キャラクターが単なる「記号」に見えたとたん千年の恋が冷めるように物語は色褪せてしまう
物語を読み込んでいると時折、ストーリーが頭にどうしても入ってこなくなる時がある。
キャラクターが「記号」に見えてしまった時。
当然だが、作者は次回の展開、ひいては最終回を迎えるために様々な伏線や設定を準備してキャラクターたちを動かしているはず。キャラクターが自然に生まれて、ひとりでに動いて物語が生まれるわけではない。キャラクター達は物語を彩る一つのツールでしかない。物語を完成させるための「記号」なのだ。
けれどもあまりにこの「記号」であることがありありと伝わってしまうと冷めてしまう。それが気になって物語に入り込めなくなる。
そんなことがないだろうか。
少女漫画の第1回目で「多分この男、主人公の女子高生のことが好きで、他の本命の男キャラと主人公がイチャイチャしてても、随所で主人公守って尽くしてあげて、最終巻の2巻前くらいで、本命に傷つけられてボロボロになった主人公と一旦結ばれるけど、結局本命が忘れられないって振られちゃう。けど、最終回でも変わらず主人公を好きでいるんだろうなあ」と脳裏に浮かぶ時。
物語を構築するため、その役割を背負ったキャラクターなんだな、と分かってしまうとキャラクターに魅力を感じられなくなってしまう。感情移入もできなくなってしまう。なんだかもったいないなーと。
ああ、この人物は単に主人公を痛めつけるために出したんだ。じゃあ、そこで傷ついた主人公が成長するんだろう。成長物語を描きたいんだろう。このキャラクターはこれから死ぬんだろう。死ぬことによって今にもバラバラになりそうな組織がまとまるようになるんだろう。
その役割を与えられただけのキャラクターって何のために存在するんだ?いやいや、もちろん役割を果たすために決まってるじゃないか。
その役割を果たせば利用価値はなく、何なら物語から退場していく存在。それはあまりに寂しい。切なくなる。自分でもこれ読んでて何になる?と自問自答してしまう。
心を震わす物語を生み出せる創作家は、キャラクターが役割を果たすためだけの存在に成り下がらない。この人も確かに生きていて、人生がある。その人生に私達読者がたまたま邂逅しただけなんだ。役割が終わっても、物語が終わっても、確かにこの人の人生は続くんだ。そう思わせてくれる。
そんな作品に逢いたい。
でも、とことんキャラクター達が「記号」に成り下がって複雑な物語を展開させる、伏線回収、どんでん返し満載の物語も面白いだよなあ。
結局どっちなんだか。
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