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【読書感想】古川緑波『ロッパ食談』

「ロッパ」って何?って方もいそうですね。

「ロッパ」とは昭和初期を代表する喜劇役者、古川緑波(フルカワ ロッパ)氏の愛称。「日本の喜劇王」と呼ばれた「エノケン」こと榎本健一さんのライバルとして人気を競い合うほど勢いがあり、紅白歌合戦の前身番組の司会を務めたこともあります。当時の芸能界のトップスターの一人。本書は食通としても有名だったロッパ氏のグルメエッセイ本です。
 コメディアンを生業としていただけあって、語り口も軽妙でユーモラスに溢れています。この人ほんっっとーーに食べることが大好きだったんだな、と読者に伝わってきます。食へのこだわり、情熱が熱く、強い。

『僕の味噌汁好きは、相当なもので、夏の朝食はパンにしているが、それでも、味噌汁は欠かさない。
 トーストに味噌汁ってのは、合わないようでいて、まことに、よく合う。』
『トーストのバターの味と、味噌の味が混り合って、何とも言えなく清々しい、日本の朝の感じを出してくれるから。』

古川緑波、「ロッパ食談」、河出書房新社、2014、p106


 

 ロッパ氏は1903年(明治36年)生まれ。華族の家出身で学歴も良い。皮肉っぽい物言いをしてる時もありますが、そこまで辛辣な印象は受けません。むしろ親しみやすくて読みやすい文章です。これ当時の上流階級層だからできることなんだろうなあ、ってエピソードがさらっと描かれていて隠しきれない育ちの良いお坊ちゃま感、インテリ感も感じられます。でも嫌味な印象はない。コメディアンになるほどの人たらしの才能みたいなものがその描写からも感じ取れます。

『僕は、早稲田中学なので、市電の早稲田終点の近くにあった、富士というミルクホールへ、ほとんど毎日、何年間か通った。
 ミルクホールは、喫茶店というもののほとんど無かった頃の、その喫茶店の役目を果たした店で、その名の如く、牛乳を飲ませることに主力を注いでいたようだ。
 熱い牛乳の、コップの表面に、皮が出来るーフウフウ吹きながら、官報を読む。
 どういうものか、ミルクホールに、官報は附き物だった。』

古川緑波、「ロッパ食談」、河出書房新社、2014、p147

当時、中学校に進学できる者が少数派だったので、学生でミルクホールに通うことは上流階級か富裕層の子息でなければ出来なかったはず。(男性より女性の就学率の方が更に低いはずなので)

『戦前の学校制度ですが、当時、ほとんどの人々は義務教育課程の尋常小学校か、高等小学校が最終学歴(中途退学者も多く含みます)でした。中学や高等女学校など中等教育機関を卒業した人々はおよそ10人にひとりかふたり程度に過ぎません。

https://www.jacar.go.jp/seikatsu-bunka/p03.html

膜の張った熱いミルクを飲む、という何かほのぼのした情景も実は貴重な体験だったと言えます。こんなエピソードが随所で描かれてるので、当時の貴族階級の風俗、生活を知る読み物としても面白い。

 ちょっとびっくりしたのが、現代でも最近広く知られるようになってきた健康法や食への考え方についても触れていること。

『多忙な人にとって、食事の量を少なくし、回数を多くした方が、よいことは、十分科学的根拠があります。』

古川緑波、「ロッパ食談」、河出書房新社、2014、p74

『サラダを一番先きに食えという説。』

古川緑波、「ロッパ食談」、河出書房新社、2014、p74

これ今でいう「1日5食ダイエット」や「べジファースト」のこと指しているような…エッセイ自体は1953年以降から雑誌に連載されていたもの。ロッパ氏が趣味で読んでいる本に載っていたそうなんですが、終戦後くらいの時期に書籍に掲載されるほど専門家の中では知識として確立されていた、ということになるのではないでしょうか?しかし一般的に国民に広く知られる知識ではなかったとされます。読書好きのロッパ氏は現代でも通用しそうな健康、食の情報をどんどん本から吸収していたんでしょう。

 華族出身の昭和のスターコメディアンというちょっと変わった経歴の作者から描かれたグルメエッセイ。美味しそう!とグルメ描写を堪能する以外にも当時の社会制度や情勢も知ることができたり、ロッパ氏自身の先進性に驚かされたり、様々な角度から読める著書です。



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