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愛情の不在証明

ぼくが定期的に見ている『生活に役立つメンタルヘルス』チャンネル。
そこで新しくアップロードされた『母親から愛情をもらえなかった5つのサインを知っていますか?』という動画を見て、ふと気づいたことがある。

心の中で助けを求める相手って誰だろう?
これは意外と盲点の質問だった。
動画内では「母」「神様」「お先祖様」などいくつか例えを出しているが、ぼくは強いて言うなら「誰か助けて」になる。

ただ、「誰か」という存在に確実性はなく、心の安全基地にはなりえない。この世にヒーローがいたならば「誰か助けて」に意味も生まれるのだろうが、助けてくれる「誰か」がたまたまいることなど現実では奇跡だ。つらい時の心の支えどころか、心の中に誰もいない不在証明に直面して絶望することになる。

実際に助けてほしいという場面になったら、「ああ、ここまでかあ」なんてフェードアウトするのかもしれない。ぼくは死ぬこと自体は怖くない。どうしてもこの世にいる理由はないし、そもそも生まれてこなければよかったと考えているから。

「生きていればきっといいことがあるよ」
月並みな言葉だ。ぼくがうつ病や不安障害じゃなければ、つい言ってしまったかもしれないほどありふれていて、ぼくの心を刺す言葉。
その生きていることに払うコストが大きすぎるのだ。
悪夢を見て、起きたらずっと不安で、痛みに恐怖して、けれど誰も傍にいなくて、大丈夫だよなんて言ってくれなくて、それでも仕事をして、病気に向き合って、あるかもしれない幸せを目指す?それくらいなら死んだ方がマシって思う病気だけが傍にいる。

死ぬことは怖くない。
死ぬまでが怖いだけ。
だから、生きている。

でも、生きることが死ぬまでよりも怖くなったら、
そのフェンスをたやすく乗り越えるだろう。

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