休職期間の記録11 自殺についての作文/かけられて嬉しい言葉など
休職期間の記録も2桁に入った。
わりと暗い話も多い気がするんだけど、読んでくださってありがとうございます。
サポートしてくれる人も本当にありがたいんだけど、無理しないくださいね。500円あったら牛丼食べれますからね。購入してもらえるの、めっちゃ嬉しいですけどね。
最近は、多くの人に読んでほしいなと思う文章は無料エリアに載せて、価値があるかは別にしてちょっとプライベート度高めの話を有料エリアにしたりしてます。
noteの良いところは、自分が休職というキーワードで文章を書き続けていると、同じテーマで書いている他の人の文章がホーム画面に出てくるところで、ああ、休職している人たちは、こんな理由で鬱になったりして休職してるんだな、それぞれいろんなしんどい思いを抱えながら、休職中にいろんな経験をしてるんだな~と思いながら時々読みにいっています。
アウトプットがそこまで苦じゃなかったりむしろ楽になれるのなら、どこかの媒体で発信していけたら、他の人が参考にできていいですね。
自殺についての作文
(いきなり重たい見出しですいません。気楽に柿ピーでも食べながら読んでくださいね('ω')ノ。しんどい人は読み飛ばしてください。)
土曜日。
3時半から、天王寺のてんしばで10年ぶりに友人と会う前に、母校に寄った。今はもうその高校にはいない、僕が高3のときの倫理の先生と再会したいと思っていて、連絡先を教えてもらえないか、ダメもとで聞きに行こうとしていたのだ。
久しぶりに、駅から母校に続く道を歩いて、10分ほどでたどり着いた。
高校の外周が、在学中にいたころのイメージより短く感じられるのはどうしてだろう。あの頃から身長が伸びたわけでもないのに。
校庭では野球部が練習をしている。狭いグラウンドも、グラウンド越しに見える少し古びた体育館の建物も、野球部のユニフォームも(たぶん)、当時から変わってなくて、ちょっと安心する。
高校の3年生の夏に、倫理の定期テストで「自殺」についての作文を書く機会があった。その先生の倫理のテストではいつも一問一答式の暗記問題に加えて、作文が出題されていた。アイヒマン裁判や出生前診断や体外受精、環境問題など、正解のない問いについて生徒が作文を書いて、それが100点満点のテストのうちの10点分で評価された。先生は、フランスのバカロレアをイメージしてその問題を作っていたのかもしれない。
一学期の中間テストの作文のテーマは、「老師と少年」という本の1章を事前に読んだうえで、「自殺を認めるべきか否か」といった問いについて自分なりの考えを書くような作文だった。
「老師と少年」は、庵の前の木陰で瞑想をしている老師を、悩める少年が夜に尋ね、一人で考えていても答えの出ない問いを投げかけ、それについて老師と少年が対話をするという架空の物語だ。
前夜と、第一夜~第七夜、それに後夜の、全部で9つの章で構成される、100ページほどのストーリーで、その第一夜で、少年が、”今まで人に尋ねることのできなかったこと”を、老師に問いかける。
老師は、この問いに”応答”をする。
その内容を僕らはテスト期間の間に読んで、テストの時間に作文を書いた。
17歳のときの僕はまだ、母が自死をしたことを冷静に考えることができなかったから、この文章をちゃんと読めていなかったと思う。
テスト当日の作文には、自分を生んだ半年後に母が自死をした事実や、それから家族でどんなことがあったか、当時の自分の、母の自死に対する率直な思いを、正直に書いた。
17歳の高校生が、荒んだ気持ちを懸命に抑えて書いた文章だった。本当はまだまだ受け入れられてなんかなかったのに、強がっている。
内心では「自殺で家族を失った生徒もおるんやから、こんなテーマで作文を書かせんなよ」と思っていた。オブラートで何重にも包んで、一生懸命に、優等生のふりをして書いた。「だから僕は、”自殺”という行為について論理的に考えることができないのです。」という一文にだけ、強い感情を込めて。
