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飲酒習慣を脱しよう #22 〜おひとりさまで過ごす心地よさと転勤制度〜

紅茶のおいしさに浸り,家での1人飲酒という習慣がすっかり抜けている.冷蔵庫に缶ビールもワインボトルも入っている.日本酒やウイスキーのストックもある.だが,飲もうかなという気持ちはどこかへ消えている.そもそもそんなものあったっけ?と思うほどだ.家での1人飲みをやめて3週間くらい経つとこうなるらしい.
日常的に飲んでいた頃が少しずつ遠い記憶になる.それと同時に日常の近いところに飲酒は存在していたが,飲酒は必ずしも必要ない.しかし,普段街中を歩いていると飲酒への誘惑はあまりにも多い.今の私の最寄駅がそこそこ大きな駅であり,駅前には繁華街が広がっている地域なこともあり,帰りには居酒屋への勧誘をする人たちが多く立っている.最寄駅から自宅までの帰り道に居酒屋の勧誘の人たちとすれ違わずに帰宅するのはほぼ不可能.居酒屋の横を通らないで帰ることもほぼ不可能.とにかく飲酒への誘惑は多い.飲酒習慣を見直そうと決めて最初の1週間くらいは気になっていたけど,元々1人で居酒屋に足を踏み入れるタイプではなく,ビアバーなどのカウンターのお店だけ1人で行く程度だったのでそこら辺の居酒屋はそんなに魅力的には思わないが,飲酒頻度を減らそうと決めた当初は誘惑に思えた.
金曜の夜に通りかかれば,「いいなあ飲み行きたいなあ」程度には思う.一緒にお店に入る人がいれば入っているだろう.しかし,普段人と飲みに行く機会はあまりないので今後も帰り道のお店に入ることは早々ないだろう.誰かが私の最寄駅まで遊びに来てくれれば…そのタイミングで私に出張の予定が入っていなければ…きっと行くだろう.なぜなら私はフッ軽だから!
そんなこんなで今日もノンアルコール.


今朝,Twitterを見ていると佐々木俊尚さんのツイートが目に入った.

ソロキャンパーとして名を馳せているヒロシが執筆した記事がシェアされていた.私も読んでみると,みんなでワイワイするよりもソロキャンプをすることの良さが描かれていた.誰かと行けば同行者に合わせて本当に自分がやりたかったこととは違うことをしなくてはいけなくなる.人に気を遣わなくてはいけなくなる.しかし、1人で行けば誰かの意向に左右されることはない.

何をして、何をしないのか。どのタイミングでするのか。全部自分ひとりで決められます。この圧倒的な自由こそ、グループキャンプでは味わえない、ソロキャンプの魅力なんですよ。
ボーナス80万円男に振り回されるだけ…芸人ヒロシが「キャンプは絶対ソロがいい」と熱弁するワケ

引用した部分はソロキャンプだけでなく、1人で過ごすあらゆる面に当てはまると思う.人と出かけようとすると,人を誘い,人と時間を合わせ,当日行きたくないなあ面倒だなあと思っても自分から誘った手前キャンセルできない.もしもドタキャンすればあの時人を誘ってどこかへ行くと決めた自分を呪いたくなるくらい面倒になっても行かなくてはならない.

ちょっと世知辛い話になるけど、自分の考えだけで決められることって、あまりないな、と思うんですよね。
ボーナス80万円男に振り回されるだけ…芸人ヒロシが「キャンプは絶対ソロがいい」と熱弁するワケ

たしかにその通りで,普段生活してると自分以外の誰かに決められたことに左右されていることが少なくない.しかし,私たちは中々それに気づかずにいる.気づいた時には疲弊していることもある.誰かに何か言われたしたくないから,休みの日は家に篭りアニメや映画を観て過ごす人もいるのではないだろうか.好きな時に起きて好きな時に寝て好きな時に食べて生活したいと思うのは,自分で決めたいと心のどこかで思っているからではないだろうか.
少なくとも私は誰かの予定や意向に左右されながら過ごすよりも,自分でタイミングを決めて動き出したいタイプの人間だ.

以前,こんな記事を書いた。

その中で,私はこんなことを言っていた.

