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短編小説Only

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普段は長編小説を書いていますが、気分転換に短編も書いています。でも、この頻度は気分転換の枠を超えている。 短編小説の数が多くなってきたので、シリーズ化している(別のマガジンに入っ… もっと読む
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記事一覧

【短編小説】音声の玉手箱

「一人って、静かなんだなぁ。」 呟いた声は、加瀬優里亜以外には、誰もいない部屋に響く。 普段は、同居人でもある彼氏の大前浩成がいるが、昨日の夜、大喧嘩をして、家から追い出した。 喧嘩の内容は、連絡もせず続けて朝帰りをしたという、大した事のないものだったが、その間、眠れもせず心配して待っている優里亜の身になって、大いに反省してほしいものである。 浩成本人は、後輩の仕事の悩みを聞いていたと言い張っているが、それが本当かどうか優里亜には確かめるすべがない。ひょっとしたら、浮

【短編小説】プレリュード

別に何か用があったわけじゃない。 橋本は自分にそう言い聞かせる。 そこは、自分の実家からそう遠く離れていない場所で、歩いて15分くらいの距離。用がなければ、足を運ばないような場所。 目に入った光景に、橋本は思わず息をのんだ。 今歩いている道路、とはいってもかなり細く、車2台すれ違うのには、片方が止まらなくてはならないが。それを挟んで、住宅が立ち並んでいたはずだが、全て取り壊され、更地と化していた。 要するに、だだっぴろい空き地がずっと広がっている。 奥には、いわゆる

【短編小説】『ネコのぼうけん』

「ねぇ、パパ。このあと、ネコさんはどうなるの?」 布団の中で、とろんとした目をこちらに向けて、息子の怜央がそう尋ねる。いつもは、「きっと、友だちに会えたんじゃないかな。」と答えるが、なぜかその日は「どうしたんだろうね。」としか答えられなかった。 胸の上を一定のリズムで叩かれて、それ以上尋ねることなく怜央が眠りについたのに、自分は手は止めたものの、そのまま体勢を変えられず、薄暗い光の中、息を吐く。 絵本作家を夢見ていた妻、柚葉は、怜央を身ごもった時から、手作りで絵本を作り

【短編小説】それは月だけが知っている

「この頃、家で仕事していても、集中できないんですよね。」 そう言って、愛想笑いのようなはっきりしない笑みを口元に張り付けると、それを聞いた相手は、画面の向こう側で、少し考えるかのように口元に手を当てた。 「在宅だと、通勤時間はないし、電話や他の人との話で、作業を中断されることはないけど、自宅ってプライベートな空間だから、自分の中で、うまくオンオフ切り替えないと、いけませんからね。」 「自分は家が好きなので、在宅は望み叶ったものですが、実際にやってみると、いろいろと不都合

【短編小説】君が好きだと叫びたい

受験が終わり、4月から新しい環境で、新しい生活が始まる。 不安がないとなれば、嘘になる。 でも、自分で選んだことだから、頑張らなきゃ。 放課後や休みの日に、頻繁に訪れていた川べりは、今日も人がいなかった。 少し緑が多くなってきているところに、ごろりと仰向けに寝転ぶ。 髪とか服とか汚れるけど、家に帰って着替えればいいんだし、別に誰かに会う予定もないし。 この場所に来るのは、本当に久しぶりだ。 受験勉強期間は、ひたすら自分の部屋にこもってたから、こんな風にのんびりすることも

【短編小説】憧れと、恋愛と

部屋の扉を開くと、こちらに横顔を向けて、机に向かっている妹の美弥の姿があった。奨が入ってきたというのに、こちらには少しも目を向けず、ただ手元の紙の上で手が動いている。 奨は軽く息を吐くと、手元のドアを添えた手の甲で叩く。その音に、美弥はこちらを見て、軽く首を傾げた。 「扉を開ける前に、まずノックじゃないの?」 「ちゃんとした。答えはなかったけど。」 奨の言葉に、美弥は申し訳なさそうな表情に変わった。 「はは、ごめん。気づかなかった。」 「まぁ、いつものことだからい

【短編小説】Written Invitation 招待状

私達の結婚生活は、25年を迎えた。 大切に育てた子どもたちも、成人し自分たちの世界に旅立っていった。 寂しくなった2人だけの生活は、それでも穏やかに過ぎさっていく。 何も問題はない。 たぶん、これが幸せというものだろう。 私達の間には、もう情というものしかなく、恋愛のような甘ったるい空気は少しも流れていない。 お互いを見つめる目に映るのは、無関心ではないが、特別な感情は滲まない。 ただ、時々、自分たちはなぜ一緒にいるのかと、考えることがある。 仕事から帰ってきたら、ダ

