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反グローバリズム&反ダボス会議の感想

こんにちは。
音楽家のこうたろうです。
※この記事はAmazonアフェリエイトのリンクを含みます。

昨日、大阪市中央公会堂にて及川幸久さん主賓の反ダボス会議に参加してきました。

※東京と大阪で開催され、大阪会議では総勢1200名が参加し、満席であったということです。


今、世の中を席巻するグローバリズム、グローバリストと反対の立場での反グローバリズム基調講演というわけで、ゲストの方々が4名出席し、それぞれ約40分の講演となっていました。

今回はなるべく中立な視点でこの反ダボス会議の感想を綴っていきますが、当然筆者はこの会議に参加していますので、反グローバリズム寄りではあることを最初にご了承ください。

中立視点が重要であると感じるのは、やはり、物事には裏と面があり、それらは常々一体であるのが世の常であります。
当然グローバリストたちは、人々に自由と開放を与える反グローバリズム思想のメリットを世に発信することはありません。

しかし、同時に反グローバリスト会議である、今回の反ダボス会議でも、反対意見のグローバリスト側のメリット、そして、グローバリストたちの思惑、思考回路について発信することはありませんでした。

筆者は後述します、愛と調和の世界を創造したい、そして愛と調和の世界を創造するために音楽家を続けています。
しかし、一方でなんらかの思いや思想がある以上、その思想に対してある種の正義という概念が存在するはずです。

この反対意見が持つ正義も同時に考察することで、よりそれに対抗するための思考回路を強固なものにできるというものではないでしょうか。

このnoteでは主に次の3点に特に注力しながら進めていきたいと思います。

  1. 事実と想像を分ける

  2. 宗教と科学を概念的に織り交ぜる

  3. どちらか一方の正義を定義しない

個人的な思想は置いておいて、正義を定義しないというのは、非常に重要な点であり、どちらか一方の視点で正義を定義するから論争になるのであって、この記事では決して正義を定義しないということに注力していきたいと思うわけであります。

また、筆者は今回登場した方々の情報をほとんど知りませんし、みなさんそれぞれYoutubeチャンネルで発信されており、様々なビジネスをお持ちで展開されていたわけですが、それぞれチャンネルをみたことがありませんでした。
この先入観がない!という状態も中立視点でみるためにはとても優位性の高いものであると思っています。


グローバリズムと反グローバリズム

さて、グローバリズムってなんだ?!
そもそもグローバリズムというのはなにか?がよくわからない方もいらっしゃるかもしれません。

誤解を恐れずにすごくざっくりと言ってしまえば、新世界秩序。
都市伝説界隈でよく聞かれる言葉ではないでしょうか。

『世界を一つに、そして世界中同じ価値観で地球人として生きていこう』

というフレーズですが、ものごとには表と裏があり・・・(後半でかなり詳しく解説します)

『世界の人々を監視下に置き、管理していこう』

というフレーズにしばしば変換されます。

昨今はグローバル化が進みました。

見事に進みました。

世界中でマクドナルドが同じ味で食べられるし、同じ水準のライフスタイルになり、生活に必要なアイテムといえば、電気、水、wifi。

50年前に海外旅行するのと、現代で海外旅行するのでは感動の度合いは全く違っていることでしょう。

世界中で価値観を統一させていく・・・そんな流れがグローバル化であり、芸術の面でいうところの音楽の周波数や、写真のASA感度などが該当します。


音楽のグローバル化

芸術家の執筆ですので、音楽面についてもグローバルなお話をさせていただくと、国際標準規格として440hzが採用されたのも、実はグローバル化の一つ。

1939年にロンドンで決定ました。
この辺りは、Curanz Soundsのnote記事(筆者の音楽ブランド)で詳しく解説していますので、是非チェックしてください。

それまでは世界中でバラバラの周波数が使われており、音楽は面白いものでした。

モーツァルトはなぜ「旅をしない音楽家は不幸だ」という言葉を残したのか?

