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【短編小説】これは物語です。

他の人は退屈たいくつだと思うかもしれないけれど、私はこの時間が好きだ。

目の前の彼は、私のことはそっちのけで、目の前の紙の束に目を落としている。
この間、私が声をかけたとしても、店員が注文を取りに来たとしても、目を上げることなく、傍に置かれた珈琲コーヒーに手を伸ばすことなく、彼はその文章を読み続ける。

まるで、私が作りだした世界に入り込んでしまったかのように。

何度もこの光景を目にしている私も、2人で会う度に当然のように来る、この喫茶店の店員も、それが分かっているので、彼の邪魔は決してしない。

私たちの隣にとられた、大きく開いた窓の外は曇り空だった。
雨が降ってきてもおかしくない天気だ。
私も折りたたみ傘をバッグに忍ばせているが、できれば使いたくはない。
連日の暑さにぐったりした様子の木々、植物たちは、降ることを望んでいるとは思うけど。

喫茶店は、平日の昼間とあって、人が少なく、とても静かだ。
たとえ、騒がしかったとしても、彼は気にせず読み進めるのだろうが。
おかわりの注文を取りに来た店員に、ダージリンをポットで注文した。
彼に関しては、読み終わった頃を見計らって、また注文に来るだろうと思って、放っておく。
どちらにせよ、私の言葉は、今の彼には届かない。

今回は新作を持ってきたから、普段より読み終わるのに時間がかかるだろう。
私は、スマホを取り上げて、普段利用しているSNSのアプリを開いた。

ここに自分の創作物をアップすることはないが、日々感じたことや起こった出来事、つまりエッセイらしきものをあげている。
幸い多くの相互フォローもあるし、『いいね』ももらえているが、私がスマホのアプリ経由でこのSNSにアクセスするのは、専ら他の人の記事を読むことにある。

自分は、経験を元にした恋愛小説しか書けないが、他の人はその頭の中で自由に世界を作り、その中で思うがままに登場人物を生き生きと描いている。自分も影響を受けることが多いし、お気に入りの作者もいる。欲を言えば、もう少し投稿頻度を上げてくれると嬉しいのだが、私のように別に本職があって、その隙間時間で活動していると考えれば、難しいことなのだろう。

私だって、目の前の彼がいなければ、小説家としてデビューすることもなかった。まだまだ素人の域を出ないが、それでも読んでくれる人はいる。

私が小説を書いたのは、単に自分の思い出を忘れてしまいたくない。形に残しておきたいという、自己完結の目的からだった。いつまで続くのかもよく分からず、たいした思い入れもなく始めた。

それをたまたま目にとめてくれた彼が、本という皆の目に映る形にしてくれた。
私の文章を読んで、他の人にも読ませたいと思った、彼の目は間違ってはいなかったのだろう。私の小説に対する評価を見る度に、私は小説を書いてよかったと感じる。

でも、全ては、彼の助けがなくては、できなかったことだけど。

手元の画面で、お気に入りの小説を読み進めていると、目の前の彼が顔を上げた。
その瞳に映るのは、困惑の影。私が思ったとおりの表情だった。

「これは・・物語フィクションですよね?」

彼の一声は、私が予期していたものだった。私は考えていたとおりの答えを返す。

「もちろん。これは物語フィクションです。」
「そうですよね・・。」

彼は、納得できないといった表情を浮かべている。が、しぶしぶと自分の中で折り合いをつけたのか、私に向かって、感想と意見を述べてきた。

「今までの作風とは全く違っていて驚きました。何か、環境や心境に変化でもありましたか?」
「・・いえ、特に思い当たる節はないです。」

「過去の恋愛経験を下地に多少アレンジを加えて、今までの作品は作られてきたと思いますが、今回は全くそういった経験は入ってないのでしょうか?」
「それは、ノーコメントでお願いします。」

「自分としては、同じ職業ということもあって、主人公が思いを寄せる男性に、感情移入しそうになりました。それにしても、今回の主人公は、かなり恋愛に臆病ですね。結局相手に何も言わずに終わってしまう。」

