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相手の意見を覆す方法

■ 意見の対立はどこでもある


人間関係における悩みの1つは「価値観の違い」である。
生きてきた環境、学んできたこと、関わってきた人たち、年齢や性別、国や地域・・・これらが微々に異なるだけでか価値観の違いが生じる。

おそらく同一条件で生きてきた2人の人間がいたとして、それでも価値観の違いは生まれてしまうだろう。

そして、価値観の違いは意見の対立になる。

動物ならば己の肉体をもって周囲に威光を示して生き延びるだろうが、人間は自身の考えを言葉にして表現する。
言葉にすることで怪我を負ったり生命に関わる損傷は避けることができるが、言葉は万能ではない。それどころか、価値観の違いに拍車をかける。

それは価値観をもった意見を伝えるとき、個人の感情がつきまとうからだ。人間はロボットではないので、いくら冷静な議論をすると言っても、自分の意見には多少なりの思い入れがあるのは仕方がない。

しかし、多くの人は自分は冷静であるように見せかけて、いかに自分の意見のほうが正しいかを証明しようとする。こうして、意見の対立するとお互い理屈を主張することになる。

意見の対立というものを客観的に見ていると、双方の言い分に「正当性」があるようにも見えるし、どちらの理屈にも「穴」は絶対にある。そして、それぞれが正当性を主張しつつも、お互いの穴をつつき合うため、いくら話し合いをしても一向に平行線になる。

この手の話は専門家や著名人同士の討論番組で見かけるが、意見の対立は日常においてもよく起こるもの。それは誰もが経験しているはずだ。


■ 相手の意見を覆す方法


仕事においてもよくある。会議や教育、顧客への商品説明などの様々な場面において突発的に生じる。

「言いたいことは分かるが、こっちの考えとは違うな」
「そのやり方より、今のやり方のほうが良いと思います」
「良い商品だけれど、うちにはコレがあるから間に合っているよ」

このようなとき、多くの人は何とかして相手に自分の意見を分かってもらおうとする。それはつまり、相手の考えを覆そうとする努力をする。

しかし、その努力は無駄である。いくら色々な要素や材料を持ち出して自分の意見を述べたところで、相手からすれば同じことを言っているに過ぎない。もはや話し合いは終わっていると言っても過言ではない。

しかし、相手の意見を覆すための方法が1つある。
それは「相手の意見を採用すること」である。

相手の意見を覆すために相手の意見を採用するとは矛盾すると思われるが、こちらの意見が通じない状況においては、まず相手の視点に立ってみるのが確実なのだ。

人間は、自分の意見を貫き通そうとするとき、どうしても自分の意見に有利になる情報や材料ばかり提示したくなる。そうなると、どんどん相手の視点から遠ざかるため、余計にこちらの話が通じなくなる。

また、こちらの意見を聞いてもらうためには、まずこちらの話に耳を傾けてもらうための関係性づくりも必要だ。

このように考えていくと、まずは自分の意見を主張したい気持ちを置いておいて、相手の意見の正当性に目を向けてみたほうがまだ建設的であると言えないだろうか?


■ まずは相手の意見を採用するメリット


では、どのように相手の意見を採用すれば良いのだろうか?

それは、相手の考え方はもちろん、細かい方法や手順なども「そのまま受け入れる」ということがポイントになる。まるで自分が最初から相手の意見に賛同していたかのような姿勢をとるのだ。

このようにすることには2つのメリットがある。

1つ目は、相手が言いたかったことを体感することができる。言葉だけでは理解できなかったことが、身をもって納得できる。
もちろん、自分の意見にも正当性はあると思っているけれど、「そうか、こういう考え方もあるのだな」と素直に受け入れることができる。もしかしたら「こっちの考えのほうが良いかもな」と本当に相手の考えに賛同できるようになるかもしれない。

2つ目は、相手の意見の正当性を崩せる可能性がある。相手の言う通りの手法でやっても、色々な分析方法を用いて検証しても、様々な素材を変えて実験しても、どうしてもその理論の正当性が立証できないならば、その意見はそもそも間違っている可能性がある。
採用した意見に対してあらゆる手をつくしても立証できないならば、「この意見に正当性がある可能性は低い」と結論付けられてしまう。いくら相手が「まだできることはあるはずだ!」と主張しても、話は一区切りとせざるを得ない。
そうすると、ここでようやく自分の意見が採用される。周囲も相手も「では、あなたの意見にも目を向けて見ましょうか」と目を向けてくれる可能性が高まる。
もちろん、自分の意見もまた「正当性があるとは言えない」という結論が出る可能性があることを忘れてはいけない。それでも、ただ相手と意見を対立させていたときよりも、お互いに納得し合えることはできるはずだ。

なお、これは統計学における「帰無仮説」「対立仮説」を参考にしているが、本記事で詳細は割愛する。


■ 意見に相違が出たときの活用例


何だか理想論のように語っているように思われるかもしれないが、これは私が実際に職員と討議するときによく用いる。

例えば、介護現場では利用者たる高齢者の状態に応じた介助方法を用いるが、その介助方法で職場内で意見がぶつかることは珍しくない。
例えば、私が「その状態ならば、このような移乗方法のほうが良のでは?」と提案するも、「それよりもこっちの移乗方法の方が確実ですよ!」と言ってくる介護職員もいる。

このような意見の相違から話が平行線になると思ったら、そこから先は建設的な話し合いはできないと分かっている。そこで「分かりました、では〇〇さんのやり方でやってみましょう」と言う。
だからと言って、すぐに職場全体の手法にすることはしない。まずは意見を違えた介護職員の移乗方法を見せてもらい、そして私自身も同じようにやってみる。それを何回か繰り返して実践する。

すると、私自身「こっちのほうが確かにいいな」と思うこともあるし、反対に「うまくいかないな」と思うこともある。後者の場合、他の介護職員にも実践してもらってうまくいかないならば、その人しかできない介助法であるか、介助法にリスクがある可能性があるということになる。となると、いくら自分のやり方を貫こうとする職員がいても、再現性のない介助法を職場全体で統一化することは難しいという判断になる。
むろん、自分のやり方を主張する介護職員は納得できないだろうが、ただ無闇に「そのやり方じゃ駄目だ」と言うよりも、「何人かやってみたけれど、うまくいかなかった」という実践による検証があったほうが不満は少なくなる。(そこからも頑固になるならば、それは別な話し合いとなるわけだが・・・)


――― 「論破」という言葉があるが、それはあくまで言葉上だけの話であって、お互いに納得し合える形ではない。論破されたほうに禍根を残す。

そもそも、議論とは1つの目標に到達するための話し合いであって、自分の意見を立証するためとか、マウントをとるためにあるのではない。時間をかけて良いのならば、双方の意見を物理的に立証する機会を設けたほうが良いと思う。

もちろん、ビジネスにおいては1つ1つを検証する時間はないこともある。しかし、本当の意味でチームワークある成果を出すならば、意見をぶつけ合ってばかりではなく、早々に片方の意見を採用して検証してしまったほうが実は近道になることだってあるるのかもしれない。

ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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