それは、わずか数百キロ離れたコミュニティーでさえ、音楽は多種多様な文化が融合した面白い文化だったからです。

ところが、どうでしょう?

昨今、西洋音楽がどういうわけか国際標準になっていますね。
義務教育で習うおたまじゃくしが音楽の基本になっていますね?

どうして日本人の誰もが音名をドレミファソラシドというのですか?
ハニホヘトイロハはどうしたんでしょうか?

もっというと、六、中、夕、五の音はどこにいきましたか?
これらの音は西洋音楽では変換できませんが、なぜか日本人から失われた音の叡智となっています。
これもグローバリズムの影響でしょう。

つまり、グローバリズムというのは、世界で統一した価値観を持とうという基本概念があるにはあるのですが、突き詰めると「ある価値観」に合わせられているという言い方ができるわけです。

その「ある価値観」とは何か?

その「ある価値観」を決めるのは誰か?

え、「なんで勝手に決められるの」
もっと自由でいいじゃない。

という構図がグローバリズムと反グローバリズムの根幹となるわけです。
ただし、この「ある価値観」に対して疑問を持つものが長年少なかったから、「ある価値観」を決定する人たちの暴走が始まっている・・・

「そんなのやりたい放題じゃないか!」という構図が今世界で起こっている。
と中立視点で語ると、このように解説することができます。


講演内容

トップバッターは水島総氏。
おそらく、今回のメンバーの中では最高齢ではないかと思うわけです。

グローバリストたちと戦うためにはどうすればいいか?
について語られていました。

個人的にはこの会でもっとも好きになった人。

すごくざっくりまとめると、それは「愛」であるということです。

特攻隊のドキュメンタリーを制作した経緯から、特攻隊のお話をしてくださいました。

また越境チャンネルを運営するYoutuberの方も登場しましたが、アイスランドの地熱エネルギーについて論じておられました。

こちらも後述します、インディペンデンスの重要性を最終的に結論として出しておられました。

次に羽賀ヒカルさん。
神道研究家であるということで、グローバル化で侵されてしまった日本文化について熱く語っておられました。

非常にエネルギッシュな方であり、神社と神道を愛する心が伝わってきました。

天津祝詞をマイクなしで披露してくださり、会場のみなさんの幸せを願ってくださいました。

神道文化が好きな筆者としては、天津祝詞の音、音程についても研究成果を触れてくださると、音楽家としては非常に嬉しかった・・・というのが正直な感想です。


ワクチンの薬害

非常に興味深かったのは最後の佐々木みのり先生の講演でありました。

ワクチンの薬害については、賛否ある中で、ワクチン接種が始まったあと、急激に死亡者数が増えたのは「ワクチンが原因ではないか?と思っている」という仮説でした。

ここでワクチン推奨派の方に勘違いしないでいただきたいのが、佐々木先生は、あくまで「原因がワクチンであると仮説を立てている」という主張であって、ワクチンが原因であるといっているわけではない点。

科学者として、医療従事者としてワクチンには大きな問題点があるから、「調査してほしい」という主張なのです。

ただし、文章読解力が低下した日本において、こういった主張を端折って聞く、あるいは都合よく切り取って聞くと、「ワクチンが原因だ!」と言っているように勘違いしてしまうと、そういうところから齟齬が起こるのではないかと思うわけです。

ワクチン接種後に死亡、または、異常が起こったロットNOも上位順に特定している。
調査材料は揃っているのだから国民の安全と健康を守るために調査するべきではないのだろうか?という至極当然の主張が行われているわけであります。

ワクチン推奨派、反ワクチン派というのが社会の中で分断構造になっていること自体は知っていましたが、問題提起の本質をしっかりと見抜く力を一人一人が培っていくことでそれぞれの意見、主張が融合できるポイントは探れるのかもしれないと思いました。

少し反ダボス会議側の視点で政府に皮肉をいってしまえば、「本当にワクチンが無害で問題ないのであれば調査材料は佐々木先生をはじめとした世界中のドクターが無償で提供してくれているんだから調査すればいいじゃない?」と感じました。

