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【0031】えむしたのこと「眠気なんて、どこかに吹っ飛んでいた」

 眠気なんて、どこかに吹っ飛んでいた。
 早朝の静けさは、ひとりまたひとりと目覚めてゆく街の物音をつぶさに拾いあつめた。建付けの悪そうな雨戸の開く、どこかで鳴りつづける目覚まし時計、シーツだろうか布団だろうか、ベランダではたかれているそばで幼い子が駄々をこねている。きっと、まだ眠り足りないのだ。スマートフォンを二の腕に巻きつけたランナーが走り抜けていく。まだ明けたばかりの低い陽のなか、薄紫色の夜が溶けていく。無数の光はそろりそろりと、いささか遠慮がちに日影を侵食した。

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ルームシェアをしながら、歌い手活動をしている「明日」と「えむち」。明日の部屋の一輪挿しが枯れ、花瓶の水が澱みはじめた頃、えむちはようやく今回の失踪が普段の気まぐれとはどこか違うのではないかと察する。不安は的中しており、明日の体には常盤色化と呼ばれる異変が生じはじめていた。植物の蔦を模したようなしみが皮膚に広がり、やがて全身を覆ってしまう奇病。一方、えむちはある事件をきっかけに人前で歌うことができなくなっていた。移り変わってゆく、彼女たちの季節を追う物語。

・文学フリマ東京37 (星屑と人魚2023秋冬号/https://bunfree.net/event/tokyo37/)  └ 「つむじ…

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