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8月15日

終戦の日

今年、戦争の話を聞けるようになった。知れるようになった。自分から知るようになった。
聞く機会、関心をもつ機会は沢山あったんだ。だけど、その時だけで受け付けられなかったんだ。知らなきゃいけないことだ。大事なことだと分かっていたけど、そのあとも自分から進んで知ろうとは知らなかったんだ。
与えてもらうときは、しっかり教えていただいたよ。でも、自分の中でどうも戦争の想像を自分事で感じてみるのが怖かったんだ。

人の恨み辛み、苦しみ、悲しみ、怒り、妬み、嫉妬、罪悪感。感じてみる。しんどくなった。体が重くだるくなった。

自分の中でぐるぐる。自問自答。     あーでもないこーでもない。
戦争を終わらせるため。
戦争が終わっても苦しみ。
人と人が殺しあうだけではない。
からだの傷みだけでない。
死が日常。
勝ち負けとは。
時代が違うけれども。
原子爆弾・原子力発電

[死について]
「生きるとは。死にたくない。」物心着いたときから答えのない事を思う。(あっ!そんな思い悩んでたわけでは想像なく、子供のときからの素朴な疑問。「なんで息しているんだ?からはじまった」心配しないで)自分の生き死にはよく考えていたけど、今年のコロナで周りの人、赤の他人、すれ違った人、同じお店にいた、関わりがないけど、遠いいしこれから先も関わりがない人の死が身近になった。自分の行動が、知らない人の生き死に関わるかもしれないと。
死が自分事だったことが、私以外の人の死も感じるようになった。

だからだと思う。
戦争をもう少し知ろうと思ったのは。   自分の中にいれようと思ったのは。
自分も昔の人も自分以外の人も境界線がないと。同じ。生きて死ぬ。 

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