佐々木先生は、死亡者数の推移の異常なデータ推移をみて、調査するべきでは?と思うのですが、政府側が調査に前向きではない・・・「紅麹事件」はあれだけのスピード感で厚労省が動いているのになぜ・・・

なぜ?と言っているに過ぎないわけで、そこから先はこの講演を聞いた視聴者それぞれが考えればいいお話であります。

また、佐々木先生はWHOに疑問を持ち、脱退したメンバーで組織されたWCHの副理事を勤めておられる方であり、人々にとっての本当の健康とはなにか?について教えてくださいました。

この辺りの健康関係についてはnoteだからこそ書けることになるので後述します。


グローバリスト VS 反グローバリスト

さて、ここからは両者の思考回路、思惑、実際のところを推測しながら進めていきたいと思います。

筆者は反ダボス会議には出席しましたが、ダボス会議には出席していませんので、ダボス会議側、つまりグローバリスト側の意見や主張、思考回路は想像に過ぎません。


グローバリストの正義

  1. 人口削減計画

  2. 人類総監視管理社会

  3. 権力と富のより強固な集中

がピックアップされているわけでありますが、ビルゲイツ(WHOの出資者)をはじめとしたダボス会議に呼ばれるメンバーたちは、これらの世界の流れに共通の総意を持っているわけであります。
また、彼らはそれらを否定することもしません。

例えば人口削減計画。
食料自給率もままならない現代の地球において、一見増え過ぎた人口を減らしたいだけの政策にも見えますが、ものごとはそんなにシンプルな話ではありません。

ダボス会議のメンバーは、地球の文明をより高度で強力なものにしていきたいという想いがあるわけです。

橘玲さんの言ってはいけないシリーズでもデータとして登場していますが、人間のIQ、つまり知能指数というのは、ある程度生まれた環境で決まってしまうというところがあるわけです。

実際のところ、出生率が高いということは、イコール所得が少なかったり、子供に満足な教育を与えることができなかったりする地域が多い、また避妊に対する知識が乏しかったり、人生設計や計画に関して欲望を優先してしまう人たちが多い地域である。

つまり、優生学思考の人々にとっては負のループ、負の連鎖がそこにあるわけです。

ビルゲイツに関していえば、そういう地域のためのコンドームを製造、配布をすることで優生学的に優位性の低い民族の妊娠・出産を減らしていこうという動きが当初あったそうです。
しかし、それでは効果が薄かった、というわけでワクチンの地域大量接種など、そういう方向に進んだ・・・というお話をどこかで聞いたこともありますが、これはビルゲイツの思考回路、また優生学視点の方々にとっては自然な回路であると言えるわけです。

「貧困から抜け出すためには計画的に妊娠と出産をし、十分な教育を受けさせるだけの潤沢な教育費を確保し、知恵と富を人類でわかちあう余裕と時間が必要である」とビルゲイツはいっているようにも聞こえます。

ただし、その個人的な価値観を強制的に植え付けるのは話がまた別(ここに筆者が反ダボス会議に参加し、個人的には反グローバリストよりである理由が含まれています)。

また、総合監視管理社会ということで言えば、まるでSF映画のようではありますが、街中いたるところに監視カメラが設置され、地球人すべてのSNSや行動が監視され、マイクロチップの埋め込みでバイタルやその他健康状況まですべて管理された社会、、、これをグローバリストたちはユートピアであると思っているわけであります。

そんな恐ろしい話・・・とお思いですか?

筆者も、そんなおそろしく窮屈な話は嫌だ・・・と思います。
ただし、介護業界にフォーカスしてみてください。
介護は綺麗事だけではできません。

看護や介護に携わった方であれば十中八九共感していただけるかと思いますが、元気な要介護1〜2の介護よりも、重度介護である要介護5の方が精神的にも肉体的にも「楽」だったりするのは事実なんです。

これに異を唱える業界関係者はおそらくいないのではないでしょうか?

