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〔小説〕美影風夏⑫さよなら

花火大会の帰りだった。

長谷川君が駅のホームでキスをしてきた。

「やめてよ」

美影は長谷川君の体を押しのけた。

長谷川君はきょとんとしていた。

「なんか、最近、冷たくない?僕のこと、受け入れてくれたのに。あの時とは同じ人とは思えないよ」

「あの時?」

「海に落ちた後、ホテルに行った時だよ」

私はこのまま消えてしまいたい気持ちになった。

「ホ、ホテル?」

【ごめん。美影。私が悪い】

電車がホームに入ってきた。

花火の見物客でごった返すなかを、ふらふらと美影と私の体は紛れ込んでいった。

「風夏!」

電車のドアが閉まる瞬間、長谷川君が叫んだ。

【風夏、どういうこと?】

【ごめん、あのね。私、長谷川君のことが好きなの】

【いつから】

【海に落ちた時から】

【それですぐにホテルに行ったの?】

【・・・・うん】

満員電車はよく揺れた。

車窓に映る私の目からは涙がとめどなく流れていた。

近くにいた母親に連れられた小学校低学年くらいの男の子が、不思議そうに私を見上げていた。

地元の駅に着くと、スマホの着信音が聞こえた。

長谷川君だった。

「もしもし」

「あの、さっきはごめん。なんか。むきになってた」

「長谷川君、訊きたいんだけど」

美影の発言に私はいちいちおびえていた。

「なに?」

「私の、どこが好き?」

「どこが好きって・・・。一番は顔。あと、鎖骨もきれいだから好きだな。あとは太ももの内側かな。ムチムチしてて気持ちいいし。二の腕もふにふにしてて、好きだよ」

美影は電話を切った。

【風夏、あんたの勝ちだよ】

家に着くまで、私たちは話し合った。

【人には清い交際をなんて言っておいてなんなのよ。あんた、男の子とか恋愛とか興味ないって言ってなかった?】

いつも落ち着いていた美影が声を荒げていることに私はかなりびびっていた。

【ごめん。私、自分でも自分がわからないくらいなの。最近】

【まさか、あんたがすぐやっちゃうようなだらしない女になるなんて思わなかった】

だらしない。

その言葉で、私のなかの何かが弾けた。

「これは私の体なの。私の人生なの。私が誰と何しようが私の勝手。私が決めるの」

思わず口に出してしまった。

すれ違う人々が私を見ている。

私は口をおさえた。

【美影、あんた、このまま長谷川君と付き合って、キスとか迫られたら、断り続けること、正直、できないでしょう】

美影の声は聞こえなかった。

【その時、私の体を、やっぱり使っちゃうよね。私、もう、それが我慢ならないの】

【わかった】

大きな声が体全体に響いた。

【どうせ、夏休みの間だけだったから。こんな風にあんたのそばにいるの】

【え?】

私の体から美影が出て行った。

目の前に死んだ時と同じ、すらりとした姿の美影がいた。

「四十九日までだったから。こっちにいるの」

「嘘。ずっと、そばにいるんじゃないの?」

「そばにいられたら、困るでしょ」

「ごめん。そんなつもりじゃ」

「あやまらないで。少し安心してるの。風夏って少し頑ななところあったから、高校が別々になって、ずっと心配してたの。でも、もう大丈夫ね」

「そんなこと言わないで。そばにいてよ」

美影は首を振った。

「お盆にうちに帰ったんだけど、うちのお母さん、彼氏と楽しそうに暮らしてたの。来年には結婚するみたい。今日のことではっきりわかったんだけど。生きてる人は、どんどん変わっていくのが自然なことなんだよね。死んでる人間は、死んだ時のままだけど」

美影の姿が少しずつ薄くなって、夜に紛れていこうとしていた。

「行かないでよ」

「バイバイ。風夏。長谷川君と仲良くね。そのかわいらしい見かけをキープするか、進化させないと、とっとと振られちゃうよ」

そういうと、美影は姿を消してしまった。

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