っていたメールボックスを整理していました。
不要なメールを削除したり、連絡先を整理していた時、偶然ふと「視聴者からの感想を送りますね」という件名が目に入り、喉の奥がグッとなりました。
なんと、当時『おにい』をテレビ放送したときの、ドキュメンタリー番組の担当者とのやりとりが残っていたのです。
苦しさも覚えましたが、懐かしさもあり思わずメールを開きました。
メールを開くと感想の数々が…。
「勇気をもらった」
「本当に心の糧になった」
「一生保存して元気がない時に見たい」
読むのは2回目のはずだったのですが、あの頃と今では感覚が全く異なっていたので、思わず号泣しました。
義絶して1年くらいだったので、当時のトラウマも鮮明に思い出しながら、同時に感想への嬉しさに感情がめちゃくちゃになったのを記憶しています。
あの頃の私は「やっちゃいけないことをやってしまった」と思っていたので、感想を読んでも自分への評価は一切感じませんでした。
むしろ申し訳ないと思っていました。
それが、今見ると一変して…寄せられた感想は作品への純粋な思いであり、監督・出演者への評価であり、大変有難いことだと心から感じることができました。
「私は存在してもいいんだ」と。
こう思えたのも、自分の人生に専念できた結果だと感じています。
さて、感想を読んで感極まったのは良かったものの、ドキュメンタリーのデータは抹消したので未練は何もない…
…はずでした。
そのあと、年末だったので大掃除をしていたんですが、昔に使っていた外付けハードディスクを見つけました。
まさかと思って中身を見たら、
幸か不幸か1つだけ残っていたのです…
完パケ1本だけが。
心臓が締め付けられ、恐怖と同時に何か運命的なものを感じました。
自分の人生を歩んだことで、私も自己肯定感というのができ「この作品を使って何かできるかも」という活力が芽生えていたのです。
しかし、やっとの思いで絶縁したのに、家族に向き合えるのか…?私にできるのか?と長い間ずっと悩みました。
案の定、不眠症やフラッシュバックが起こり、自傷と同じような思いをしながら葛藤していました。
そんな私が決断できるようになったきっかけは、色んな人たちの支えでした。
私の背中を推してくれたのは、夫や友人、仕事仲間である経営者やクリエイター、そしてアダルトチルドレンの自助会でした。
甘く優しい言葉を言われた訳では一切ありません。
言葉がなくとも「あなたは存在している。存在して良い。」という肯定が結果的に私の居場所となり、活力に繋がっていました。
そして、私が境遇を話すことで、「実は自分も昔…」と過去を打ち明けてくれる人もいました。「勇気がある」と一言、言葉をかけていただき、ほんのちょっとした出来事でしたが、私にとって大きなきっかけだったと思います。
この作品を公開する目的は「ふつうに生きることに悩める人のため」ですが、根幹にあるものは、自分自身への救済であり家族に打ち勝つことだったと思います。
完パケを編集するとは?
完パケというのは作品の完成データです。
テロップも音楽も乗っている(張り付いてる)状態なので、テロップは消せませんし一部編集すると音が全部ズレたり、どうしようもなかったりする状態です。
さて、どうしたもんか…と悩みましたが、幸いにも私は映像編集業者なので今の自分が持てる技術を尽力して、なんとか制作しました。
しかし、どうしようもできない所がやはり有りました。
皮肉にも、8年前の自分が現代の私の首を絞めたのです。
今回の完成形は、かなり強引だったというのは自覚しています。
これは余談ですが、ナレーションを自分で収録しないのか?という意見もあると思います。(家族のドキュメンタリーをディレクターがナレーションをすることはよくある手法)
本作について、私はそういう演出を断固拒否します。なぜなら「映像でさえ家族と同じ空間に居たくなかったから」です。
兄も被害者であった事実
機能不全家族は連鎖することが多くあります。
子の親は実は虐待を受けて育っており、そのまた親も過酷な環境だったことはよくある話です。
母親も父親も、その祖父母も過酷な人生を歩んできたことは理解できます。
戦争孤児で死に物狂いで生き抜いた話や、肌の病気が原因で差別を受けた話、犯罪を犯した話…など人に対する恨みつらみはよく聞かされました。
少なからずとも、「おにい」の生きる強さの根幹には歪んだ親子愛が関係しているでしょう。
今だからこそ思うが、彼も機能不全家族の被害者だったと思います。
彼は両親と度々衝突したり、障がい者になったことを嘘だと言われ祖父から虐めを受けていた時期もありました。
筋肉が減少する苦しみと孤独を抱える彼のことを、本当に理解しようとした人間はいるのでしょうか。
それでも、兄は家族愛を信じ、愛に潜む「混沌」を受け止め、時に傷つき時に癒されながら生きる力に繋げているのかもしれません。
誤解しないでほしいのは、私は家族がしてきたことを許すことはできません。
動物の命をぞんざいにしたことや性被害についても記述できればいいかもしれませんが、全てを書くことはとてもじゃないけど出来ません。
いずれ、私の中で折り合いをつけていくしかないなと感じます。何年かかっても…。
本作のラストシーンは、生きることや家族の在り方について、優しい引っ掛かりがあるような作品にしたいと思いました。
もし、生きることや家族の在り方にショックを感じたならば、それも含めて「考えるきっかけづくり」になれば本望です。
最後に
制作中、あまりにもフラッシュバックが辛く何度も何度も止めてしまおうかと思いました。
「なんでこんな1円にもならないことやってるんだ」
「今やっていることは何の意味もないよな」
「もっと著名な監督の作品の方が面白いよな」とか。
それでもなんとか周りの支えがあり
「もうええわ、やったれ」
という過去のトラウマに打ち勝とうとする勢いがあってこそ完成したと思います。
荒療治でしたが、本作を通して自分の救済と成長に繋がったと本当に感じます。
あ、そうそう、自●願望があるまま生きてた私ですが…
今となっては、ようやく【生きてるだけで価値がある】ということを受け入れてきている感じです。
ちょっと言葉に出すのは照れ臭いんですが、
生きる、生きたい、生きなければ。
と思えるようになって人生を生きています。
私が生きてると安心する人がいる。
私が生きてないと怒るし悲しむ人がいる。
完璧で良い子じゃなくても大丈夫。
こういうことを感じれるようになったのは、私の周囲の人たちのおかげです。
家族に呪われてる時には味わえなかった充実感。
それでも時々、呪いがぶり返して
「私は生きてて良いのか」と迷うことがあります。
そういう時こそ、周囲にSOSを出したり、乗り越え方を色々工夫していきます。
そうやって…いつの間にかお婆ちゃんになっていきたい。
・・・
今後は、作品を完成させたことだけで終わらずに、事業活動に役立てたいと思っています。
少しでも多くの人に筋ジストロフィーを知ってもらうことや、家庭環境で苦しんでいる人のため。
そして、生きることに悩める人のために。
そういう人の糧になれたら幸せです。
ここまで読んでくださり、本当に本当に本当にありがとうございました。
今後、SNSやnoteでは「生きづらさについて」考え・模索することを発信していこうと思います。
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