つまり、管理する側の視点(ダボス会議出席者はなぜか自分たちを管理する側であると勝手に思い込んでいる)でみたときに管理される側はできるだけ身動きが取れないようにする方が楽なのです。

おまけに合理性を重視すると、街中いたるところにカメラを設置し、マイクロチップで個人の行動をすべて管理監視することで、犯罪はおそらくなくなっていくでしょう。

  • 巨大なカゴ車に園児たちを詰め込み散歩する保育士

  • 狭い牛舎に閉じ込めて育成する酪農家

  • 整列させ出席番号をつける教師

だって、子供たちの安全のためでしょうが!が認められるのであれば・・・

同じように、ダボス会議の人々が「人類の安全のためだ」と主張するのもある程度理解が得られるのかもしれませんね。

彼らは彼らなりの正義がある・・・という偏りのない視点は一定数必要なのではないか?と思うわけです。

監視社会カメラのおかげで街から犯罪は減り、SNSの誹謗中傷で傷つく人は減り、人類すべてに埋め込まれたマイクロチップで病気の早期発見、孤独死の防止、緊急車両のすみやかな手配。
埋め込まれたチップのGPSで子供の誘拐、行方不明の防止。

管理する側にとっての正義とは、無計画に子供が増え、十分な教育が与えられないまま貧困のループに入り、犯罪に手を染めなければいけない、するとその被害者が発生し、因縁と怨恨が生まれる。
それを阻止するユートピアを築くためには、人類から貧困をなくす、つまり計画的に次世代のこどもたちを産み、十分な教育を管理しながら施し、人類全体のIQの平均値をあげていくことが、幸せである・・・

という、まさにナチスが考えた優生学がベースにある思考回路になるわけです。
(もちろんこれは筆者の想像です)


民主主義を否定するパレートの法則

これらの監視社会や、富や権力の集中に関しては、自由でかつ民主的とはいえません。
それでは、グローバリストたちが民主主義を嫌う合理的な理由も一つ彼らの正義の視点から考察してみましょう。

アメリカのSF映画の中に「26世紀青年」というものがあります。

2005年、アメリカ陸軍は極秘裏に人間の冬眠実験を開始する。実験体に選ばれたのは平均的な能力を持った軍人ジョー・バウアーズと売春婦のリタ。1年間の計画だったが、極秘実験の責任者が麻薬不法所持と売春あっせん容疑で逮捕されたため忘れ去られ、二人は500年後の未来に目覚めることになった。500年の間、賢い者が極端なK戦略をとって子作りを控える一方で知能の低い人間が極端なr戦略をとって野放図に子供を作り続けた結果、平均IQが低下し堕落した社会となっていた。ゴミがひたすら積み上げられ、砂嵐が吹き荒れ、農作物は育たず、水の代わりにスポーツドリンクが供給されていた。元の時代に戻るためにタイムマシンを探すジョーは、周囲から馬鹿にされたり刑務所に収監されたりしながらも、この世界の生きている人間の中で一番のインテリであったため、内務長官に任命され、農業の復活と砂嵐を止めさせられる羽目になる。

あらすじ:Wikipedia

つまり、冬眠して500年経ったら、当時は平均的なIQであるが、天才になっていたというもの。

さて、EQ(心の知能指数)との複合的な上昇を無視した単純な知能で言うところで見ると、50年前、100年前の人の方が、おそらく知恵を駆使することができたし、500人程度の住所で電話番号は当たり前に暗記していた時代に比べると、現代人は極端に頭を使うことが少なくなりました。

では仮に、今この記事を読んでいるあなた自身に、日本を大統領制度に変えたので、大統領になって日本政府の未来を舵取りしてくださいと言われたらどうでしょうか?

アメリカの1ヶ月大統領に選任されたので世界を平和に導いてくださいと言われたらどうしますか?