【短編小説】結婚しなくていいと思ってるのは、貴方だけかもしれません。

彼と一緒に住み始めた当初、私達には結婚願望というものがなかった。 共に仕事が順調で、大きな仕事を任せられるようになっていた。結婚するとなると、その準備に時間もお金も取られる。それに子どもを持つことだって考えなくてはならない。 不安なことは、たくさんあるのに、それ以上のメリットってあるんだろうか。 今が楽しければ、それでいいじゃない。 そんな気持ちで、私達はもう5年も付き合っている。 定期的に会っている大学院時代の先輩から、結婚することを聞かされたのは、やはりそんな集

【短編小説】我のできることは少ない。

せっかくの休みの日だというのに、今日は一日雨だという。 洗濯や家の掃除が済むと、途端にやることがなくなった。 普段は本屋に行くことが多いが、このところ買う本が多くて、家の本棚に本が収まらず、床にも積みあがっていた。その中に、読もうと思っていた本、つまり積読本もそれなりの数があるはず。 雨で外に出るのもためらわれるから、それらの積読本に手を出すかと、飲み物や軽食も準備して、本棚の前に立った。 こちらに向けられた背表紙を眺めていると、床に積まれた一番上の本が、音もなく開かれた。

【短編小説】私には何もない

「さむい~。」 あまりの寒さに、布団から出たくなくなるこの日。 せっかくの休みだが、外出をする気にもならない。 一人だから、どう過ごそうが、咎められることもないんだけど、ずっと寝ているのはもったいないので、仕方なく起きだした。 朝ごはんもパンとスープの簡単なもので済ます。 今日、一日何して過ごそうかと考える。 家の中でできること。 サブスクのテレビ番組や映画も、ある程度見つくしたし、手元にある本も読みつくしたし、動画やゲームやネットサーフィンは、果てしなく時間を潰せる

【短編小説】泣かないで

また、この世界の夢を見ていると思ってしまった。 海沿いに建てられたテーマパークのようなところだ。 広大な駐車場、何棟も建てられたビル。それらはショッピングモールだったり、ホテルだったり、マンションだったりする。 現実世界で、このようなところに来た覚えはない。 なのに、頻繁にこの場所を夢に見る。 自分はここのホテルに泊まっていたり、マンションに住んでいたり、場合によっては、ここに隣接した一軒家にいたりする。 一軒家は、少し傾斜した場所に立っていて、一階は駐車スペースと、土

【短編小説】叶えたい夢

有名人が視聴者の夢を叶える番組が流れている。 それを見ながら、自分の夢を叶えることすら難しいのに、他人の夢を叶える力がある人はすごいなと、思ってしまう。 一緒に見ていた彼にそう話したら、彼は呆れたように口を開いた。 「叶えてもらえそうな夢を送ってるんだし、テレビ側も叶えられそうな夢をピックアップしてるんだから、そりゃあ叶えられるでしょ。」 「でもさぁ、それでもすごいと思わない?他の人の夢を叶えて、笑顔にできるのって。自分の夢を叶えるのだって、ままならないのに。」 「夢

【短編小説】行く年来る年

耳を澄ますと、除夜の鐘が聞こえる。 この近くには、寺も神社もある。 年が明けた後の初詣先も確保済み。毎年一人だが。 まだ若い時は、除夜の鐘を現地に聞きに行ったり、徹夜して初日の出を見に行ったりもしたが、今日は雪予報。 家の炬燵に入りながら、蜜柑を食べ、だらだらとテレビを見ながら、年を越すのがちょうどいい。 「間もなく終わるね。」 ぽつりと呟かれた言葉に、視線をやると、相手もこちらを見る。 僅かに寂しそうに見えるのは、気のせいだろうか。 「そうだな。」 「今年一年は君

【短編小説】イルミ・クリスマス

ホテルのシングル室から見る都会の夜景は、それなりに美しかった。 前入りした今日は何も予定がない。明日の朝まで、この部屋でのんびり過ごしていればよかった。明日の為の資料は完成していたし、初めての取引先への訪問でもないから、緊張もない。どうせ、年末の挨拶を兼ねてのものだから、向こうもそれほど気を張ったものではないだろう。 一緒に来た同僚は、こっちに友人がいるとかで、隣の部屋に荷物を置くと、早々に出かけて行った。この日の夜に示し合わせて会うのだから、ただの友人ではないのかもしれ