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母子家庭はかわいそうなのか

『ねぇねぇ、レナちゃんちって何でお父さんがいないの?』
『母子家庭ってかわいそうにね』
『あの家の子は母子家庭だから付き合うな』
『母子家庭なのによく非行にも走らず…』

どれも耳にタコができるくらい言われてきた言葉だ。現在、母子家庭はシングルマザーという何だかオシャンな言葉に置き換わり、堂々と市民権を得ている。それはそれで大いに結構だ。

私の小さい頃、母子家庭はクラスに1人か2人、いつも薄汚れたブラウスを着て下のきょうだいたちの面倒をみている、勉強はできない、かわいそうだけど近寄りたくない、関わったらダメ、そんなイメージだろうか。スクールカーストの底辺を這いつくばうような存在として扱われてきた。

小学2年生の時の女の担任が、家庭訪問時、開口一口『まぁ、母子家庭なのによく非行にも走らず…』と母に慰めの言葉をかけたらしい。母は口をあんぐり開けたまま話を聞いたという。教職員の間で母子家庭の家は要注意というお触書きでもあったのだろうか。小2で、よく非行にも走らず…って何の非行に走るのだろう。
同級生だけでなく、担任からの徹底した差別的な扱いもほとほと疲れていた。

母はこうも言った。
『どんなにろくでもない男だろうが、家に金を入れない男だろうが、旦那が居るのと居ないのでは社会からの見る目が違う、人間として一段下に見られる、だからみんな離婚しないんだ。』

『あんたに父親が居ないからといって何も恥じることはない。お母さんはそこら辺の男より稼いでいる。母子家庭保護も就学援助も受けてない。何を言われても堂々としていなさい。』


当の私は最初から父親の存在を知らない、3歳の時に離婚して以来全く音信不通で父親の情報は何一つ教えてもらえなかった。保育園のとき、名字が二重線で消され新しい名字になっているのを見て、父親の姓を知ったくらいだ。祖父母も口を一文字に結んで、徹底的に父親の情報を話さなかった。我が家では父親の話はタブーであり、触れてはいけない話題のひとつであった。
最初から居ないのと一緒だ。何がかわいそうで何故差別されるのか理由が全くわからなかった。

まぁいつの時代も差別なんてそんなものなのかもしれない。人が勝手に優劣をつけて噂しているだけだ。


それよりもだ!
母子家庭のレナちゃんち、ボロアパートなのにピアノがある、お父さんがいないのにピアノを習っている、いつも新しい洋服を着ている、お父さんがいないのにピアノがうまい、、、ここら辺になってくると笑いが止まらないのだが、どうやら母子家庭の惨めな子がピアノを習ったり、いつも新しい筆箱を持っていたり、ピアノがうまいことは同級生の女子にとって納得がいかない事のようだった。
近所の友だちの家(幼稚園の頃から私をイジメていた主犯格の女子)に遊びに行くと、何故か私だけその子の母親に着ている服や靴下のチェックをされた。

祖父と母は暴力で暴れた後、必ず何か新しい物を私に買い与えた。何にもない日に大好きなスヌーピーの24色入りの色鉛筆、新しい筆箱、リカちゃん人形のデパートセットだったり、町に一つしかないデパートで欲しいものは大抵買い与えられた。私に迷惑をかけたという祖父や母なりの懺悔の印だったのだろう。祖母もまた、私が惨めな思いをしないようにと小学生には見合わない金額の小遣いをくれる。

本当に欲しいものはいつだって手に入らない。


新しい筆箱でもアイスクリーム屋さんのセットでも、近所の駄菓子屋で毎日飽きるまでガムを買えるお金が欲しいわけではなかった。
祖父、祖母、母の大人3人からの愛情は、歪んだ形で私に与えられた。今でいうところの大人の詫び料だろうか。

そうこうするうちに、レナちゃんちは母子家庭だからかわいそうより、レナちゃんちは母子家庭の『くせに』色々持っている、という嫉妬混じりの嫌がらせが始まった。

どうやら世間は、母子家庭=貧乏で可哀想な人、という勝手な方程式を私たち親子に当てはめたかったのだろう。
(もちろん私のような者ばかりでない事は百も承知している)


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