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勿体ないことは好きではない

アクセスありがとうございます。
越路つぐみです。

【人には力がある。私の見方でなしにするのは勿体ない】

私は「人には何かしらの力があるだろう」というフィルターをかけるようにしています。

と、言いますのも、私自身がそのフィルターをかけないと、周りの人たちの力を見落としてしまうからです。

周りの人たちの力を見落としてしまうと、相手に対して見当違いなあれこれを推測することがあります。
そして見当違いなあれこれは、力を発揮してもらう機会を結果として奪ってしまったり、ご本人のやる気にもを影響を及ぼすことがあります。

「仕事をしようと相談に行ったら、福祉施設にするように言われた」、「自分で生活をしてみることを、家族に言ったらできないと言われた」、「できていないところをたくさん言われて、頑張っているうちにつらくなった」、「希望を伝えたら、あなたにはできないでしょと言われてしまった」、「成人しているのに親の許可を必要と言われたり、窓口で子どもに言い聞かせるように言われるのがつらい」…などなど。

これらの話は、私は言われたご本人や周りからしか伺っていません。
ですので、相手の方が何を思ってこうした行動をしたのかまではわかりません。もしかしたら、行き違いなどで誤解が生じている可能性もあります。

それに限られた時間の中であったり、もしかしたら情報自体が不足している状況もあるかもしれません。ちょっと困ったことが起きていて…とつながってくる場合もあるでしょう。

ただ、そうした状況も鑑みたとしても、【でも目の前にいる人には力があるだろう】とちょっとでも私は感じ取れるようにしておきたいのです。

正直なところ、人の力を低く見積もって、抑制をかけすぎることを単純に「勿体ない」って思っています。
少し今までより先に一歩進もうとしている人がいて、それを止めてしまうことのいろいろな損失の方が、私には大きく見えるのかもしれません。

もちろん、ご本人の希望と異なる意見が私に生まれてくることはあります。
ただそれは、力がないからそうしろということではありません。
力がある個人であれど、今この時にその方法がご本人にとってどうかという点で見ますので、私から見て気になることがあればお伺いします。

そして、ご本人や周囲の安全を脅かすことは全力で止めます。
ですが、それ以外はなるべくご本人の決定を尊重する形はどこなのか、そのために何をするのか、しないのかなどを探っていきます。

私と関わった人の中には、最初ご自身が目指した道に進んだ人もいますし、変更した人もいます。うまくいったのかな?という人もいますし、これじゃなかった!となる人もいます。

大切なことは、彼らが自分の力も人の力も使って生きること。
それには自分にはできることがありそうと少しでも感じて、暮らしていくことが必要なのではないでしょうか。


私がここまで述べたことは、生きる人すべてに当てはまると思っています。
誰であっても、自分にはできることがありそうだと感じて暮らせること。
ちょっと欲を言うのであれば、できることを使って自分にも周りにも協力すること。

これが増えてくると、私が感じている「勿体ない感」はちょっと減るのかもしれませんね。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またの機会に。






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