おそらく瞬間瞬間の判断でたくさんの人々の命が犠牲になっていくのを横目に精神的に耐えられなくなるでしょうし、「俺についてこい」と難しい判断をこなしていく精神力を持った人はほとんどいないでしょう。

また、国家を運営する、国民の幸福と命を背負う知識と知恵を持ち合わせていないでしょう。

世の中にはパレートの法則というものがあり、組織の中では2割の優秀で賢い人がその道標となり、残りの8割はただ存在しているだけ。。。
この法則の面白いところが、「じゃあ残り8割をリストラして組織を優秀な人だけに固めればいいのでは?」という思惑は存分に打ち砕かれてしまうと言うものです。

8割と削減すると、残った2割の中からさらに同じ配分で仕事をしない人が誕生してしまうのです。

これは、筆者の別アカウント「音楽家育成塾」の記事ですが、オーケストラだって、演奏技術の高い人ばかりを集めるわけにはいかないのです。

全体の水準を保つために、必ず8割となる演奏者(この記事では2割の技術の低い演奏者)をバランスよく配置することが必要になってきます。

つまり世の中の8割の人は優秀で賢い2割の人の指示に従って生きている、組織構造そのものがそういう仕組みに生物学的になっている・・・
というわけで、それは国家も然りであるという論理なわけですね。

であれば、どうでしょうか?

8割の仕事をしない、考えない人の民意でリーダーが決まり、国の方針が決まっていくというのはパレートの法則を原則であると仮定した場合、少々危険に感じませんか?というのが、グローバリズム支配者層の思考回路である・・・と推察しています。

事実、他国からの侵略的革命が起こる前の江戸時代、日本史上もっとも成功した平安の時期であったと言われるこの時代は徳川家独裁政治であったことは言うまでもありません。

代々帝王学を学び、知識と知恵を絶やさぬ教育が詰め込まれた将軍または、老中たちの叡智により、安定した失敗の少ない政が行われていたと考えるのが自然です。

江戸時代が大統領制度で投票によって決められた民意のみで運営されていたらこれだけ長い期間天下泰平の世を維持できたでしょうか?


非縦割り組織とインディペンデンス

現代では、私たち一人一人が判断して自分の人生に責任を持って生きていく力が失われています。

命令されて、指示されて、方向性というレールを敷いてくれるからこそ、「安心感」があると言う方も多いのではないでしょうか?

明日会社をクビになったら・・・?

「そんなのへーき!むしろ大歓迎!」というインディペンデンス(独立性)が反グローバリストと戦う武器の一つになると、越境3.0チャンネルの石田和靖さんは主張されていました。

また、パレートの法則を打ち砕く究極の打開策があります。
それが、2010年代から盛んに言われるティール型の組織です。


ティール型の組織体系

縦型の命令組織ではなく、一人一人が今自分がなすべきこと、するべきことを考え、インディペンデンス性を確保しながら組織を運営していく。

そんな組織体系が理想であると言われる時代になりました。

イーサリアムの開発者ヴィタリック・ブテリンも推奨している形態であり、イーサリアム開発組織そのものがティール型の組織であると言われています。

命令系統が縦型ではないので、パレートの法則が機能しません。

全員が優秀で最高の仕事をできる人材が集まっています。
仮に、優秀ではないとしても、、、比較する命令体系がないので、その人材が優秀かそうでないかを評価する基準もなければジャッジする存在もありません。

インディペンデンス性に視点を合わせた場合、こういう概念を知ることもグローバリズムに対応するための武器の一つとしてストックすることができると言えるのではないでしょうか。


反グローバリストの正義

先述したグローバリスト側の「権力と富の集中」のところは、ここで触れたいと思います。

ずばり戦争です。

戦争というのはしばしば権力と富の集中のために行われている・・・

というのは、一昔前であれば都市伝説的ではありましたが、現在それは事実として周知のことであると思います。

アメリカは経済が厳しくなったらどこかで戦争を起こす・・・

というのは歴史が物語っていることであります。

アメリカでも反グローバリスト側であるドナルド・トランプ氏の在任期間中は世界が平和に導かれていました。

歴代アメリカ大統領の誰が北朝鮮に足を踏み入れたでしょうか。

また、同じく反グローバリズムの象徴とも言えるプーチン大統領は常に平和的な解決をひたすらに望んでいました。

グローバリズム側の大きな武器であるメディアの力によって、プーチンは戦争を仕掛けた悪者であるかのような報道によって誤解している方もいるかもしれませんが、プーチンは戦争を防ごうとした側であり、今でも戦争を終わらせたいと強く願っている側であるわけです。

