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トゥレット症の記事を読んで「温かい無視」と偏見について考える


「ママ、あの人何してるの?」

「しっ!見ちゃいけないよ」



こんにちは。就労支援員のサイトウです。
冒頭の親子の会話、電車などでこんなやりとりを聞いたことがある人は少なくないんじゃないでしょうか。

福島県のテレビ局「テレビユー福島」が、トゥレット症について特集していました。

記事によるとトゥレット症とは、自分の意思に反して突然声が出たり、自分の動きを制御できなくなったりする症状。完全に治す治療は今のところ無いとされているようです。
電車に乗っている時、突然隣の人が「うっ!」と声を発したり、ぴょんと飛び跳ねたら、みなさんはどんな反応をしますか?
驚いてその人を見たり、場合によっては席を移動するかもしれません。大変な症状だと思って、非常ボタンを押す可能性だってあります。

私は、どれも自然な反応だと思っています。

知らないモノやコトに出会ったとき、不安になったり心配になったりします。これは人だけでなく、生物学的にすべての生き物にいえることだと思います。
でも、人はそういった反応を受けた側の気持ちを想像することができます。この想像力は、人にのみ与えられた能力といえるでしょう。

そこで、記事にあるような「温かい無視」をするためにどうすればよいのか、考えてみたいと思います。



知識をつける
「温かい無視」を実現するためには、まず「知識をつける」必要があると思っています。
例えば、統合失調症の症状として現れる幻聴や妄想。これらの症状が出ている人に対して「何をするかわからない、怖い」のは、統合失調症という病気についての知識がないからです。
統合失調症の有病率は約100人に1人と非常にありふれた病気です。急性期には陽性症状として幻覚や妄想の症状が現れますが、一方で「一般刑法犯のなかに占める精神障害をもつ者の割合は決して高いとはいえず,特に心神喪失や心神耗弱と判断されることはかなり限られている」※1ともいわれており、決して危険な存在ではありません。
こうした知識があれば「何をするかわからない、怖い」という偏見はなくなるのではないかと考えます。

②知識を広める難しさ
しかし残念なことに、こうした知識はなかなか広まりません。近くに当事者がいたり、仕事や家庭で関わる機会のある人は、能動的に知識を得ようとするでしょう。しかしそういったことに関心のない方が大多数であると思います。当たり前ですが、関心のないことに人は意識を向けません。意識を向けずとも近年はSNSやYouTube等といったメディアのリール、おすすめ動画等で自動的に情報を受け取ることができるようになることが増えましたが、情報の質は玉石混交な状態です。受け手側がメディアリテラシー、ネットリテラシーを身につけなければ正しい理解は広まっていかないでしょう。
安直かもしれませんが、私自身の希望としては、インフルエンサーの情報発信が一つのキーとなるのではないかと想像しています。『五体不満足』を出版した乙武洋匡さん、自閉症『自閉症の僕が跳びはねる理由』の東田直樹さん、『統合失調症がやってきた』のハウス加賀谷さん、最近では佐藤二朗さんが強迫性障がいを公表されました。また性の多様性に関しても、様々な著名人が芸能界で公表し活躍されています。ご本人たちの勇気は計り知れません。これらのことから、少なくとも多くの人に病気や障がい、マイノリティについて意識させることができたかと思います。
正しい知識を流布させるために、この情報発信をいかにしていくか。我々も現在の流行、プラットフォームに敏感になる必要があると感じています。


知識をつける弊害
ここまで、知識をつけた方がよいという話をしてきました。一方で、簡単に「知識をつけましょう」で解決できるわけではないとも感じています。

人には「ハロー効果」と呼ばれる認知バイアス(偏り)が働いています。ハロー効果とはその人を評価する際に、目立ちやすい特徴に注意が向き、他の特徴の評価も目立ちやすい特徴に引っ張られてしまうことです。

例えば発達障がいについて。近年、発達障がいがクローズアップされる機会が増え、多くの方が基本的な知識(コミュニケーションが不得意、多動・衝動性がある等)を得ているといえるでしょう。また、専門家の方々はより深く発達障がいについての理解を持ち、その特性に応じた対応をされていると思います。
理解が促進されたことによる弊害として懸念するのは「〇〇障がいのある人」という前提で理解されてしまうということです。仕事上のミスが起きた時に、それが障がいによるものなのか、単なる注意不足なのか、明確な境界線はありません。それでも障がい者であることを知られているばかりに、問題ありきの視点で「合理的配慮はどうすればよいのか」と問われ続けるのは本人にとって非常に辛いことだと思います(合理的配慮は、基本的に本人からの意思の表明があって行われるものです)。私はこの見方を「専門家のメガネ」と呼びたいと思います(もしかしたら誰かがすでに言っているかもしれませんが・・・)。専門家のメガネは多くの場合非常に効果的です。なぜならそれをかけることによって問題を明らかにし、解決策を提案することができるからです。一方で、その人の病気、障がい以外の部分を見失う危険性があるとも思っています。

④どうすれば偏見のない社会ができあがるのか
冒頭の記事に戻れば、彼女は「トゥレット症のある彼女」であるだけで、それが彼女の全てではないということです。様々な魅力を持った、かけがえのない個人です。こうした視点に立つことで、病気を理解しつつも、その方の様々な側面を知り、付き合っていくことができるのだと思います。

街で出会った見知らぬ人に対する対応は「温かい無視」で良いでしょう。でもその方が学校や職場にいたり、関わる機会があるのであれば、疾患や障がいを前提に見るのではなく、その人自身を見ること。特に対人援助の専門職は、これを心に留めておく必要があると感じます。



考えがあちらこちらと揺れ動き、まとまりのない文章になってしまいました。結局のところ偏見の問題は簡単に結論づけられないのだと思います。とにかく考え続けることが必要なのでしょう。難しい問いですが、みなさんと一緒に考えていければよいなと感じています。


追記(2024/2/12)
今日、先日札幌でライブを行ったQueenのドキュメンタリー番組を観ました。ボーカルを務めたアダム・ランバートさんですが、ゲイであるということがスキャンダルとなり、苦しんだ経験があるそうです。番組を観ながらこの記事を思い出しました。彼はのちにゲイであることを公表しますが、彼には他にも素晴らしい歌唱力、カリスマ性があります。それだけでなくステージに立っていない時の私たちが知らない彼の様々な部分、すべてが彼なのだと思いました。
インタビューにて「ゲイだけど?それで?」と答えていた彼が印象的でした。


-引用-
※1 安藤久美子(2011)「統合失調症の責任能力と医療観察法 精神障害と暴力犯罪」『Schizophrenia Frontier』Vol.12 No.3, 7-12.(https://med.m-review.co.jp/article_detail?article_id=J0028_1203_0007-0012)

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