予定は未定で過ごす時間が欲しいのかもしれない。なんとなくここ行きたいなーみたいな心の赴くままにどこかへ行きたいのかもしれない。

何も予定が決まっていないからこそ,何をして,何をしないのかをこれから決めることができる.パンデミックになってから家で過ごす時間も増え,自分の好きなように予定を組んだり仕事を進めることができるようになって仕事をしやすくなった人もいるだろう.
もちろんいろんな決まりや制限は必要で,無秩序ではいけないのだけれど,あれもこれもルールでがんじがらめにしてしまうと,息苦しくなってしまう.明文化されていない人と人の関係でも暗黙の了解を察し合いながら過ごすのにも疲れてしまうこともある.
そんな苦しさからの解放としてソロキャンプはあるのだろう.ソロキャンプブームも何がしかからのプレッシャーから逃れるための抵抗のようなものなのではないだろうか.私は自家用車だったり,色々機材が不足していることもあり,今のところソロキャンプをやる予定はないのだけれど,仮に揃っていたらソロキャンプをやっているだろう.
機材が揃っていないとはいえ,私の家のテーブルや椅子はアウトドアメーカーのもので揃えられている.それはキャンプが好きだからというわけではなく,フレキシブル性があるからだ.軽くて折り畳みやすく,その日の気分によって簡単に位置も変えられるのが心地良くて一人暮らしを始めた当初からキャンプグッズで過ごしている.なので,アロマキャンドルなどを炊き,暗い部屋でぼんやりした灯りと共に夜を過ごすことも少なくない.擬似焚き火空間で擬似キャンプをしているようなものだ.
その時間は人に左右されず,自分の好きなタイミングでお茶を淹れたり,映画を観たりしている.
昨晩はアニメ「平家物語」を観ていた.普段からソロキャンプ的に1人で過ごしているので,私にソロキャンプは必要ないのかもしれないが,非日常空間は求めている.

キャンプ自体が日常から離れたくて行くものだけど、グループキャンプだと、声の大きい人の主張ばかりがまかり通ったり、役割分担で揉めたりと、どうしても日常を引きずっちゃうんです。それがソロキャンプにはありません。
ボーナス80万円男に振り回されるだけ…芸人ヒロシが「キャンプは絶対ソロがいい」と熱弁するワケ

非日常空間だろうとなんだろうと,誰かと一緒に行くとなるとどうしたって人に合わせざるを得ない.そして,日常を引きずってしまう.この日常に引きずられている感覚からの解放のためにも普段の生活圏から脱したい欲がいつも心の底には渦巻いている.

そんな欲がついに抑えられなくなり,週末に久しぶりのひとり旅に出ることにした.
かつて住んでいた京都に行くことにした.先週の内に宿泊場所は予約済だ.なぜこのタイミングなのかというと,東海道新幹線のエクスプレス予約を利用していると貯まるグリーンプログラムのポイントが今月末で消滅するからだ.2020年以降のパンデミックから人の移動が抑制され,本来のポイント失効タイミングがズルズルと伸ばされてきた.だが,そのポイントもいよいよ今月末に失効する.私は東京大阪間をグリーン車で往復できるくらいにはポイントが貯まっているので,使わずに失うのはモッタイナイ.グリーン車に乗るためにもどこかへ行くのだ!という先程の話との噛み合いが微妙な話ではあるが,パンデミック以降全然行けていなかった京都大阪にはずっと行きたいと思っていたし,2022年のうちのどこかでは絶対に行こうと決めていた.そのタイミングがグリーンプログラムの絡みもあってこのタイミングになったというだけだ.7月に入ってしまうと暑くなりすぎるし,このタイミングが意外とギリギリのラインだと思う.本格的な夏になる少し手前の関西に行き,懐かしのお店を巡る旅に出る.短い日程なので行けるところは限られているが,行きたいところは大体決めている.
家ではないのでこの時だけは1人飲みをするだろう.京都に住んでいた時によく行っていたお店や好きなお店に行くだろう.誰か知り合いにも会いたかったけど,突然なこともあり,誰ともアポをとっていない.誰ともアポをとらずに会えた人こそ本物の縁ってやつかもしれない.
そんなこんなで久しぶりの一人旅.とってもワクワクしている.


おひとりさまでいることの良さを語り散らかした後に,1人者が不利というか立ち位置が微妙になるのではないか?と思った話.

