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公開授業&旗当番で感じたこと

「子どもは子どもの要素を使い切ってからでしか、大人になってはいけないのです。」

精神科医の佐々木正美さんの言葉。

ちょっと前に、長男の小学校で公開授業があった。

長男は手をバンバンあげて、がんばっていた。

いや、正確には手をあげずにバンバン、思いついたことを発言していた。

まわりのお友だちに話しかけまくっていた(授業に関することだけど)。

私の小学生時代そっくりだ。


円形に座って話し合いの時間には、席を離れてお友だちの近くにいっていた(円が大きすぎて話がしにくい状態だった)。

長男のおかげで大きな円が小さくなり、話しやすくなった。
立ち歩きではあるのだけど・・・。


ひとり作業の時間は、黙々と作業に集中していた。

生活の授業で小松菜の種を観察していたのだけど、

「なくしやすいから、なくさないようにね」

観察に夢中な長男に、先生の声は届いていない。

子どもが動き出す前に(種を渡す前に)、伝えていたら少しは防げたかも。たぶん長男は忘れちゃうけど。

はい。先生が言った傍から、机からバッチリと種を落としてなくす長男。
しかも、本人、落とした自覚なし。笑

結局、見つけらずに新しい種をもらっていた。

私の小学生時代そっくりだ。

で、あらためて感じたのが、手を上げて聞かれたことだけ答える教室の異質さ。

この先生が悪いわけではない。むしろ、いろいろ考えているし、感じも良い先生。

私が感じているのは、教育システムへの違和感。

みんながみんな同じ方向をみて、同じことをやって、同じ答えにたどり着く姿に、まったくトキメキを感じなかった。

(観察だったから、本当は班をつくってわいわいやりたかったかもしれない。コロナの影響もあるだろうなあ・・・)

実は、私は公教育のことをもっと知りたいと思って、Teach For Japanの説明会にも参加していたのだが、

でも、やっぱり私がやりたいのは現時点での公教育ではないと思ったし、その改革でもないと思った。

その時間と労力で、自由にわくわく楽しく学べる場を創っていこう。

いまは、オンラインが最適!

マスクなしで、おしゃべりし放題!

コロナ対応ができるようになったら、リアルの学校もやってみたいなあ。

しかるべき時のために、アイディアは具体化しておこう。


そうそう、今週、担当した旗当番でも違和感があった。

たしかに安全を守るためには、班を組み、縦に一列に並び、話さずに、学校に向かうことは理にかなっている。

だけど、一言も話さず、下を向き、大人の誘導に従う子どもたち。表情がみな暗い。こどもが集まってこれは異様に感じた。

帽子を目深にかぶり、髪の毛で目を隠し、マスクが顔全体を覆うので顔がまったく見えない(あえて隠しているのだろう)子が多いことも気になった。特に高学年女子に多かったな。

信号待ちのあいだ、話を聴いてみたいけれど、どんな背景があるかもわからないので深入りはできない。

「おはよう」「行ってらっしゃい」と声をかけるのみ。

もやもやを抱えながら、終わりの時間が近づく。

そこに、遅れてやってきた4人組。仲良し高学年女子といったところか。(おそらく班登校ではない)

そして、おしゃべりしながら、横に広がって歩いている。

本来の私の役割であれば、注意すべきところなのだろうが、車も来ていないし、そこら辺の判断はできる子たちに感じた。

普通にあいさつをして、信号待ちのあいだ、

「4人組で背格好一緒で、なんかアイドルみたいだね!」

なんて話をした。なんだか人間らしいというか、子どもらしい姿がみられて嬉しかったのだ。

彼女たちは「アイドルだって!」と笑ってくれた。素の彼女たちがみられて嬉しかった。

私がつくりたいのは、そういう場所なんだと、改めて思う。


ちなみに、小学生の頃、私は班登校をしていなかった・・・。

ギリギリまでテレビをみていて、家を出たら猛ダッシュ!

どれくらいギリギリかというと、全速力をやめて、信号に2回ひっかかったらアウト。
(おかげで博識になり、脚力や諦めなない力もついた?!)

帰りは、お友だちと寄り道三昧。
(おかげで好奇心と体力が養われた?!)

小・中学校は遊んでいた記憶しか残っていない。

楽しかったなあ。

やっぱり楽しいときが一番学んでいるんだよなあ。

次回は、どんな時に学べるかを考えてみるか。

今後はnoteでも、教育についてアウトプットする機会を増やしていこう。

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