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「音読の宿題」苦手な子が多いんだよね。

2022.12.26 音声配信より
Nottaを活用して文字起こし。

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今回は、音読の宿題嫌いな子が多いんだよねという話です。
最近の「学校の宿題」というもの、について
数年前に放課後等デイサービスの勤務をスタートしてから
久しぶりに、目の当たりにすることになりました。

我が家には子どもがいないので、何十年ぶり⁈感じで
「懐かしい〜!この教科書の、この話!私のときもあったわぁ」
「なるほど〜こんな宿題が、最近は出てるんだねー」って
いうふうに思うこともあったんですが、
私が小学生のときもありました。この「音読」の宿題。

放課後デイの「宿題支援」事情

放課後等デイサービスで宿題の支援、するのは何故か。
お子さん達は、放課後だいたい3〜4時台に放課後デイに来て
それからおうちに帰るのが5時〜6時過ぎということになります。

その時間以降に宿題をやって、ご飯を食べて寝る。となると
あっという間に夕方になっちゃいますよね。
自宅で親御さんが宿題を見てあげる時間も、なかなか取れない。
なので、私が勤務している放課後デイは
できるだけ宿題を終わらせておうちに帰る、という流れになっています。


この音読の宿題。改めてお子さんと一緒にやってみると
ひとっっっつも!!面白くないんですよね。
私から言わせれば、あのやり方だと、やりがいもないし達成感もない。
というのは、何回も繰り返し読むのですが
はっきり言って興味ゼロの物語が多いし、展開も分かってるし全然面白くない。

声に出して読むっていうことは、頭の活性化に繋がったり
あとは、どんな気持ちでこの人はこういうふうに言ってるのかなっていう
セリフに当たる部分が、黙読ではなく音読をすることによって
より理解が深まるという部分はあろうかと思います。

音読の宿題 大人は面白み感じる⁈

けれども「大きい声で相手に聞こえるように読みましょう」と宿題を出されて
同じ内容をもう何十回ともう授業の中でも取り組んでいますし、
1週間、同じ物語を「1日3回読みましょう」っていう宿題に
なんの意味があるんだろう⁈って、素直に疑問を感じてしまいます。
お子さんのモチベーションもちろん上がらないですよね。

例えば「初めて読むこの物話を声に出して読んでみよう」
となったら「さあ今日はどんな話かな⁈」って
集中してわくわく♡と思いながら
声に出して読むっていうことができると思うんですけどね。

また、一般的な音読の宿題では
「何回読みましたか」「大きい声で読みましたか」「ゆっくり読みましたか」
みたいな、チェックリストがあって、そこに親御さんが◯をつける
音読カードっていうのがあるんです。

療育現場で、言語聴覚士として学童期のお子さん達に関わっていますので
⚫︎吃音がある
⚫︎発音の苦手さがあって自分の言葉に自信がない
⚫︎場面緘黙症(家族の前では喋れるけれども人前では声を出すのが難しくなる)
などお悩みや事情もいろいろなんですよね。

そこに加えて、ASD(自閉スペクトラム症)ADHD(注意欠如多動症)LD(学習障害)などの、神経発達症・発達凹凸のあるお子さんは「自分が楽しい」「自分にこれは利益になる、これは自分のためになる」っていうふうに因果関係やメリット・結果がはっきりしてるものだったら、取り組みやすいと感じます。その一方でぼんやりとした、曖昧な目的のものをやったところで「なんもプラスになんないじゃん」っていうことだと、モチベーションが上がらないんですよね。

そのお子さん達に
“昨日も一昨日も読んだけど、今日も3回、この物語を音読しよう“
という宿題はやる気も出ないし、苦でしかない。
拷問に近いのではないかなって思ってしまうところもあります。

それに加えて【綺麗に読まなきゃいけない、はっきり読まなきゃいけない、良い姿勢で上手に読まなきゃいけない】っていうプレッシャーが加わっていて。前述した「ことばのお悩み」や「神経発達症・発達凹凸」があれば、音読に苦手意識を持つのは当然だろうなと思うわけです。自分が話をする・話を聞いてもらうっていうことに、そもそもあんまり楽しさや、やりがいをあまり見出していないお子さんが、宿題だからやりましょうって言われても、それは難しいだろうなって思ってしまうんですよね。
お子さんたちは自分の気持ちに正直ですからね。