是非こちらのインタビュー全編日本語化の記事にて詳細を読んでみてください。

彼が、経済制裁を受けた際に発した言葉「1ロシアルーブルは1ロシアルーブルである」というのは反グローバリズムの視点で見ると歴史的な名言であると思います。

FRBが勝手に発行した紙切れとエクスチェンジしてんじゃねーぞ!というわけです。

ごもっとも過ぎませんか?

お金とは何か?
こちらの書籍が非常にわかりやすいですが

お金とは信用を具現化した存在でした。

しかし、しだいにそれは信用を抽象化した存在へと変わっていくわけです。

現代ではお金という概念のほとんどは抽象化されていますし、FRBが発行した紙切れ、またはその概念(価値観)をなぜ世界中の人々に押し付けているのか?
というお話なのであります。



あなたはお金を信じていますか?

あなたはみたことも触ったこともないお金を信じているでしょうか?

世の中は滑稽なもので、神様という存在は「みたことも触ったこともないから信じない」という人ほど、「お金はある」と信じて疑わない人が多いんです。

あなたの手元にある一万円札は日本銀行券といって、日本政府からの借用書であり、それはお金ではないんです。

あなたがその一万円をお金であると信じ、取引相手も信じ切っているという前提条件のもと初めて機能するわけなんですね。

どうしてこういうお金の話が出てくるか?といいますと、それがこの記事の結論部分であるグローバリズムの倒し方に繋がっていくわけです。

さて、さきほど、お金とは信用を具現化した存在であると論じましたが、それでは信用とはなんでしょうか?

  • 人を信じること、つまりあなたの家の鍵を預けられる人です。

  • 手足を縛られても相手に頬を出せることです。

  • 相手を愛することです。

水島先生は基調講演でおっしゃっていました、反グローバリズムを倒すためには愛が必要であると。
グローバリストたちはそういうのが一番困ると。

つまりグローバリストたちがいくら富と権力を集中させようとしても、一人一人が富を再定義し、FRBが押し付けた価値観をはねのけ、純粋な愛の循環こそがお金の循環であると信じることで、グローバリストたちの富そのものに価値がなくなるというわけなんですね。

FRBが押し付けた謎の価値観があっての富・・・
が現代のお金、貨幣であるということを私たち一人一人が理解し、俯瞰して世界をみることで、グローバリストたちの富と権力の集中は阻害されるということになるわけであります。


宗教信仰 VS 科学信仰

主催の及川さんといえば、自由・民主主義・信仰の推進を掲げているわけであります。

信仰の推進というと、宗教っぽい・・・という印象を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、実は人類の短くも長い歴史の中で、信仰をベースとした生き方というのは多数派であり、スタンダードなものでした。

現代でも、タッカーカールソンのインタビューでプーチン氏が堂々と語っているように神と繋がる、そしてトランプもコロナの中で大切なことであると主張する中でロックダウンではなく、、、仮にロックダウンするとしても教会は開けるべきであると言っていたわけであります。

当然、我が日本国においても、神社が運営厳しくなったのはここ数十年であり、八百万の神々への信仰心が失われたのはGHQの思想操作によって・・・というのはこれまた一昔前は都市伝説だったことが、今では常識となっている良い例ではないでしょうか。

詰まるところ、グローバリズムと反グローバリズムというのは、宗教信仰と科学信仰のあらわれであると言い換えることができます。

現代ではどういうわけか、まるで人類は高度な科学技術を手に入れた存在であると勘違いする傾向にありますが、科学で判明していることなんていうのは、この世界の成り立ち、真理の視点で見るとそれこそ、からし種一粒よりも小さな、もっともっと小さなミクロの世界すらもわかっていないことだらけです。


全身麻酔のメカニズム

例えば全身麻酔のメカニズム、これ、未だになんで効果があって、なんで回復するのか解明されていないんですね。
もちろん神経を遮断するというロジックは解明されていますが全容が解明されているわけではありません。


短調と長調

明るい曲、暗い曲。
何がどう違うのでしょうか?

