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モンテッソーリの幼稚園を諦めたわけ

娘に食物アレルギーがあり、幼稚園探しが大変だったことは前回の記事で書きましたが、実は問題なく入れる幼稚園が1園だけありました。

近所の方(私の両親くらいの年齢)と話している中で、幼稚園探しの話になり、その幼稚園のことを教えてもらったのです。
「息子が小さい頃、こだわりが強くて集団行動が難しく、幼稚園に断られ続けて困っていたけれど、○○幼稚園だけが受け入れてくれたんだよ。その園に入ったら、自分の好きな事がとことんできるので、息子の性格がどんどん落ち着いていって、小学校には問題なく通えるようになったから、本当に助かったんだよ。オススメの幼稚園だよ。」と。

「自分の好きな事がとことんできる」というので、とても興味が湧き、その幼稚園をネットで調べてみると、聞いたことがあるようでないような「モンテッソーリ教育」というワードが出てきました。

当時、「モンテッソーリ教育」のことを詳しく知らなかった私は、教育内容をネットで調べまくり、どうしてもその教育を娘に受けさせたいという気持ちになりました。

自宅から離れていて園バスがなく、車での送迎が必須。
給食がないのでお弁当持参です。
毎日、車で送迎か~お弁当も嫌だな~と思いましたが、「モンテッソーリ」のためなら頑張れる!という気持ちにもなっていました。
そして、見学の申込みをしたのです。

まずは、修道服を身に纏っている園長先生が出てきただけで、おお~っとなりました。
教室に入ると、いわゆる普通の幼稚園とは全く違う雰囲気です。
先生は教室の隅に立ち、優しい表情で子どもたちを見守っているだけなのです。
何かあれば、そっと近づき優しく囁きながらサポートし、また教室の隅に戻ります。
決して大きな声で呼びかけたり誘導はしません。

教室には、たくさんの本や理科の実験で使う器具のようなもの、ティーセット、裁縫道具、調理器具、知育玩具などが棚に並べられていて、机などの配置も普通の幼稚園とは違いました。

そんな教室の中で、園児たちそれぞれが好きなことをやっています。
棚から好きなものを持って来ては、じっくりと取り組んでいます。

絵具で作った色水をフラスコに入れ、空のフラスコに入れ替える。
それを何度も繰り返している子。

ティーポットにお茶を作り、カップに注ぎ、ティータイムを楽しんでいる子。

ひたすら包丁できゅうりを切っている子。

黒の折り紙を熱心に折っていた子の傍らには、何十匹ものカブトムシが積み重なっています(何時間折っているの?というくらい)。

縦割りクラスなので、出来ないことがあれば先生よりも年上の子が教えてくれます。

運動会については、練習時間はなく、日々の様子を披露する感じで、開催月は決めるけれど、いつやるかはお天気次第。
今週は天気がいいからやろうかといった感じで開催すると園長先生がおっしゃっていました。

近所の方が言った通り、その幼稚園には好きな事をとことんできる環境がありました。

あ~なんて良い環境なんだろう。
私、この雰囲気が大好きだ!
娘をここに通わせたいなぁ。
そう思いながら、連れてきた娘の様子を見ました。

見学として申込みましたが、娘も教室に入れてもらい、一緒に活動をさせてもらえたのです。

「私も入れて!」と、臆することもなくティータイムの仲間に入れてもらいましたが、その静かでゆったりとした時間の流れが退屈だったのか、さっさと席を離れてしまいました。
その時は、初めて会う子たちだし、距離感あるよなと思っていたのですが・・・。

「私も切りたい!」ときゅうりを切ると、2回くらい輪切りをしただけで、すぐに包丁を置いてしまいます。
「色水やる?」と声をかけても、やらないと言います。
「本もあるよ」と声をかけても、首を横に振ります。
園児たちは、それぞれが自分の好きな事をひたすら集中してやっていて、娘には興味がない様子。
娘は周りを見渡すだけで、だんだんと手持ち無沙汰になっていきました。

とうとう教室にいるのがつまらなくなったのか、「園庭で遊びたい!」と言い出しました。
(その「おしごと」と呼ばれる時間は、教室のみで過ごすことになっているようでした。)
園長先生はOKしてくれましたが、園庭には誰もいません。
勢いよく園庭に飛び出した娘は、案の定、「つまんな~い。帰ろう!」と言って、すぐに戻って来ました。