なので私が音読のこの宿題で違和感を持っている理由というのは
ひとつはあんまりモチベーションは上がらない課題である。ということ。
前述した通りです。

ふたつめは、声に出して読みながら、文の内容を理解する。
これは二重課題あるいはマルチタスクと言って、二つのことに同時に注意を向けなければならないことだから。結構、負荷が高めの課題であるとも考えられるんです。これは注意機能の中でも応用的な能力です。集中力や注意の分配に課題があるお子さんには、この2つ目の理由も、大いに影響していると言えると思います。

音読を楽しむために、何が必要か。

この音読の宿題、この学習指導要領ではどんなふうになっているのか。
概要は「自分の意見を口頭で表現することが苦手な子供が多く、自分の意見を考えることと、発言することを別のものとして分けて学ぶやり方になった。音読の声は大きくはっきりと、のように手法化して発言するための土台を身につけることが狙い。」と、ある教育系の記事には載っていますが、ただの発声練習じゃん⁈それ。と思ってしまいました。発言する土台、分かるような分からないような。。。

音読を目的にする前に、お子さんの文字理解や読解の能力が
評価できていないことが、非常に大きな課題だと思います。
平仮名の単語カードを見て(例:リンゴ)リンゴの絵カードが取れない、という段階のお子さんにも、音読の宿題が出されていたりして。もちろん読めないですよね。
そのときに放課後デイスタッフがどうするかっていうと復唱させるんですよね。それは口真似であって音読ではないけど、学校がそれを求めてくるので仕方ない。単語の読解も難しいお子さんに、文の音読の課題を出してくる。疑問です。

日本と海外の「音読」の違い

これが海外では、音読がどのようになっているのか調べてみました。

イギリスでは、そもそも教科書がないので、みんなが同じ教科書を音読するということはない。その子に合わせた本を毎週2冊持ち帰って、自宅でリラックスした状態でベッドでゴロンとしながら声に出して読んで、とか。家族に向けてその本を読みきかせるとか。物語の内容についてどう思う?ということを家族で話し合うことが推奨されているようです。いろんな本を読んでその想像力を高めたり、知識を吸収したり、読書に親しむということ。「音読の宿題は楽しくなくてはなりません」とイギリスの教育では、なされているようです。
フィンランドでは、家庭教育の中に音読というものが位置付けられているようです。まずは親が家庭の中で読み聞かせを行って“読書“を行う習慣をつくるために、本への興味関心を高めるということ。読書授業というのが小学校の中でもあって、まずは教師が読み聞かせを行い、その後、各自がリラックスしてソファーで読んだり寝転んだり読書を行う。まず黙読するっていうことですね。そしてペアになって音読し合うという、そういうワークショップみたいなものを実施したりしている。そもそも音読とは相手に聞いてもらうためのものでお互いに本の内容を楽しむための手段ですよ、っていうことで上手に読めたか、綺麗な姿勢で読めたかっていうことを問われるのではないんですよっていうことなんですね。

どうしても日本の音読というのは発表会形式であって、いかにスムーズに的確に読むことができるか。良い姿勢できっちり読めるかみたいなことを練習させている。やっぱり楽しくないですよね。疑問が残ってしまいます。

なので、音読が難しい、音読が好きじゃないという場合には
いくつかこのように原因が考えられます。

それは本音と建前をあまり使い分けることが上手でない
発達障害のお子さんでは、なおさら。
自分の気持ちに素直なのでね。
「こんなの意味ねーじゃん」とか「これやっても楽しくないよ」
と思ったら続かないわけですよね。

もし、特別支援が必要だというふうに、お子さんがなされているのであれば
もっと楽しく本とか読書に親しむような指導はないか。
それを学校に求めることはできないのでしょうか。

ちょっとモヤモヤが残る状況ですけれども
私の考え、あとは各諸外国ではどんなふうになってるのかなっていうのを
サラッと調べたものの、レポートとして残しておきたいと思います。
皆様はどのようにお考えでしょうか?
あくまでも、これは私の独断と偏見です。

ということで、今日はこの辺までにしたいと思います。
また次回お会いしましょう。ありがとうございました。

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