静かな夜に

「頼みがあるんだ」
 ユキトの言葉を聞いて、ネポガグは頭部の両側から垂れている数本ずつの触手をざわざわと揺らがせた。
 思わず苦笑する。それがベテルギウス人にとって「眉をひそめる」に相当するような、何かを訝る仕草であることを、ユキトはすでに十分知っていたからだ。
「なぜだ」
 人類とは異なる発声機関から無理やり絞り出された、ガサガサとしたノイズの多い声でネポガグは言う
「俺はお前の敵であり、看守だ。望みをかける相手としては不適当ではないか」
「まあ、理屈の上からはそうなんだけどな」
 ぜいぜいと息を吐き出す切れ間からしゃべるユキトの声は、皮肉なことにネポガグの声と少し似ていた。
「ひとつには俺はもう長くなくて、他に頼める相手がいないからだ。無駄だろうと思っても、言うだけは言っておかないと気が済まないのさ。そして、もう一つの理由は、お前が仮にも俺と同じ言葉を喋っているからだ。ああ、俺たちの分析や捕虜の管理のために身につけたのは知ってる。ベテルギウス人の思考回路や感性が俺たちと大きく異なるのも十分すぎるくらいわかってる。だがな、俺たち地球人ってやつは、同じ言葉を喋る相手には心も通じるんじゃないかって、期待をかけずにはいられないのさ」
「不合理な考え方だ」
 ネポガグは抑揚のない喋り方で言った。
「言葉は意味概念を伝える手段に過ぎない。そもそもお前達の言う”心”の概念も我々には意味がわからない。それは不必要な仮定的存在だ」
「”初めに言葉があった。言葉は神と共にあった”」
「何?」
「なんでもないよ。とにかくさ、俺にだってわかってるんだよ。お前達がそういうふうに考える連中だってことはさ。だけど、今、言わずにはいられないし、言う相手はお前しかいないんだ」
「もちろん言うだけなら構わない」
「ありがとう。なに、たいしたことじゃないんだ。俺の娘に伝えて欲しいんだ」
「娘? 遺伝子継承者のことか。それは近くにいるのか」
「そんなわけあるかよ。俺たちの軍との通信チャンネルに、伝言を乗せて欲しいって話だよ」
「そのような個人的なメッセージのために通信チャンネルを開くことができるとは思えないが」
「いいから、まず最後まで聞いてくれ。そのあとは好きにすりゃいいよ。俺はただお前にそれを伝えた、娘に伝わるように最大限の手を打ったって満足して逝けりゃいいんだ」
「本当に不合理なやつだな」
「ほっとけ、今更だろうが。いいか、伝えたい内容ってのはこうだ。『メリークリスマス。約束守れなくてごめん。フォーマルハウト熊のおもちゃは、ダニエルおじさんに預けてある。これからもおじさんの言うことをよく聞いて、立派な大人になるんだぞ』」
 ユキトは言葉を切った。しばらく続く言葉を探すように視線をさまよわせ、やがて全てを飲み込んだように、深く頷いた。
「それだけか」
「ああ、これで十分だ」
「たいした内容ではないな」
「いいんだよ。ただ、クリスマスまでには帰るって約束したのに、もう無理そうだからさ。メッセージだけでも届けばって思っただけだ」
「クリスマスというのは、お前達の星の宗教的な行事ではなかったか」
「そうだな。俺の属した文化圏ではあまり宗教的な側面は重視されなかったし、別の宗教を信じていて祝わない人だって少なくなかった。だけどそれでも、街に溢れる音楽や華やかな装飾に心ウキウキして、誰もが誰もに優しくなれるような、そんな季節だと感じていた人も多かったんだよ」
 ネポガグは考え深げに頭の下部にある三つの穴を開閉させた。
「宗教、と言うのも、我々には十分理解できていない概念の一つだ」
「そうか。そうだろうな。けれどもお前達にだって、あるんじゃないのか。同胞を大切に思い、良い出来事を祝い合う、そんな気持ちは」
「我々とお前達では精神構造そのものが大きく違う。私が頷いたところで、それはお前の思っているものとは違うものである可能性が高い」
 ユキトは笑う。
「いいんだよ、そんなことは。正確な理解なんて、地球人同士だってできるかどうか怪しいもんだ。それでもお互いを思い合い、お互いに助け合いたいと思う、それ自体が尊いんじゃないか」
「私には、わからない」
「そうかい? 俺は案外、その辺の割り切りと寛容こそが、この長く続き過ぎた星間戦争を終わらせる鍵じゃないかと思ってるけどね」
「そんな甘い考え方で平和を実現できるなら苦労はない」
「そりゃそうだ」
 ユキトは再び笑う。
「だけど、この季節くらいはさ、そんな夢を見てもいいじゃないか。クリスマスシーズンってのは、寛容の季節だっていうぜ」
「私には意味のないことだ」
「ちげえねえ」
 ユキトはまた、声をあげて笑った。
「それでも聞いてくれて、ありがとうな」
「結果は保証しないぞ。私にはお前のその考え方自体が意味のないものなのだ」
「わかってるさ」

 クリスマスイブの夜に届いた父からのメッセージを聞いて、十歳になったばかりのレイカは激しく泣きながら、ダニエルから受け取ったぬいぐるみを抱きしめた。
 ダニエルはそんなレイカをなだめながら、訝からずにはいられなかった。虜囚の身のまま命を落としたユキトのメッセージが、一体どのような過程を経てここに届いたのかと。
 奴らとは生物学的特徴も、文化も、思考回路も、何もかもが違い、このような個人的な感傷に哀れみをかけるなどということは、あり得ないはずだ。
 天窓から見上げる星空は、遠い戦火を窺わせることなく、ただ優しく輝いていた。

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