音楽理論の中ではメジャーコードの場合、ルートに対して長三度の音、マイナーの場合は短三度の音が「明るい」「暗い」を表現しているということは学校で習ったと思います。

しかし、人々がなぜ短三度を暗いと感じ、長三度を明るいと感じるのか?
科学的には一切解明されていません。

神智学者のシュタイナー曰く、子供は9歳までは三度の違いが聞き取れないそうです。

とある英国の音楽心理学の書籍の中で、心理学とは科学である!と豪語して進めていく中で、子供は9歳まで三度の違いがわかりません・・・と明記されていました。

もちろん解明されていませんから、理由も根拠も記されていません。
とある神智学者(シュタイナー)が霊視でみた客観的事実を科学と豪語する書籍に明記しているわけです。

いかに科学の情報量が少ないかが垣間見えるのではないでしょうか。


合理性 VS 心

宗教信仰 VS 科学信仰をさらに俯瞰して抽象化していくと、最終的には合理性と心の戦いになってきます。

そして、先述しましたが、富、つまり豊かさとは何か?を定義することにあると思います。

人間としてこの物理次元に存在する以上、心の声に耳を傾け、心の声に従って生きることに豊かさを見出すのか?

合理性と科学、そして科学で解明されないものは暫定的に機能しないものであると断定して生きていくのか?の選択であると思いますが、、、

ここで最大の問題点というのは、暫定的かつ強制的に機能させることでしか成立しない科学信仰者の価値観を合理的に植え付けていく・・・

というやり方が非人道的で人権を無視したやり方である点がグローバリストたちの問題点であるわけです。

自身の信じる正義は勝手です。
どんな価値観を持つのも勝手です。

ただし、なんらかの手法を用いて強制力を伴わせるべきではありません。

反ダボス会議が心地よく感じるのは、「感じ方、選択肢」それは各々の自由であるという前提条件を崩さないところでした。

どちらが正解とか、正義とかはありません。
選択は私たち一人一人がすればいいのです。

考えるのが面倒な人はパレートの法則の元で2割のグローバリストたちに監視・管理されながら生きていけばいいし、考えたい人は世の中の真理を追い求め、自由を手に入れればいい。

どちらもメリットデメリットあるのです。
自由=メリットしかないと考えるのも浅はかであり、思考が停止していると言わざるを得ません。

芸術、音楽を例にすると非常にわかりやすい。

ピアノを一台与えられて、「何も制限はありません、自由に演奏してください」と言われて自由に演奏できる人は間違いなく少数派です。
それほど自由という概念は実はとても思慮深い思考回路が必要になるのでです。

自分自身が何を求めるのか?選択の自由を炙り出す思想こそが、反グローバリズムといえるのかもしれませんね。

人間は思考する努力を省きたいために、ありとあらゆる方便に頼ろうとする。

エジソン



反グローバリズムのゴールとは?!

国家の運営には様々な主義思想が混在していることでしょう。

日本には神道という素晴らしい文化・宗教がある。
民は共に祈り合い、祈り、国家の保安と繁栄を最高祭主である天皇陛下の元皆で意識を統一させる。

これは少し乱暴な言い方をすると、宗教による支配といえます。

そうです、、、
宗教が歴史上まるでサプリメントのように民の支配のために道具として使われてきた歴史があります、、、
いえ、言い方が間違っていますね、使われてしまったという表現が適切でしょう。

本来神々への信仰というものは支配ではなく、一人一人がこの世界の仕組みとシステムに対し内なる神と繋がり、叡智と意識を向けることにあります。

それが機能していたのが、縄文文化をはじめ、古代文明だったのかもしれません。

さて、ここからが大変重要になります。



正しい信仰心と正しくない信仰心

それでは、この先の未来、反グローバリズムの台頭により、人類が選択の自由を手に入れた世界。

そして、神々への信仰心を手に入れた世界で、正しい信仰心と、正しくない信仰心を分ける隔たりとはなんでしょうか?

