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人生に意味はなくてもいい

4歳次男は、思いついちゃったから、
パジャマを着替えることもなく、足で筆を持ち描く。
そこに意味はない。

我々大人は、目的や意味を求め、
「意味≒目的を成し遂げる」と思いがちだ。

人生は思い通りになんていかないものなのに。
人生にまで意味を求めたら、つらくなっちゃうかもね。

いわゆる成功者と呼ばれる人でも、
もともとそれで成功しようと考えていなかったケースが非常に多い。
そして何かを成し遂げたとて、もっと、もっと・・・
終わりなんてあるのだろうか。

欲望とは無縁なあのマザーテレサですら、死ぬ間際、自分は地獄に落されると思っていたそうだ。彼女以上にいったいどんな生き方があるのだろうか。

さて、昨日、東京大学先端科学技術研究センター 個別最適な学び寄付研究部門 LEARNプロジェクトのイベントで、高橋智隆氏と中邑賢隆氏の対談を拝聴した。


我が子の対応をしながらの耳だけ参加ではあるが、それでもzoomで参加できる便利な世の中になったものだ。

その対談で高橋智隆氏がこんな感じのことを話されていた。

・もともとロボット研究者になろうとは思っていなかった。就職氷河期で希望する会社の内定をもらえず。手塚治虫全集で幼少期から親しんでいたロボットを仕事にしようと、改めて大学で学びなおした。

・もしも大好きな釣りを仕事にしていたとしても、ものづくりが好きだからロボットも作っているんじゃないか。

高橋智隆氏はロボット研究者になろうと思っていたわけではないが、結果的には大好きな釣りをしているときも、野生動物をたまたま見かけたときも、誰かと雑談をしているときも、それらがロボットのアイディアに結び付くくらい大好きな仕事となっている。

高橋智隆氏からは、「ロボットで世の中を変える!」という大義よりも(きっとそれもお持ちだろうが)、「この人は本当にロボットが好きなんだなあ」と感じた。

それがいいのだと思う。

大好きなロボットや釣りに自分なりに関わっているだけでしあわせで、
のめりこんだ結果、たまたま成果がついてきた。

結果的にものすごいロボットを創ったが、ものすごいロボットを創っていなくても高橋智隆氏は人生を楽しんでいるだろう。

社会貢献とか、社会に有能な人間にならねばなんて考えなくていい。
国を豊かにするための公教育では、こんなこと言えないのかもしれないけれど。

資本主義社会とていっぱい稼がねばいけないこともないだろう。生きているだけで消費活動とか何かしら誰かのためにはなっているのだから。

それに、もしもギラギラしている人ばかりの世界だったら、俺はしんどい。
もしもキラキラしている人ばかりの世界でも、俺はしんどい。
あなたたちみんながいるから、俺はなんとかやっていけている。

先日、「命ってなんだろう?」って子どもたちと対話したのだけど、

I君「命は、(生き物だろうが物だろうが)そのひとがあると思えばある」

あるものはある。

そもそも社会的に価値があろうがなかろうが、命はある。自分はある。
あることを楽しんだらいい。

学校や会社から離れたとしても、自分はちゃんとここにある。
自分で考えて、そうしたいならそうすりゃいい。
まわりに何を言われようが関係ない。

「命はある!これは俺の命だ!」

当たり前なことなのだけど、社会や組織にいると忘れてしまいがちだ。

利他は大切だが、自分を犠牲にしてまですることではない。
自分が我慢しているから、他人にも我慢を求める。
結果、みんなが我慢する世の中になってしまったら、果たしてそれは利他になっているのか?

俺は自分を大切にできないやつが、他人を大切にできるとは思わない。
自分の大切なものを大切にして、相手の大切なものも大切にしたい。


あと、本当の自分≒社会で認められている自分、自分の理想像
ってなってる気がしていて、これもしんどい。

そんなものはなくて、等身大の自分が自分なんだって、今の自分を生きたらいい。好きに命を燃やしたらいい。

今の自分を生きたら、おのずと未来は拓いていく。

等身大だから、がんばらない自分であっても、今はがんばらない自分であっても、このあとがんばる自分であってもいい。

最後に、俺の好きなドラマのひとつ『未成年』の主人公(戸川 博人)の言葉。

「人間の価値を測るメジャーは、どこにも、どこにもないってことさ」


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以下、告知。

縁あってこんなイベントに登壇することになりました。
東京開催ですが、オンライン視聴もできるそうです。
お席いっぱいあるので、よかったらご参加ください!


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