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生きづらいということ

コロナ禍で引きこもり状態が長くなり正直苦しくなってきた。映画が観たいなあと思いサーチする。まだ洋画は少ないが邦画は結構新作が増えている。しかしなかなか観たいものが見つからない。どれもこれも重く暗く、どん底の絶望で足掻く人間たちの話ばかりだ。

人生の苦しさを描く傾向は今始まったわけではなく、特に日本映画はそう言う系統の物が多く秀作を生み出してきている。しかしここに来てその傾向は確実に強まっている。たぶんその理由には両面があって、実際「生きづらい」と感じる人が増えてきていること、そして「生きづらい」と苦悩する人たちが声を上げやすい時代になったということではないかと思う。

「生きづらい」というのは、何も病気や障害、LGBTQや貧困などに限ったことではなく、親子関係、趣味嗜好、性格など、人を悩ます事柄は様々で、その苦しみの度合いも人それぞれだと最近強く感じるようになった。外からみれば恵まれた環境で何一つ悩みなどなさそうな人でも、実際は大きな苦悩を抱えていたりする。

そういう私も結構ネガティブ思考で、起きるかもしれない様々な不幸やトラブルを想像して、起きてもいないのに思い詰めてしまうことも多々ある。さらにこのコロナ禍がもたらした閉塞感と一種の暇が拍車をかけているかも知れない。

多様性」という言葉を頻繁に耳にする昨今。私は思うのだ。結局人間はみんな「個性」という一種の「障害」を持っていて、それが結局誰とも相容れない部分で孤立や寂しさを抱えてしまうのじゃないかと。だからみんな生きづらい。私の場合、神経過敏だし、高所恐怖症だし、協調性はまるでないし、すぐパニックするし。これもみな障害といえば障害だ。表立って言えるものも言えないものもいろいろあるだろうけど、みんな何かしら抱えている。ただ表面的に折り合いをつけられる人はいて、なんとか騙し騙し生きている。しかしそんな器用さがない人は突き詰めて自分を追い込む。ただそれだけの違いなんじゃないだろうか。

日々の「うまくいかない」が積もっていくと、何もかもに拒絶されたような「絶望感」を感じることがある。でも、最近覚えた技として、その苦しみの元を一つ一つ見つめてみようとしている。本当は嫌なんだけど。でも、そうすると「まあ死ぬわけじゃないか」と俯瞰できるというか軌道修正できてきた。未だ孤独だし不安だし、共感してくれる人もいるわけじゃないし全然抜け出せてはいないけど「生きてたら面白いこともあるしな」と言い聞かせて生きている。ちなみに、私はきっと周りには「恵まれた幸せな人」と映っているだろうと思う。

今一つ願うのは、誰か腹を抱えて笑えるとびっきりのコメディ映画を創ってくれないかなという事だ。


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