帰宅してから、「今日行った幼稚園、楽しかった?行きたい?」と娘に聞いてみました。
「楽しかったけど行かなくてもいいや。もっとお友達といっぱい遊びたい。」
やんわりお断りされたような感じでしたね。

そこで、改めて娘の性格を考えてみました。
娘は人が大好き。
一人遊びより、お友達と一緒に遊ぶのが好き。
お友達と仲良くするとか、相手のことを思って行動するのは、まだまだ出来ない年齢だけれど、自分から意地悪をしたり、喧嘩になるようなこともせず、とにかく積極的に関わろうとするタイプでした。
「自主性」よりも「協調性」で進めていきたいタイプなのかもしれないなぁ。

そして、いくら「モンテッソーリ教育」が良いとされていても、娘には合わないのかもという考えに至りました(時間をかければ順応しそうだけれど、そもそも順応させなければいけないのか?という疑問も持ちました)。

あこがれの「モンテッソーリ教育」ができないのかというがっかり感はありましたが、娘に合っていないのであれば無理強いはできません。

そんなわけで、「モンテッソーリ教育」の幼稚園に入れることを諦めた私ですが、あの頃に「モンテッソーリ教育」を知り、調べ、学んだことは、私の子育てにとって、とても良かったと感じています。
そういうものがあると知ることで、親としての気付きがありましたし、家庭で取り組めることや自分の子育てに生かせることがあったからです。

他にも、「シュタイナー教育」や「七田式教育法」など、良いとされる幼児教育が様々あります。
どんな良いものでも、それが全ての子どもに合うわけではないことを忘れないようにしたいですね。
また、幼児教育の考え方によっては、家庭での生活や環境も変える必要が出てくる場合もあります。
鵜呑みにせず、自分の子どもに必要なものか、自分の子どもに合っているか、自分の子育ての方針に合っているかなど、いろいろな面から考えてみると良いと思います。

そして、やらせる・やらせないに関わらず、幼児教育について知っておくことに損はないかなと思います。


ちなみに、その幼稚園を諦めきれず、息子の時にも見学に行ってみたのです。
息子は、娘とは全く違う反応でした。
楽しそうに、ワクワクした目で教室を見渡し、いろいろと手に取って、じっくりと取り組んでいました。
帰るときには、「ずっとここにいたい!」と言い出す始末。
息子には、この幼稚園が合うのだなと嬉しくなりましたね。

でも、その一方で「モンテッソーリ教育」ではない幼稚園に通っている娘は、問題なく、すくすくと育っているんだよなとも思うわけです。

娘の幼稚園には兄弟枠で優先的に入れるし、食物アレルギーのない息子は給食も食べられます(お弁当を作らなくていいから楽できる)。
おまけに、園バスがあります。
そして、息子は集団行動が苦手なわけでもなさそう。
そんな理由から、結局、息子も娘と同じ幼稚園にしてしまいました。
一人目の幼稚園決めとは違い、二人目以降は、子どもの事を思う気持ちより、上の子に準じるとか親が楽できるかを優先してしまうという、あるあるですね^_^;。


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鵜呑みにぜず”を太字にしましたが、「鵜呑みにしない」という言葉が息子は大好きです。

高校の校長先生が生徒たちに伝えた話の中で出てきた言葉だそうです。

世の中で常識と言われるようなことや研究で解明されていることなども含め、どんなことも鵜呑みにしてはいけない。
疑問を持ち、いろいろな角度から考察し、客観視した中で自分の考えを持つことが大切だということらしいです。
その話が息子の心に響いたようで、教えてくれました。

息子の琴線に触れた話を聞くたびに、「息子は大丈夫」という根拠のない安心と意味のない確認をしてしまうのは、自分の子育ては大丈夫?という不安があったのだと思いますが、もしかしたら、「モンテッソーリ教育」への憧れと、それをしなかった後悔が心のどこかにちょっぴりでも残っていたから?なんて、この記事をきっかけに感じたりしています。(^^ゞ

ただ、幼稚園の3年間、毎日、聖書を読んでもらい、食事の前にはお祈りをし、クリスマス会にはキリストの生誕劇をして讃美歌を歌っていた子どもたちに、キリスト教のキの字も感じられない今、一番影響を受けるのは、やはり家庭教育なのではないかなと感じています。



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