昨今よく取り上げられるようになった転勤制度.日経新聞のVoicyで上記の記事が取り上げられていた.先述したプレジデントの記事とは対照的だなと思ったので,こっちの話にも言及していきたい.
共働きが標準化し,人口バランスも高齢化している.そうなると,転勤というものが及ぼす影響力がより大きくなってしまう.共働きをしている家庭では,誰かの転勤によってみんなが再度職探しをするか,一人だけ転勤をして単身赴任をするかになる.介護が必要な人がいる家庭では,転勤になることで介護の担い手がいなくなる.どちらのパターンでも転勤が悪影響を及ぼす.そして,近年こうしたことに配慮して転勤制度の見直しがされ始めている.
既婚者や家族の介護を必要とする人たちなど,対象者が一部に限られているようにも思える.しかし,特別な事情がなくとも転勤を避ける人たちは少なくないだろう.元恋人も親と暮らしを続けるために勤務地が東京に限定されている会社を選んでいたし,「転勤は絶対嫌だ!」と言う知り合いもいる.もし転勤になれば辞めるなどと言い張る人もいた.私と同世代であれば,まだ未婚者であり,年齢も20〜30代で自分以外に背負うものがない人も多い.そういう人たちに対しての転勤への配慮はどうなっているのだろう?
就活時点で転勤の有無を見て会社選びをする人たちもいるし,転勤はあまり好ましいものと思われていないようだ.私が就活している時も転勤がないことをウリにしている企業はいた.当時の私は転勤の有無などどうでも良かったので,そんな企業は完全に無視していたが,人によっては魅力的に思う要素なのだろう.
そんな私も既に一度転勤を経験している.また転勤する可能性もなくはない.しかし,今私がいる部署からは自ら辞めない限り外へ出ることは中々ないらしい.なので,しばらくは転勤なく過ごしていくのだろうと思う.あくまで予想でしかないが…
現時点での私は転勤があろうがなかろうが,どうでもいいのだけど,結婚やらなんやらの人生に大きな変化を及ぼすことをちゃんと考え始めるフェーズに入ったら,転勤有りはあまり良いこととして捉えることはできないだろう.
転勤があるといろんなところに住むことができるし,いろんな人との出会いもある(飲み歩く人間は特にその土地土地での出会いがある).しかし,長期的に続く継続的な人間関係の構築が難しい.これは転勤に限ったことではなく,県を跨ぐ引越しを伴う移住をしたことのある人間なら理解できるのではないだろうか.
引越しの前後で,ずっと地元にいた頃よりも地元の人間には会いにくくなる.新しい出会いはありつつも,そこでお付き合いを始めたとしてもまた転勤で距離が空き,別れにつながることもある.
未婚者で転勤をし続けるとずっと未婚者のままで結婚をしたいと思っても中々できずにいるというループに陥ることもあるだろう.
独り者はずっと独り者で居続ける沼.
必ずしもそうではないけれど,そうなり得るのが転勤だなと思ってしまう.
今後,さまざまな企業で転勤制度は見直しをされていくのだろう.
ちなみに私が勤める会社では採用時に全国転勤ありか,特定のエリアに限定した勤務かを選択する.私は全国転勤ありで入社しているので地方を跨ぐ転勤をしたし,今後も遠いどこかへ行く可能性がある.
だが,全国転勤ありで入社したらずっとそうかというとそうではない.変えられないわけではない.入社から特定のタイミングで全国転勤ありから地域限定に切り替えることもできるらしい.(どのタイミングで切り替えられるのか忘れた)
もしかしたら,私も何年か後には特定のエリアに絞って働いているかもしれない.だが,そこで懸念すべきは賃金差が発生するということだ.全国転勤ありで働いてる方が賃金が高いのだ.切り替えるということは賃金が下がる.これがネック.
転勤はしたくないが,給与を下げるわけにはいかないと思った時に残る選択肢は"辞める"である.辞めて転職するである.
あれやこれやと方法を考えてみて良い方法が見つからなかった場合,最終的に行き着く先は退社になってしまう.これが転勤制度の嫌なところ.
どこに住んで,誰とどう生きるかは人生において重要な部分を占めている.個々人としてどう生きていくかにおいて譲れないポイントの一つだと思う.ここを自分で握れないとなると自分にとって大事な時に転勤を命じられる.
よく聞く話が家を買うと転勤にさせられる.
家を買う=継続的な収入が必要⇒会社を辞められない
この沼に一気に突き落とされる.これも転勤制度の闇.

そして,やや逆説的な話にはなるが,転勤を嫌う筆頭に挙げられるのは結婚やら何やらで"身を固めた"人たちだ.
裏を返せば,"身を固めていない"人たちは転勤候補の筆頭に挙げられるということだ.
つまり,前者のような人たちは転勤の対象者から外れる.免除される.(今後そういうルールも出てきそう) 一方,後者である私のような独り者は転勤の対象者になるだろう.
近年では新入社員も転勤を嫌うという論があるということは先述の通りだが,入社してしまうと意外とどうしようもできない.
私もその一人だ.前いた部署からの異動や転勤がいずれ来るとは思っていたが,予想よりかなり早かった.新幹線等での通勤を許可されたい!まだ引っ越したくない!と内心思っていたが,そんなことは認められず,有無を言わさず引っ越すことになった.(引越しの補助等は会社から支給はされた.) どっちが良かったかみたいなことをここで深掘りしないが,当人が望んだタイミングで転勤はやってこないということを私自身が実感している.幸いなことに,私は家庭を持っていないし,家族の中に介護を必要とする人もいない.自分以外に守る誰かがいないので,転勤を命じられてもすんなりと応じることができる.だが,誰かや何か守るものがあるとそう簡単に転勤はできない.足踏みすることになるだろう.二つ返事で応じることもできないだろう.それにもかかわらず,ある程度規模の大きな企業に勤めている人たちにとって今も尚ほぼ全員の背後に転勤制度はある.
転勤して支障があるかどうかフィルタリングしていった時に,転勤に何の支障もない人の方が少ないと思うのだが,転勤の対象とされる人は多い.みんな罰ゲーム,外れくじを引かされないように,ババ抜きゲームのように恐れている.
人材育成の一環とされていたり,出世するためには必要とされていたりもする.それが有効だった時代も確かにあるのだろう.
決してなくなることはないのだろうけど,対象となる人たちはもっと絞り込まれていいと思う.
より対象が絞り込まれるか,制度自体が下火になるか.どちらが先になるのだろう.


ソロキャンプを例におひとりさまの良さを挙げ、転勤制度を例におひとりさまの立場の苦しさを挙げた.
何事も一長一短.万事良しなんてことはない.
今思うことを記し残しておくこととしてつらつらと書き連ねた.

みんな適度におひとりさまとしての時間を過ごし,息苦しくなりすぎないように生きていこうね.

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