見出し画像

万引きとノイローゼ

何か書き忘れた事がある。

たくさんの事を書いているように思う人もいるかもしれないが、これまで書いてきた事は私に実際起きたことのほんの一部に過ぎない。

同じく小学4年生の頃、いじめっ子だった恵子ちゃんを筆頭に7人グループができていた。2で割っても3で割っても1人余る。1人余るのはいつも私だ。

悪だくみをする時は急に仲良くなる、よくある事だ。ある日学校から帰って恵子ちゃんとその妹と3人で遊んでいた時の事だ。
『レナちゃん、スーパーに行こう!』
近所の割と大きめのスーパーに菓子でも買いに行くのだろうかとついて行った。

すると恵子ちゃんは文房具のコーナーで辺りをキョロキョロしながら、手当たり次第、消しゴムをポケットに入れ始めた。彼女の幼い妹もまた楽しそうに真似している。『レナちゃんもやってみれば、楽しいよ!』そう言われ私も消しゴムをポケットに入れた。

数日後、また3人でスーパーに向かった。
今度はお菓子売り場だ。小さいガムやグミ、ポケットに詰め込むだけ詰め込んで走ってスーパーを後にした。次第に仲間が増えていく。最後の方は手分けしてこっちの3人は飴とガム、私ら4人は大きいポテトチップスの袋ねと、トレーナーやコートの内側に入れ、ゲラゲラ笑いながら走ってスーパーを去る。消しゴムがたくさん入った箱ごと、1ダース盗った事もあった。町の別の商店でも同じ事をした。恵子ちゃんや私を含む7人グループは万引きだけにおさまらず、学校のトイレの水槽タンクに空の牛乳瓶を入れるというイタズラもするようになった。

私は菓子を買う小遣いくらいいつでも持っていたし、たくさんの消しゴムが欲しいわけでもポテトチップスが食べたいわけでもなかった。
きっと理由なんてなかったんだろう。
万引きをする、学校のトイレをわざと詰まらせる、きっとスリルを楽しんでいたのだ。

だがある日のこと、何を思ったのか私は1人思い詰め、放課後1人で職員室に行き担任の先生にありとあらゆる事を話してしまったのだ。先生たちは慌ててそれが事実かどうか、他の6人の家に電話連絡し、その保護者と6人を個別に呼び出して話をしたらしい。

私は洗いざらい自分の犯した罪を時系列ごとに話し、反省文を書くことになった。警察には連絡されなかった。

不思議な事に、あれだけ短気な母も祖父母も何故か私を叱らなかった。祖父がひと言だけ
『なんでワシの孫がそんな事をするんだ、ワシに恥をかかすな、何でも買ってるだろう』と言った。そしてレナにやる小遣いが足りないんじゃないか?と考えた大人たちは、また小遣いの額を増やした。
逆に恵子ちゃんの家では小遣いが0になったと後で聞いた。

学校では緊急の学年集会が開かれた。
『レナちゃんが恵子ちゃんたちと万引きをしてそれをレナちゃんが先生にチクッたんだって…』噂は一瞬で学年中に広まり、私は1人孤立した。
その日から『レナちゃんが先生にチクッたから私らまで呼び出された』と7人グループの中の数人に言われ、ボスの恵子ちゃん、取りまき数人からは徹底的に無視されるようになった。自分から罪を告白して自分ひとり孤立してしまった。


きっと私は罪悪感を抱えきれなくなって、担任の先生に全てを告白したのだが、他の子からするといい迷惑だったのだろう。合唱部の仲良しメンバー以外、口を聞いてくれる女子が居なくなった。

その時の担任、角先生は公平性を重んじる人だった。私の話を最後まで聞き、勇気を持って素直に話してくれたと私を慰めた。色々考えたのであろう。その学期の通知表の行動評定が私だけ全てBになっていた。他の6人が私の通知表を見にきた。
『レナちゃんだけ全部Bだ、私らはCが何個もついてるのにズルい!』そう言われた。

その事件を最後に万引きもイタズラもスッパリやめた。


同じ頃、祖父母宅の近所に祖母の話をよく聞いてくれる佐伯さんというおばあさんが居た。
早くに旦那さんを亡くした一人暮らしの佐伯さんは、祖母が祖父から暴力を受けると、家に上げてくれ何度も祖母を泊めてくれた人だ。佳子ちゃんの留守番も快く引き受けてくれる優しいおばあさん。私も何度となく世話になった。若い頃精神病院でナースをしていた人だった。

毎日夕方になると、どこからともなく佐伯さんは現れて、私や佳子ちゃんの顔を見ては祖母と色々話していた。
とある日のこと佐伯さんは重い口を開いた。

『レナちゃんはノイローゼじゃないかね?あんたら大人のいざこざで子どもまで巻き込んだらいけんよ、あの顔を見なさい、最近レナちゃんはひとつも笑わん、子どもには子どもらしい事をさせてあげなさい』と祖母に言い残しそのまま家に帰った。

私の知らない間に祖父母と母、大人3人が何か話し合ったのだろう。それから1ヶ月間くらいだけれど、大人3人が急に優しくなった。母も私を殴らなくなった。(その1ヶ月間だけだが)
何か欲しいものはないか?食べたいものはないか?今日は学校でどんな事があった?
大人たち3人は腫れ物を触るように私の顔色を伺い、彼らなりに私に気を使っていたのが私にもわかった。

その頃の私は学校へ行きたくもなければ家にも居たくない、と一切の感情を消していた。
合唱部と学校の音楽の授業だけが唯一私の救いだった。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?