それを読んだ先生が、僕に声をかけてくれて、丁寧に自死をした僕の母の話を聞いてくれた。定期テストが終わったあと、毎回生徒が書いた作文のうちの何本かは、プリントにまとめて他の生徒に公開される。先生は僕の許可を取ったうえで、匿名で他の生徒に公開した。
そのことで、僕は初めて、家族の自死を、隠さなくてもいいんだと思えた。自分の経験が、周りの人たちが何かを考えるきっかけとして、価値をもつのかもしれないのだと。
話を聞いてくれたとき、先生が自分の苦しみを受け止めてくれたように感じてほっとして、体の力が抜けて楽になった。その日の夜に布団に入ったときに感じた安心感は忘れられない。大げさだけど、世界って安心できる場所なんだなと思えた。
そんな経験の一部を、stand.fmで語ってから、高校を卒業して以来会っていないその先生にいつかお礼を伝えたいと思っていて、休職中の今、「時間あるうちに前からやろうと思ってたこと全部やってまえ」精神で、母校を久しぶりに訪れたのだった。
断られるかもしれないなと思いつつ、おそるおそるで他の先生にお願いしてみたら、僕の連絡先を聞いてくれて、その先生に伝えてくれることになった。先生から連絡が来るかはまだわからないけど、先生とまた話せるかもしれないというだけですでに嬉しい。うつで情緒不安定になってるこのタイミングで久しぶりに会えたら号泣してしまいそうだけど。
ちなみに、僕のその作文は10点満点中の7点だった。先生の採点は冷静だった。
鬱になったあとで、人に言われて嬉しかった言葉
noteをきっかけで繋がったある方が、「「あなたがいてくれるだけでいい。一緒にいよう」という声かけで救われる人がたくさんいる」ということを言っていた。
これは、本当にそうだろうなあと思った。僕自身がそうだったから。
ぼくがnoteに「休職期間の記録」を書く理由は、書いているうちに増えてきている。最初は、このnoteが、同じような鬱の人や、メンタルに不調を来した人が、これを読んで何か楽になったり、何かの参考にしてくれるようなことがあったらいいと思って書いていた。あとは、記憶力が低下した自分のための、備忘録として。
書いているうちに、鬱の人が楽になっていく過程は、もしかしたら、うつでない人にとっても癒しになるかもしれないし、休みたい人や、生きづらさを抱えた人、今歯を食いしばって頑張っている人にとっても、何かのきっかけになるかもしれないと思うようになった。
それに加えて、身近にメンタル不調の人がいて、何か声をかけてあげたい人にとっても参考になるかもしれないと、今では思っている。精神病の人の内面が少しでも多くの人に知られることで、社会が1㎜でも、メンタリー・ヘルシーな方向に動いたらいいと思う。ちなみにメンタリー・ヘルシーは、精神科医の宮地尚子さんの言葉をパクっている。
鬱で休職をしてから、いろんな人と会って、いろんな言葉をかけてもらった。そのなかで一番ぼくがうれしかったというかほっとしたのは、休職が決まった翌日に、自信を失って、今後どんな風に働いて生きて行けるんだろうかと思っていたときに偶然会った先輩にかけてもらった言葉だった。
「そんな風に生きてきた森本君が、どこでどんな仕事をしていたって、存在しているだけで価値があるんだから。自分が楽でいられるところで、いきいきとしていられるところで働きなさい」そんな風に言われた。
こんな能力があるからとか、こんな風に社会に貢献してるから価値がある、とかじゃなくて、そのままで生きていていんだっていうメッセージが、人を楽にするんだろうなと思う。
自信を失った人が最初に取り戻すべきなのは、社会への信頼感や、世の中に対する安心感なんだと思う。
ここから先は
¥ 500
たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。