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自分で何かを判断できるって
それはもう、
自分が自分の先生だ。


練習の奥義ってものがあるとすれば、
そういうことだと思うんです。

で、何度も言っているあれが
出てくるわけですよ。

できていると思っていること、それが
できていないかもしれない、ってやつです。

感覚的にできている、やれている、と思えたことが
実は全く別のことをしていた、なんてこと
よくあるんですよ、これが。

いろいろな原因がありまして、
思い込み、イメージ、こうなんだという頭でっかち、
理想、見様見真似、などなど。

これらは全て、自分を見つめていません。

感覚的に正しいと思える方法でやっているだけです。


わたしもそうでしたが、大抵の人は、
感覚自体が信用できないものとなっています。

膝を曲げてくださいと言ったら、
骨盤を前に出した、なんてことも
普通に起こり得るんです。
(結構いらっしゃいます)

こういった感覚のズレがなくなると
やっていると感じられていることが、
そのままやっていること、になります。

自分自身が先生になれる、というわけです。

あとは練習しているものを
どうやってみるのか、の視点さえ知っていけば、
どんどん上達するはずです。

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