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フェリーに乗りたかった

フェリーに乗りたいと、木曜日の仕事中に思った。
太平洋より日本海が見たかった。
昼間にのんびりと、ずっと読みたい本を読みながら窓から海を眺めたかった。

その日のうちに、日曜日の朝8時半に秋田港から新潟港へ7時間かけて向かうフェリーの安いシートを予約した。秋田まで何で行こうかと考えたが、中国の砂漠で乗った36時間バスの感覚が懐かしくなって、東京駅から金曜日の夜に出る秋田行きの夜行バスを予約した。土曜日の宿は一番港に近い安宿を取り、日曜日の夜に新潟から帰る新幹線も抑えた。
とても充足感があった。

全部の予約を終えて寝る頃になると、友達からビリヤードの誘いがきていた。明日の夜は東京からバスに乗ると伝え、神田で会うことにした。

金曜日は健康診断で有給だったので、役所で野暮用を済ませて健康診断に行き、両目の視力がブルーライトに負けていないことを確かめてからその足で神田に向かった。串揚げが食べたい友人と落ち合って、意外と最近会っていないことにびっくりしながら仕事や野球の話をした。酒が進んだのでBARでも二杯ずつ飲み発車3分前の夜行バスに飛び乗った。文字通り飛び乗ったので、バスはすぐに発車した。よく寝られるようにウイスキー多めで飲んでいたが、ちっとも酔わなかったので、BARで流れていた「悲しみは雪のように」を聴きながら考え事をしていた。いくつか自分の中で大きなトピックだったものがストンと腑に落ちて、もうすでに旅行の意味があったと思った。

気付くと朝7時前になって、秋田駅の南にある本荘という駅についていた。温泉を目指して歩こうとすると、まだ朝早いのに薪ストーブの煙の上がる喫茶店が見えた。まだ営業していなかったので、温泉に入ってから寄ることにした。温泉は駅から15分ほどのところにあり、まったく聞き取れない方言を操るおじいちゃんたちであふれていた。外国に来た気分で身体を流して夜行バスで凝り固まった体をほぐした。
駅に戻り喫茶店へ入ると、感じの良いジャズが流れていた。ブルージャイアントとは違って、落ち着きを促すタイプの曲調だった。珈琲はとても深煎りだったので、生クリームと砂糖がベストマッチだった。特急が来るまで小一時間本を読んで、秋田駅に向かった。左は日本海が広がって、北に向かうにつれて晴れていった。

駅についてパスタで腹ごしらえした後、藤田嗣治の絵があると聞いて見に行った。20mを超える絵画も刺激的だったが、藤田が妻を亡くした直後に書いた自画像が目に留まって、30分ほどソファーに座って鑑賞した。無言で強く背中を押されたような感覚だった。
アンティークショップを回って駅に戻り、港の近くの宿についた頃には日が暮れていた。夕飯にきりたんぽを流し込んで泥のように眠った。歩き疲れて眠るのは5年ぶりくらいだった。

11時間ほど眠り続けて、朝6時ごろにはチェックアウトした。道すがらサンドウィッチを頬張って、珈琲で身体を温めた。

乗船してほどなくすると、船はほとんど揺れずに岸壁を離れた。本当に船旅に出れてしまったと思った。
ずっと読みたかったよしもとばななさんの「ミトンとふびん」を読んでいたら、あっという間に2時間ほど経っていた。続きは午後に回して、大浴場なる場所に向かった。ここが最高だった。
ストレスは水溶性 という言葉が好きだったが、まさかシャワー浴びながら海を見て、大きな湯船につかって大きな窓から海を眺めていられる場所があるなんて。信じられないくらい心地が良かった。
あがって味噌バターコーンラーメンを食べて、本の続きを読んだ。読み終わって眠くなったのでシートでお昼寝をしたら、新潟に着いていた。

新潟にはいきたい器屋さんがあったので、港からタクシーで向かった。運転手のおじいちゃんは「今日はずっとどんよりしている」と、浮かない表情だった。器屋の店主は小綺麗な服を着た女性だったが、「日光アレルギーなのでこういう天気の多い新潟は好き」と言っていた。新潟を拠点にするNoismというダンスカンパニーの話と、次に行きたい国の話をしていたら1時間ほど過ぎていた。
豆皿を一つ買って、教えてもらった寿司屋に行った。モノがいいからどこで食べてもおいしいと聞いていたが、回転すしがあそこまでおいしいとは思わなかった。

帰ってくるとすっかり春の気温が身体を包んだ。
やっぱり芸術にもその土地の人にもちゃんと力を貰って、幸福な旅だった。
やっぱり移動するということ自体が大好きだ。
次はどこに行こうかな。

読んでくれてありがとうございました。
またどこかで。


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