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アイヌ文化を守る

アイヌ民族とは、日本列島北部(北海道)を中心に13世紀から現在まで長く受け継がれ、伝統的な独自の文化を持つ民族だ。

ただその長年受け継がれてきた文化は明治政府による同化政策で衰退し、1997年に北海道旧土人保護法が正式に廃止されるまでアイヌの文化は、日本政府に『保護』という名目で間接的な支配を多く受けた。

その一つの例は、アイヌの聖地(チノミシリ)での政府の二風谷ダムの建設をめぐる事件だ。二風谷ダム事件とは1989年、北海道平取町の沙流川を工業用水として使用することを目的としたダム建設を実行するため、北海道収用委員会が土地収用法に基づき、地権者であるアイヌ民族に土地を放棄することを命じた。

アイヌ民族の意見を反映させることなくダムはアイヌ民族の聖地に建設され、後に訴訟に至るもダムを取り壊すことは公共の福祉に合わないとして却下され、アイヌ文化が侵害される形で事件は終結した。

現在はアイヌ文化振興法によりアイヌ文化は尊重され、アイヌ人が一民族として誇りを持ち堂々と生きられる社会の実現が目指されている。

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二風谷ダム事件は一つの出来事としてではなく、長期的な課題として捉えれられるべきだと強く考える。

あまりにも多くの人がこの事件を、

日本政府が文化を尊重しなかったことで起きた事件だ

と捉えるが、それは表面的な理解に過ぎない。

この問題を理解する上で注目したいのは、現在と過去の民族に対する捉え方の違いだ。

現在は、一体化する世界に伴い民族が同一視されるようになり、平等性を保つことは当たり前の教養であり守るべき秩序である。

それに対して旧土人保護法が制定された頃は日本国としての優越性が強調された。アイヌ民族に対しての保護や統治を通して環境の改善を測ることが、国としてもアイヌ民族としても最適な政策だと政府は考えていたのだ。

似たような事例が西洋の歴史からも見られる。キリスト教だ。

1492年レコンキスタの完了後、イスラム教徒がカトリックに強制改宗されたことがある。この出来事には、もちろん支配目的も含まれるが、キリスト教的価値観の優越性や正当性が象徴され、カトリックの考えが最適とされていたために行われた、という背景があると考えられる。

ここで、このように地位的に優越なものの考え方や政治が、根本の原因となり起こる事件は歴史の必然的な流れなのではないか?、と問い直したい。

一般的な視点を前提にアイヌの同化政策を批判するのではなく、同化政策を一つの歴史的事実として客観的に捉え、近代化がもたらす思考の変化に留意しながらアイヌの過去を把握し、今後の民族に対する姿勢を考えるべきだと二風谷事件は訴えているようだ。

多文化共生社会の実現へ世界が促進されていく背景や過去を捉えることで、民族をより発展的に理解できるだろう。。。

クリチバーノ






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