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【確認】地位ピラミッドを積み上げて視界ぼやける

ボキャブラリーが無いので自分なりにピラミッドという表現を使いました。
突然ですが、あなたは誰かを見下していますか?
私はあります。
ただし、よく知っている人。
それは差別だとは思いません。
『嫌い』なだけです。

では、会ったこともない人に対して『種類(くくり?)』で見下していることはありますか?
なんだろう、例えば『低所得者とか』『家のない人とか』『住んでいる地域の治安が悪い人とか』
私は狭い範囲で生きている人間なのでパッとは浮かばないけど、私自身の確認のためにもこの投稿をしようと思いました。

なんだか今、色々な少数派のくくりが増えているように思います。
少数派の人たちのことを考えなくてはならない。
本当にそれは大切だと思います。
だけれど、少数派を特別扱いするべきみたいな風潮は、もしかしたら当事者たちの多くも望んでいないんじゃないかと思っています。
様々なくくりの中で私も少数派に入ると思いますが。

懸念しているのは本音が狂ってしまうんですよ。
例えばです。
私が嫌いになった人が同性愛者だったとします。
嫌いになったのは同性愛者だからではありません。
その人が嫌いだからです。
私は差別抜きでその人を嫌いと思っています。
それを公言したら『この人は同性愛者差別する人』みたいな風潮まずくないですか。
いやそもそも公言する必要はないのだけれど。
ホームレスのおじさんと知り合って気が合えば好きになるし、障害を持った人と知り合ってすれ違ったら嫌いになります。
それは、むしろ純粋な非差別主義で人として嫌いになっているだけです。

私自身、小学生時代を振り返っても恐らく今なら精神障がいに分類されるであろう問題児と言われていた児童が何人かいました。
ただし、私を含め特定の数人にはメチャクチャ優しいのです。
だから、多くの児童が嫌っていても私はそいつが好きでした。
悪いところもよく知っていました。
だけれど直接私に迷惑をかけているわけでわない。
迷惑かけられたこともあるけど、それでもいいやつだと思っていたので好きでした。
その中で、周囲が『嫌い』という空気に包まれていく違和感。
インフルエンサーの発言みたいな。
それ本音ですか?
なんか迷惑かけられた?

その集団の空気感が学生時代はずっと私を悩ませました。
中学時代も重度の知的障がい者の手帳を持っている奴と仲良かったし、聴覚障がいを持っている子が何人かいたけど性格が好きではありませんでした。
なんなら私の職人としての師匠は生まれつき耳が聞こえない重度の聴覚障がい者でした。
信頼関係は堅かったと思っています。
ポジティブな人で師匠から引け目なんて感じたことも無いです。
私には無い頭脳を持っていて賢い人でした。
亡き父親の代わりに私に10年近く技術を教えてくれました。
団塊の世代で親子の年齢差でしたが私のことをとても柔軟に受け止めてくれました。
さんざん引き留め続けて、とうとう数年前に辞めていかれました。

話が広がっちゃいました悪いクセ。
本題に戻ります。
何かと『普通』が好きだと言われる日本人。
自分の普通ってなんですか?
私は自分が普通だと思ってこれまで生きてきました。
他人と比べる習慣がなく、特化した才能が無くても引け目なんてありませんでした。
先生はいつも『おまえは勉強もスポーツも出来ないけどいいヤツだよな。』知らんがなといった感じですが。友達が多かったのかな。親は先生の発言に喜んでいたことを覚えています。
もし、同じく自分が普通だと思っている人がいるなら『何と比べているか』を考えてほしい。
真ん中ってことは上と下があるってことですよね。
私もそうです。
ただし、私の場合は比べる対象が私なんです。

成れた自分と成れなかった自分。
成れなかったら自分のせいだし、成れたら自分すげーって思います。

こんな人が実際にいたっていう事例を挙げます。
A.勉強熱心で高所得者になりました。
世間の逆風が強くなり会社首になりました。
お金なくなったけどプライド捨てれませんでした。
子供にも同じ強要をし、家族から嫌われ離れ離れ。

B.親が高所得者で昔からチヤホヤされていました。
低所得者を見下して育ちました。
結婚し子供がうまれ、自分と同じ教育を施しました。
私が小3のその子から聞いた言葉『このキラキラしたカードは貧乏人は持っちゃいけないんだよ。』クレカですよ。
冷や汗かきました。
まぁ、親のように同じような人と一生付き合っていくならそれでいいと思う。
だけれど、何かがあって様々な人たちと関わらなければいけなくなった時に偏見が邪魔をしてその子はチャンスを逃すと思います。
もったいない。

③親の発言。〇〇出身の人とは仲良くしないで。
親からすれば子供のためを思って言っていることです。
でもその誰かなんていないのです。
会ったこと無いんだから。
会ったとしても何かと理由を付けて『ほらやっぱり』と言うでしょう。

順番で言えば親は先に死ぬ。
未来の予測なんてできない。
勝手に偏った価値観を植えつけず、事実を事実として伝えるように心がけてほしい。
100年前の事実とか無しですよ。

私は高校生の頃、なんだか黒人の人が増えた商店街があって怖いと思ったことがあります。
それは、肌が黒いから怖いわけではありません。
ただ、肌が黒い=ふだん見ている人とは違う
これも原因かも。
一番の理由は、体格がいいし言葉が通じないから怖いのです。
それらは事実でしょ?
まったく差別ではありません。
会話をしたら仲良くなれるかもしれないけど、わざわざ仲良くならないのは他の日本人と一緒です。

なぜピラミッドがしっくり来たかと言うと、人は環境や外部からの刷り込みで視点が高くなるのではないかと推測したからです。
事実とはことなる四角い石を外部から与えられて『なるほどそういうものか』と幼少期、学生時代、社会人とどんどん『思い込みブロック』を積み上げていく。
クリエイティブに自身の力で上に行った訳ではないのに何の疑問も持たず見晴らしは良くなる。
下の人間が何をしているかは遠くて見えないし興味がない、格下だから。
そのまま行けば、全然いい。
そういう人もたくさんいる。
それなら平和なのだが、怖いのはその空っぽのブロックが崩れ落ちた時だ。
『親のせい』『時代のせい』『会社のせい』誰を恨めばいいんだか。
路頭に迷うでしょう。

ここで言うブロックの質量は『事実』に比例します。
なので空っぽのブロックは『思い込み』です。

普通に生きていて質量の高いブロックを積み上げるのは難しいと思う。
それぞれの家庭環境があるし、出会う友達によっても影響されるから。
で、そもそも事実っていうのは経験が最も信憑性を与えるから。
経験意外は『ガチャ』かな。
だけれど、空っぽはマズイ。
なんの根拠も無いから。

本当に自分のことを大切にしてくれる人とすでに出会っているかも知れない。
私がnoteに綴っているテーマってほとんど『もったいない』かもしれない。

持っているのに気づいていないとか。
もらっているのに無視しているとか。

そういえば若いころ映画が好きだったが一番苦手な映画は『誤解をされて誰も気づかずにエンディング』というオチだった。
落ち込む、ほんと辛い。
事実は違うのに報われないとかダメージ大きすぎです。

そういうのを諦めたくなんだ私は。
諦めないでほしい。
未知は道という使い古されたワードで締めます。
収集つかない長文に付き合ってくださった方。
本当に本当にありがとうございます

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