誰がどのようにジャッジするのでしょうか?

「これが正しい信仰心である」と指導されているようでは、本当の自由とは言えないと思いませんか?

信仰心のガイドが必要であり、ガイドなしでは正しさをジャッジできないのであれば、グローバリストたちが提案する世界と同じではないでしょうか?

  • 正しい信仰心とは、常に他者の幸福を願う心。

  • 正しくない信仰心とは、他者を犠牲にしてでも自分の利益を得る心。

であると定義します。

グローバリスト、そして悪魔崇拝の人たちだって、目に見えない存在に信仰を持っているぞ?

はい。
ただし、上記の定義では悪魔崇拝は正しくない信仰であることは明白です。


犠牲にするという点が非常に大きな転換点となりえます。
自由を手にいれるという意味において、自身の幸福を追求する権利と主張は認められて然るべきであると考えます。

それはまさにアダムスミスの神の見えざる手・・・理論でしょう。

自己の幸福追求は結果的に他者を幸福にするというロジックは一定数機能していました。

そこに、他者を犠牲にしてでも自己の利益を得たいという正しくない信仰心が加わったことによって、世界中のグローバリズムが勢力を増していったのであると思います。

加えて、「悪魔が支配する世界に変える」とシュタイナーに言わせた440hz。
これは1939年にグローバリズムの一環で世界統一されましたが、こういった分野でも、地味なグローバリズムの拡大が試みられているのかもしれません。

愛と調和の周波数432hzに変えてみませんか・・・?


と、いう具合でパネラーの皆様が展開するビジネスを上手に宣伝をしておられた反ダボス会議でした。



結論:がんばってください

パンデミック条約やワクチンに関する内容を披露してくれた、佐々木みのり先生がおっしゃっていた言葉が非常に印象的でした。

「よく頑張ってくださいね!応援しています!と声をかけられるんですが、何か違和感を感じていました。最近ではがんばってくださいねと言われたら、一緒にがんばりましょうと声を返すことにしています」

なるほど。
これに尽きると思います。

及川幸久さんの新刊「脱・奴隷論」のキャッチコピーにも次のようにあります。

「傍観者をやめて行動者になれ!」

未来に現実はすでにある
未来と現在の距離を縮めるために行動する
現実になる


未来から今へ

この世界の時間軸は常に未来から今に向かって流れています。

未来が決まると、今が決まり、過去が決定します。
これはこの世界(量子物理的な)の不変の事実なのです。

グローバリストたちの思想が、世界を包み込んでいる。
自由を求める反グローバリスト思想は陰謀論者だと揶揄される。

この違いはなんでしょうか?

それは、非常に単純なことなのです。

グローバリストたちは行動する。
行動するから現実になる。

それだけのこと。

では、自由を求め、愛と調和の心に満ちた世界に変えたい反グローバリストたちも、行動すればいいじゃないですか。

グローバリスト思想の人は決して、ダボス会議のメンバーに「頑張ってください!」などとは言わないでしょう。
きっと「俺がいつかあの席に座ってやる!あいつが失脚したら、あいつさえいなければ俺の席になる!そしてもっと権力と富を集めてやれさえすれば・・・」という想いでしょう。

ただし、先述した通り、それは正しくない信仰心であります。

選択するのはあなたであり、行動するのはあなたです。

一昔前に都市伝説、陰謀論の一つに過ぎなかった説が、現実のものとして現れています。
これは、単に「そうなるように!」行動した人が大勢いたからです。

どうなるように、したいですか?
「そうなるように!」しましょう。

So be it!

ラムサ