亡き人の人生の復元

 今日は葬儀が二件あった。ドタバタな一日だったが、葬儀の在り方について、改めて考える機会だった。

82歳の女性の葬儀。若い頃は近くの老人福祉施設に勤務。同僚から慕われる存在だったよう。退職ののち地域活動に勢力的に協力していたけど、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う。手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく。勤務していた施設に入所しながら、病院に入退院を繰り返すことが長期間にわたってつながっていたそうだ。数日前よりいよいよ体調が悪くなり、最後は親族に囲まれながら、安らかに亡くなっていったそう。

この女性の葬儀のさい、弔事が二本あった。一つは施設に勤務したいたときの後輩の女性。最初に教えてもらったことは「入所されている方のお名前を覚えない」と。業務をこなすことも大切だけど、日常のコミュニケーションが最も大切であることを教えてもらったそう。後輩の面倒見がよく、いつも丁寧に指導してくれていた。退職した後も、困ったことがあれば、相談にのってくれていた。ときどき自宅にお邪魔し、一緒に食事をすることもあったそう。病気を患い施設に入所してからも、自分が大変な状況にも関わらず、調子の良いときは施設の作業服のほつれを縫ってくれたり、周囲への気遣いを忘れなかった。そうした職場での女性の在りようを語ってくれて、優しさとたくましさを兼ね備えた人柄がまざまざと伝わってきた。

弔事の二つ目は、お孫さんが6人出てきて、それぞれ短いお別れの言葉。それぞれ結婚して子どもがいるぐらいの年齢の方から、中学生ぐらいの子まで。全員女性だった。亡くなったおばあちゃんとの思い出を、それぞれ語ってくれる。手紙のやりとりをしていたこと。泊まりにいったときに暑くて寝苦しかったから眠るまでうちわで扇いでくれたこと。毎年運動会のときに作ってくれるおはぎが美味しかったこと。ばあちゃんと喧嘩して風呂場に閉じ込めたこと。病気を患ったにも関わらず明るく笑顔を振りまいてくれたこと。ALSをまえに何もできない自分に絶望したこと。難病の姿をみて、一日一日を大切に生きねばと気づかせてもらったこと。ときに涙をぬぐいながら、それぞれの思い出を語ってくれた。みんなが語り終えたときに参列されていた(たぶん)親戚のおじいちゃんが、「みんなありがとうな」って声を震わせて叫んでた。ついつい叫んでしまうぐらい感情が高まったんだろうな、よく分かる。僕も目頭を押さえながらお念仏となえた。

このときの様子をみて、やっぱり女の子は気が利く。日常から両親や祖父母のことを気にかけてくれるし、最後はこうしてお手紙まで呼んでくれる。男の子は、ここまで気が回らん。うちは男ばっかりだから…と残念そうに語ってくれた参列されていた地域のおばあちゃんの言葉も印象的だった。寂しいんだろうな。

あたたかな葬儀だったなと帰りの車で感じた。なんでそんな風に感じるんだろう…。

僕の答えは、その場に、亡くなったおばあちゃんが居た、と思う。もうちょっと丁寧にいうならば、おばあちゃんが再現してた。思い出がつむがれるなかで、亡き人の人生が復元されていたともいえる。

お世話になっている先輩のお坊さんに教えてもらったこと。

「亡き人の人生の復元」を中軸として葬儀の中に「その人が生きた証」を求める。

形式通りに式を終えるとか、決められたとおりにお経を読むとかなんて、セレモニーの手法でしかない。セレモニーをすることで、亡き人の人生を復元できるのであれば、それは大切なことだが、いまの多くの葬儀が滞りなく式を終えることが最優先されている。都市部では火葬場が混み合っていて時間通りに進行しないといけない理由もあるんだろうけど、それはそれでいくらでも工夫はできるだろうし、田舎だったら、そもそもそんな心配もない。葬儀の目的とはなんぞやを改めて考え、いま僕が担えている役割の不十分さに悔しさを覚える。自分が理想とする葬儀を自分のお寺でつくりあげるしかないような気がする。

ちなみに、亡くなった女性の法名は「慈光(ジコウ)」とつけさせてもらった。生前のお名前の漢字の一字である「光」と、優しさあふれるお人柄を想い慈しみの「慈」をつけた。優しいの裏には相手を慮る想像力や、 人生の苦悩に向き合ってきたたくましさも感じる。

難病に苦しむ様子を知っている人がボソッと言ってた。「死ぬことで病気の苦しみから解放されたように感じるな」って。82年のご生涯、ご苦労さまでした。

ナモ。

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