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【1000字書評】ショーペンハウアー『読書について』

「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!」

「書を捨てよ町へ出よう」

こういったことをもっと昔に言った人物がショーペンハウアーです。

わたしは学生時代、読書論についての本をよく読んでいました。『読書について』も他の本同様、読書礼賛かと思いきや…

「本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ」

と初っ端から厳しい言葉が書かれており、度肝を抜かれました。

当時は岩波文庫版で読んでいましたが、2013年に光文社から新訳版が出ていたので、今回読み直してみることにしました。

【概要】
ショーペンハウアーは18世紀のドイツの哲学者です。
冒頭で紹介したように、彼は読書は他人の頭で考えているだけだとし「本から読みとった他人の考えは、他人様の食べのこし、見知らぬ客人の脱ぎ捨てた古着のようなものだ」となかなか痛烈なことを言います。
ただし、彼は読書そのものを批判しているわけではありません。多読に走り、書物で寄せ集めた知識のみで生きる人々に警鐘をならしているのです。
また、権威に対しても批判的です。自説に似たような権威ある主張を足し合わせて誇らしげにしている人よりも、自由に思索をした人、とくに自分自身のために思索した人に価値があると述べます。全体を通して、あるがままに主張を展開する人を評価しているのがこの本の特徴といえるでしょう。

【感想】
先ほども述べたように、ショーペンハウアーは、自分の頭で考え、それを補足する形での読書は否定していません。
論文を書くために文献を読み漁り、関連した事柄をコラージュのように繋ぎ合わせると、自分が何を言いたかったのか曖昧になるというのは、わたしも経験したことがあります。彼はこれを愚の骨頂だと厳しく断罪することで、今一度自分の頭でものを考える大切さを伝えたかったのかもしれません。
厳しい言葉の中にも、彼の「醜くても、生きた顔の方がいい」という発言から、誠実な人物が増えてほしいという願いを込めた著作なのだと感じました。現代の出版業界を見たら、残念ながらそうとは言えなそうですが…。

それにしても、彼の自分でものを考えない人への罵倒は相当なものです。もしかしたら彼の敵視する学者が「中身のない無能な、職がほしくて鵜の目鷹の目のえせ哲学者」だったのかもしれません…。

最期まで言葉を愛し、人が人らしく誠実に生きることを願う彼の姿勢から、学ぶべきことが多くありました。

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