「・・そうですね。」
「なぜ、告白しなかったのですか?」

私が今まで書いてきたのは、主人公の女性が自分の愛を貫くものが多く、結果ハッピーエンドで終わっている。それに対し、今回のものは、確かに一途に相手のことを愛し続けるのだが、その事を一言も口にしない。ただ、相手が幸せであれば、それでいいと思い続ける。相手に思いが伝わらないから、それ以上関係が深まることもなく終わる。

現実味リアリティに欠けると思いませんか?」
「そうでしょうか?」

「この2人の年齢差は10以上ありますし。」
「このぐらいの年齢なら、それぐらいの差はあまり気にならないのではないですか?確かに女性が上で、男性が下のケースで、この年齢差は見ないかもしれませんが、この時代ならあってもおかしくはないです。」

「年齢差は障害にならないということですか?」
「人によるとは思いますが、これを読む限り、相手も主人公に好意を持っているのでしょう?告白すれば、恋は成就するだろうと思いますし。」

「年齢差を気にして、気味悪がられませんか?」
「まったく知らない他人から、好意を持たれて嫌がるのは分かりますけど、この2人の関係で、気味悪がることはないでしょう。どうしました?普段より弱気ですね?」

彼は苦笑して、ようやく冷めた珈琲に手を伸ばそうとする。彼がカップを取り上げる前に、店員がやってきて、「交換しましょうか?」と申し出た。
彼は少し考えるそぶりをした後、カップを取り上げて、残った珈琲を飲み切った後に、「お願いします。」と応える。

「先生の作品は、どんな困難があっても、自分の思いを貫く、その心の強さに、良さがあります。皆、それに勇気づけられる。励まされるんです。」
「でも、読者の方は、ご都合主義だとか、そんなうまくいかないとか思いません?」

「そりゃあ、実際はうまくいかないことも多いでしょう。でも、いいんですよ。これは、先生もおっしゃった通り、物語フィクションですから。」
「そんなものですか?」
世知辛せちがらい現実から、目を背けることも、たまには必要です。それにそんな世界から自分が救われる時間も必要。自分はそれが物語フィクションだと思ってます。」

彼は、新たに入れられた湯気の立つ珈琲を、美味しそうに口に含んだ。

「先生の作品にはそんな力がある。私はだから皆に届けたかった。」
「そんなことを言ってくださるのは、貴方だけです。」
「読者の声は漏れなく先生にお届けしているはずですが。そう思ってるのは私だけではありません。」

彼はそう言って、私の心をくすぐる。
私も、皆が私の作品に期待していることは分かっていた。でも、今回の作品は、手放しにハッピーエンドになるとは思えなかった。

今までのものは、全て過去体験を元にして作ったものだから、ある程度私の中で腑に落ちていたというか、既に終わったことだと納得していたというか。それをハッピーエンドに変えても、特に抵抗はなかった。

私自身がこの想いが叶うと思えていないから。今、現在進行形で、それをひしひしと感じているせいかもしれない。

「貴方は、この恋はうまくいくと思いますか?本当に?」

実際に聞きたいのはそのようなことではないのだけれど、面と向かって口にすることはまだできない。恋愛小説を書いているとはいえ、自分の恋愛にはどうしても自信が持てないのだ。

彼は、私の顔を言葉なく見つめた。自分にとってはとても長く感じられる時間が過ぎた後、彼は私に向かって身を乗り出した。

「自分は、この恋がうまくいってほしいと、願っています。」

私は何と返していいか分からず、口ごもる。
彼は私を見つめながら、何とも意味ありげに、口の端を上げた。

こんにちは。このところ体力が続かず休みを取りました。
午前中は免許更新に行ってきました。前、noteに書いたのですが、私は右目が見えにくく、仕事の時は右目だけ度が入ったメガネをかけています。今回も視力検査の際、メガネを持っていったのですが、視野が左右150度あれば、裸眼OKということで、OKでした。視野を測ったのは初体験でした。

私の創作物を読んでくださったり、スキやコメントをくだされば嬉しいです。