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あなたの考える◯◯な出会い

出会い方ってそんなに重要?

弱冠21歳の身で言うのもおこがましいですが、
今の時代、出会い方ってすごく多様化していますよね。

この前、テレビを見ていて驚いたのが、
「代理婚活」
親が子どもの代わりに婚活パーティに行くそうです。
子供のプロフィールを持ち歩き、相手の親を見つけます。
お互い好感を持てば晴れて、連絡先の交換です。

いろんなツッコミどころはありますが、

マジか!そんな出会い方もありかよ!!
と感心に近いものがありました。

出会い方といえば、


僕は今、マッチングアプリを使っています。

目的はズバリ、

この人には敵わないなと思わされるような、
余裕のある年上の女性と話してみたい!
日常生活では決して出会うことが無いような人と知り合いたい!

です。

使ってみて、、、楽しい、、!

メッセージを交換した人。会ってみて直接話をした人。
皆さん本当に魅力的な方ばかりでマッチングアプリ生活は充実しています。

ある一点を除いては、、、

その一点とは、


マッチングアプリへの偏見

僕は今までアプリに対して偏見を持っていました。
だからその気持ち、すごく分かってしまいます。

『出会い系アプリを使う人ってマッチングアプリって言って開き直るよね』

自分もかつてこんなことを言っていたかもしれません。
それも、必要以上に攻撃的にです。

自分が直接被害を受けたわけではないのに。
それを認めることで自分の何かが失われるわけではないのに。

出会い方に対する固定観念なんでしょうね。
少女漫画、恋愛ドラマによって、自然発生的な出会いこそが純真無垢で尊いのだ、と教えこまれていたのかもしれません、無意識のうちに。

図書館で同じ本を取ろうとして手が、、
転校初日から学校に遅刻しちゃう〜からの頭と頭がごっつんこ!

なんてことあるわけもなく。



なれそめ話に胸を張れない?

「ふたりのなれそめ」として、
出会い方について嫌でも話さなければならない場面ってありますよね。

お正月、実家に帰省した時に親戚の集まりがありました。
いとこがハワイで挙げた結婚式に参加できなかった人のために行われたプロフィールビデオの上映会。
その中ではもちろんふたりのなれそめについても触れられていました。
ふたりは大学時代の研究室仲間です。社会人になって10年後に再会を果たし、交際へと発展した後、晴れて結婚。おめでとうございます。


う~む、素敵な出会いだ。
親戚一同、このなれそめを聞いてほっこりしたことでしょう。

しかし、これがアプリだったらどんな反応をしただろう。
また、ふたりも、『アプリで知り合って意気投合して交際に発展し、、』って後ろめたさなく胸を張って言えていただろうか。
もしかしたら、ふたりの中では何も恥じらいは無いかもしれません。
しかし、現代の恋愛事情に精通していない親、祖父母世代の人達にとってはあまり印象が良くないのではないだろうか、、、なんて考えてしまうと声のトーンが心なしか下がってしまわないか。


固定観念の奴隷

ただ、それは相手を『マッチングアプリをやっている人』という枠で捉えているからなんだと思います。
これは『何であるか』という人を分類した事実かも知れませんが、『誰であるか』というその人自身にスポットを当てた真実ではありません。

もちろん、マッチングアプリで不純な出会いを求める人もいます。ヤリモクと呼ばれる人たちですね。
そんな不純な出会いもあるようなアプリを使っているからあなたも不純だ。』、と手短かに結論を出して、目の前の答えに飛び付いてしまうのはもったいないような気がします。


『この人はどういう意図でマッチングアプリを選んだんだろう?』
『アプリを利用した感想教えて〜』

ともう少し掘り下げてみようとする建設的な姿勢の方が貪欲な好奇心をお持ちで素敵だなと思います。

これはアプリに限った話ではありません。

『婚活パーティーは婚期を逃すまいと良い年こいて必死な男女が参加するもんだ』

『SNSで顔も知らない人と付き合うのは良くない

合コンには文句を言わないのに、婚活パーティーはなぜ憐れみの目で見られるの?
お見合いは綺麗で、SNSで知り合うことは野暮なの?

個人的には、窓の外を眺めながら運命の王子様を待ち望んでいるよりかは、
お城を飛び出し、猛獣がうじゃうじゃ生息する森まで出向いて運命を手繰り寄せようとするプリンセスの方に惹かれます。←誰も聞いてない

つまり、本人の意志という出会いに関して、貪欲で能動的に人生をプロデュースしようとする前向きな姿勢を見ても、出会い方について偏見で物事を語れますか?ってことです。

そういう出会い方「も」あるんですよ。


あくまでもキッカケに過ぎない

『この人と結婚して家族の温かさを知れた』
『あの人とのお付き合いは自分の人生を豊かにしてくれたな』

出会いの価値というのは出会った後に、相手から受けた影響によって決まるのではないかと個人的に思っています。
私たちは浮いた話になれば、馴れ初めという形でその出会い方についての情報を得ます。そして、気付けば、その数少ない情報を頼りにその出会いを批評してしまいがちです。
しかし、出会い方=キッカケに過ぎません。
出会う前の話です。
馴れ初め話も楽しいですが、その出会いからどんな付き合いに発展していくのか。自分の思い描く先へどんな行動が今求められてるのか。事実確認よりも可能性を広げる議論の方が魅力的ではないですか?
はい、『最高の問いは最高の答えにまさる』という僕の座右の銘の押し売りセール挟みました。



そんなこんなで、出会い方についての固定観念に対してあれこれ言ってきました。誰かに作られた固定観念や偏見を引用するばかりではなく、それらをあくまでも参考文献に据えて自分の頭でじっくり丁寧に考えられる人に囲まれた生活を送りたいですね。

今日は、色んな形があって良いじゃないかって出会い方ごとの価値を認めようとしてきました。
しかし、もしかしたら出会い方以前に、
出会いに価値を付けようとするこの考えがそもそもナンセンスなのかもしれないと、ここまで来て恥ずかしくなってきました、、


この話をきっかけにぜひ振り返ってみてください。

あなたはこれまで、どんな出会い方をしてきましたか?


もし、こんな出会いをしたよ~って話があれば、コメントで教えてください!



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