「ガジェット的存在論」という話
まえがき:スマート化する社会
スマートフォンは、今やほとんど誰もが持っているものだと思います。スマートフォンさえあれば、ほとんどのことはできる。食べ物を頼むのも、本を読むのも、音楽を聴くのも、動画を観るのも、買い物をするのも、友達と電話するのも、SNSで色々な人とつながるのも...。スマートフォン一台あれば他に何も要らない。スマートフォンは余計なものを持たなくていいという意味で最適化された端末です。スマートフォンは私たちの生活を便利で快適なものにしてくれています。
しかし、このようなスマートさ、便利さには何も問題はないのでしょうか。本稿では、「スマート」という概念が持つ危うさについて考えていこうと思います。
第Ⅰ章:超スマート社会とは何か
日本の未来を表す言葉として「超スマート社会」という言葉があります。これは内閣府が発表した第5期科学技術基本計画のキーワードです。
科学技術基本計画とは、科学技術基本法のうちに組み込まれた政策的な指導です。内容は、要約すれば、①政府による研究開発の方針、②研究開発のために必要な環境を構築するために、政府が総合的かつ、計画的に講ずべき政策、③その他、科学技術の振興に必要な事項、を定めるものです。
第5期科学技術基本計画の中には「Society 5.0」という言葉が出てきます。では、「Society 5.0」とは何なのでしょうか。同計画の定義によると、それは「狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続くような新たな社会」だと言います。
私たちが生きている現在の社会は情報産業を中心とした「情報社会=Society4.0」です。Society 5.0は、その次に来る未来の社会と言うことです。では、Society 5.0はどのような社会を目指しているのでしょうか。同計画では、次の目標が掲げられています。
この四つの目標を実現するための手段として、「科学技術イノーベーション政策」が位置づけられ、次のような文言が続いています。
ここで、「超スマート社会」が、未来の社会の姿として打ち出されています。これ以降、「超スマート社会」は「Society 5.0」という言葉と互換的に用いられていきます。
では、超スマート社会とはいったい何なのでしょうか。第5期科学技術基本計画では、次のように定義されています。
ここで用いられる「必要」という言葉が、「超スマート社会」を支える根本的な価値であると考えられます。すなわち、言い換えれば、不要なもの、無駄なこと、余分なことが一切存在しない社会です。
具体的には、手続きのために待たされる時間、必要以上に煩雑な書類のやり取り、イライラする交通渋滞の解消と言ったことが超スマート社会の目指すところだと言えます。
では、具体的に超スマート社会はどのように実現されるのでしょうか。その中心的な手段となるのは「ICT」です。
超スマート社会が目指すものの正体が見えてきました。ICTを活用することで無駄なことを減らし、効率的に様々な課題を解決することができる社会。それは一見素晴らしいことのように思えます。
しかし、「課題が解決される」ことは本当に良いことだと言えるのでしょうか。「何を当たり前なことを?課題が解決されるのは良いことに決まっているだろ」という声が聞こえてきます。
ここから先は
¥ 300
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?