濃いコーヒーのおかげで繊細ネガティブを、ようやく手懐けそう。

わたしはボランティアの仕事の一環で、コーヒーを淹れている。カッコよく言っていますがフィルターコーヒーです、ごめんなさい。

ある日、そのコーヒーに対して「濃すぎる!」と言っていたおじさんがいた。直接言われたのではなく、友達とわたしから離れた席で話していた。うっすら聞こえるな〜くらい。

あとから友達が寄ってきて「あのひと、コーヒー淹れたの誰?濃い!って言ってたけど、誰かわからないって言っておいたから大丈夫。それにわたしは、濃いコーヒーが好きだから、あなたが淹れたコーヒーがおいしいのを知ってるよ」と言ってくれた。

このひととは、以前「濃ければ濃いほどおいしい」みたいな話をしていたこともあって、その言葉をスナオに受け取れた。そして、みんなが濃いのを好きだと思い込んでいたな〜と反省をした。

少し前のわたしなら、そのおじさんを苦手に思うようになるほど、落ち込んでいただろう。

でも、それよりも、友達の気づかいが嬉しい。知らないよって言ってくれたこと、わたしが聞いていたかもしれないことを察知してくれたこと、わたしは好きだよと言ってくれたこと。そのすべてがうれしくて、感謝をしたいとおもった。ありがとう、と心の中で復唱した。

翌日、その友達は「やっぱり、コーヒーおいしかったよ」と言ってくれたし、その次の日も「あなたが淹れた美味しいコーヒー飲も〜」と言ってくれた。その度に、友達の気づかいが思い出された。

別の友達も「この学校のコーヒーおいしいよね。あら、あなたが淹れてるの?デンマーク人は濃いのが好きって知ってるのね!さすが」とウインクをしてくれた。

根拠はない。でも「濃い」と言われたあの日、「うわ〜濃いって怒られた、まじショック。愛情込めて作ったのになあ※」って悲しんでいたら、

こんなに「コーヒー美味しいよ」って言ってくれるひとが現れなかっただろうなというのは、直感でわかる。 ※フィルターコーヒー

欲しいものに目を向けなくちゃいけない、イヤなものに心奪われている時間はない。そんなの、惜しいよ。それにコーヒーは、濃い方がおいしいよ。

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