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「何のために?」を考えすぎない方が、人生は楽しい

・ブログが続かなくなると、「改めて何のために書くのか考え直そう」という人がいる。
・勉強に身が入らない子ほど、「何のために勉強しなきゃならないの?」と聞きたがる。

自分を含め身の回りの人を観察していると、「何のために?」を考えてしまう状態にあって、イキイキと活動している人はほとんどいないです。


私はPS4やSwitchのゲームをするのが趣味の一つで、だいたい年間6本くらいのソフトをゆるゆるとプレイしています。

社会人になってゲームをし始めたのは5年ほど前からで、はじめは子供時代からのゲームの進化がすごくてただ楽しめていました。

ただいつしかゲームを終えた後に、時間を無駄に浪費してしまったような感覚を持ってしまい、「何のためにゲームしてるんだろう」と考えてしまったんです。

なぜ、自分の余暇を自分で自由に使ってるだけなのに、こんな楽しめない気持ちになってしまうのだろう?
それでは、余暇を費やすのに、いったい何だったら変な罪悪感を持たないで済むのだろう?

私はそう考えて、興味を持ったらまずは着手するスタンスで、それから数年にわたって多くのことを試してみました。

テニスを始めてみました。絵画教室を始めてみました。書道を始めてみました。料理を作る頻度を上げました。株式投資を再開しました。ビジネススクールに行ってみました。ファイナンシャルプランナーの資格勉強をしてみました。

あれこれ理由なんか考えずに、興味を持ったという原動力一つで手をつけてみる過ごし方を数年続けてみました。


いま思うことは、自分が興味を持てることは意外と多くないということです。

だから、興味を持ったことには手をつけてみた方がいいし、それ以外のやる理由は要らないと思うに至りました。

ゲームにしても、楽しくて興味を持ってやれているなら、それでいいんです。そんな余暇の過ごし方はきっと人生を豊かにしているはずです。

おそらく以前の私には、「ゲームなんかよりも、他に社会的に有意義なことに時間を使ったほうがよいのではないか」という意識があったのかもしれません。
いまでは、自分の人生は自分を満足させるのが一番であって、他人や社会の目は関係ないのだと割り切った考えを持てるようになりました。

ようやく、やる理由や意義などを考えずに、ただ純粋に目の前のことを楽しむことができるようになってきました。

「何のために?」と聞いてくる人にはこう答えています。
「ただ、楽しいから」

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