6代将軍くじ引き将軍足利義教の恐怖政治
はじめに
日本にも昔、恐怖政治ってのはあったみたいです
しかも比較的平和だという印象が強いまだ戦国時代が始まる前の室町時代でです
足利義教はあしかがよしのりと読み、人々からは「万人恐怖」と呼ばれるような恐ろしい人物でした
そして歴史には松永久秀のようないろんな脚色を加えられて悪人にされてしまった人物がいる中で、足利義教はフィクション抜きで数ある歴史上の悪人の中でも抜きんでて相当ヤバいやつだったそうです
現代に絶対に蘇ってほしくはないですね
そんなやばいやつが将軍になった理由
元々はお坊さんだったようで、世俗から離れて暮らしていました
本来は将軍を継ぐような地位にはなかったのですが、4代・5代将軍の死と後継者不足をきっかけにひょんなことからくじ引きで将軍に選ばれてしまいます
悪質なのはこの時はまだこんなにやばいやつだとは周りもわからなかったみたいですね
やはり権力というものは人を変えてしまうのでしょう
足利義教がやったこと
やばいやばいといっていますが、具体的な義教のヤバいエピソードを見てみましょう
基本的に全てのエピソードにおいて「えっ?それもうちょっとなんとかならんのか?」という感じになります
笑われたから処罰
儀式の際に義教を笑ったものがいたとしてその笑ったものを蟄居(懲戒解雇)させたというエピソードがあります
ちなみにその笑った状況というのが明らかに義教の言いがかりだったようでどれだけ周りがとりなしても聞く耳を持たず怒りのままに処罰を下したとのことです
庭に植える木の枝を折ったから処刑
あるとき梅の木が献上されたようです
そしてその梅の木を運ぶ際にうっかり庭師か誰かが木の枝をぽきっと折ってしまったようです
するとそれに怒った義教は木を運んでいた庭師たちを処刑してしまったとのことです
そこまでするか……
延暦寺の焼き討ち
信長がやったことで有名な延暦寺焼き討ちの事件ですが、実は前例がありました
そうです足利義教です
しかも信長は再三にわたる警告の末しぶしぶやっていたのに対し、義教の方がノリノリでやっていたらしいのでヤバさでいうと義教の方が百歩くらい先を行っています
また比叡山が燃えている様子は山の上なのでいろんな人に見られていたのですが、京の町でその話題について話すことは禁じられました
破るともちろん処刑です★
噂をしただけで殺されるのでその理不尽さは半端ないですね
義教のその後
やばすぎですね~
要は処罰に対しての合理的な理由が圧倒的に少ないんですよね
怒りのままに処刑を行って、しかもその怒りの沸点も超低いという状況でした
当然のことながら義教は身内からも腫れ物に触るかのように丁重に(慎重に?)扱われていたようです
ちなみに最終的には義教は暗殺されます
あまりにも嫌われていたのか将軍家の方もしばらく仇討ちの挙兵をおこなわなかったようですし、しかも暗殺を行った側の赤松氏も暗殺で満足したのか仇討ちに備えた戦準備も十分にせずあっけなく鎮圧されます
グダグダですね
幸いなこと?にその後はやる気のなさすぎる足利義政の時代になるのですが、彼がもうちょっと各地の守護大名を押さえていたら応仁の乱、そこまで荒れることもなかったのでは説があるので、どっちがいいかはよくわからないですが、恐怖政治は一代だけで終わったので、これは幸運なことですね
おわりに
日本にも恐怖政治を敷く為政者がいたことを忘れてはいけませんね
こんなやつは二度と現れてほしくないものですね~
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