発達障害カミングアウトの件で感じたこと

僕の妻は社会不安障害です。


先日、ユーチューバーの方が「自分は発達障害でした」と公表して、話題になりました。

妻は発達障害の診断もあります。

この件については、「自分は発達障害だと発覚しました。だから今まで周りに迷惑かけたのはそのせいです」と、発達障害を免罪符的に扱っているのであれば、確かに批判が集まって当然だと思います。
発達障害を持っている人たちはずっと悩みながら障害と付き合ってきたわけですから、それを「じゃじゃーん!」みたいな発表のされ方をすれば嫌な気持ちになるでしょう。同類と思われても困りますし。

件の発言はいわゆる炎上しましたが、そこに集まる”発言を非難し発達障害持ちを擁護する”コメントの方にも、障害のことがあんまり理解されてないんだなって感じるものが多々ありました。

「私の知ってる発達障害の子は頭良いですよ」
「アインシュタインも発達障害だった」
「絵の才能があります」

といったものです。

確かに、発達障害を持っていても何か突出した才能がある人もいます。
が、分かりやすく突出した能力が無い人もいます。むしろ大半はそうなのではないかと思います。

発達障害者を擁護したつもりで「○○の才能がある」と言っているのだと思いますが、じゃあその才能が無かったらだめなのか。
認められているのは”才能”であって、”障害”は認められないのか。

邪推かもしれませんが、そう感じてしまいます。

障害者でありながら絵が上手かったり音楽の才能があったりする方がことさらに取り上げられるので、【発達障害=天才】という誤解があるように思います。
本当にそういう傾向にあるのかもしれませんが、みんながみんな天才というわけではありません。障害は障害です。
天才側の方にとっても、才能と普通(健常)、どっちが欲しいかと言われれば、普通を選ぶのではないかと個人的には思います。僕も当人ではないので推測ではありますが。

障害を持っていると、とにかく日常の難易度が上がります。

しかし、周りの理解があるだけでかなり楽になるのです。

「障害があっても才能があるから大丈夫」
ではなく
「障害があっても大丈夫」
という世の中になるように、認知と寛容が広まればいいなと思います。


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