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中日ドラゴンズや日本ハムにも所属した耳が聞こえないサイレントKこと石井裕也元プロ野球選手の魅力と功績

私は、耳が聞こえない人が通う筑波技術大学の元学生で、現在は放送大学の学生である耳が聞こえない近藤  史一です。

今回は、同じく耳が聞こえないプロ野球選手として活躍したサイレントKこと石井裕也選手について紹介したいと思います。彼は私の尊敬する人物であり、中日ドラゴンズにも所属していたことがあります。

石井裕也選手は、1981年7月4日に神奈川県横浜市で生まれました。先天性の難聴であったにもかかわらず、小学2年生から野球を始め、高校では神奈川県大会でベスト8に進出しました。そのときから、制球力が悪くても三振を奪っていく投球から「サイレントK」と呼ばれるようになりました。プロ入りの話もありましたが、当時はハンデがあるという理由で見送られました。

石井選手は、三菱重工横浜に入社し、社会人野球でエースとして活躍しました。2004年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから6巡目で指名され、即戦力左腕として期待されました。中日では主にリリーフとして登板し、2007年にはリーグ優勝に貢献しました。しかし、2008年には小池正晃選手との交換トレードで横浜ベイスターズに移籍しました。横浜では抑えも務めましたが、2010年には江尻慎太郎選手との交換トレードで北海道日本ハムファイターズに移籍しました。日本ハムでは左のワンポイントとして重宝され、2012年にはリーグ優勝に貢献しましたが、巨人との日本シリーズでは第6戦で阿部慎之助選手に決勝適時打を浴びてしまいました。その後も日本ハムでプレーしましたが、2018年に引退しました。

石井選手は、プロ野球選手としてのキャリアを通じて、耳が聞こえないという障害を乗り越えてきました。彼はマウンド上で補聴器を切り、捕手のサインやコーチの指示を読み取って投球しました。また、チームメイトや対戦相手とのコミュニケーションも工夫して行いました。彼は自分の障害を隠すことなく、堂々とプレーしました。その姿は、多くの人々に感動や勇気を与えました。

私は、同じ耳が聞こえない人間として、石井選手の活躍に心から敬意を表します。彼は、健聴者に混じってプロ野球選手として参加するという、夢のようなことを実現しました。彼は、野球というスポーツを通して、耳が聞こえない人の可能性を広げました。私は、彼のプレーを見て、野球の魅力や奥深さを感じました。私は、彼のファンであり、彼の後輩でありたいと思います。

石井選手は、私の応援している中日ドラゴンズにも所属していました。彼は、中日でプロ入り初勝利や初先発を飾りました。彼は、中日のユニフォームを着て、横浜スタジアムやナゴヤドームで投げました。私は愛知県民なので、彼の中日時代の姿を忘れませんでした。私は、彼に感謝します。私は、引退した後の彼をこれまでと同様に応援し続けます。

石井裕也選手は、耳が聞こえないプロ野球選手として、素晴らしい記録と足跡を残しました。彼は、野球を愛し、野球に挑戦し、野球に生きました。彼は、憧れであり、誇りです。彼は、私たち聞こえない人にとって希望を与えてくれる本当に誇れる人です。

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引用

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Yuya_Ishii_on_March_16,_2012.jpg

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